オタマジャクシ怪人、コケティッシュSM少女にラブ。
前回の續き。さてこの現代教養文庫版では、オラン・ペンデク三部作の後にいくつかの短篇が収録されているのですが、これがどれもかなりキている代物でありまして、昨日の其の一でも少しばかり触れた「美しき山猫」はそれでもまだまだおとなしい方。
この「美しき山猫」と次の「心臟花」は人見十吉シリーズの作品で、個人的には、純眞で眞面目そうな美人畫家が山猫の鳴き声に感應してセクシー美女へと変貌し、胸をユサユサさせながら男を挑撥する仕草がネクラのミステリマニアにはタマラない「美しき山猫」の方が好みですかねえ。
物語は、砂漠の向こうで山猫がクユーイクヌーイと鳴いているのに耳を澄ませる人見の描写から始まります。物語の舞台となるのはキューバの沖合から十浬ほど離れた通稱大山猫島で、この孤島に參集したるは人見の他、かつて彼とガラパゴス島の探險をともにした南条博士、生物の生態畫を得意とする美人畫家ザーラ(失礼。再讀したら助手じゃなくて畫家でしたよ)、更には訛りまくった英語でグフグフと押しつぶしたような嘲笑が鬱陶しいクラドの四人。
人見は不埒なことにこのザーラの美しさにひと目ぼれしてしまい、一年は一つ屋根の下で暮らしていたのでありますが、もう辛抱タマランとばかりに或る夜、彼女に愛を告白、その美しい體を頂戴しようと攻めの姿勢で挑むのですが、その時に人見は宮廷女のごとき神々しさを持った彼女が「外見上は見事な成育を示していながら、性的には成熟しきっていなかった」ことを知って以後、「かえって異常な昂奮に惱まされ」ることになります。「いつ爆発するかも分からぬ肉体の火山」たるムラムラを、人見は、博士の研究に献身没頭することによって押さえ込んできた、という前振りのあと、冒頭の山猫の鳴き声が響き渡るシーンへと戻ります。
どうにも山猫の鳴き声がするようになってからザーラの樣子がおかしいことに氣がついた人見は、不吉な予感がして彼女の寢室を急襲します。すると、いつもは「上流家庭の娘もかなわぬほどの繊細を持った」彼女がどうしたことか、MTVのプロモビデオに出て來るような娼婦のごとき挑發的なセクシーポーズで、人見を誘惑にかかります。
果たして夢かまことか、というかんじで、ザーラと人見は果たしてことに及んだのかは曖昧なまま、節は變わって人見が目を覚ましますと、目の前にはいつもと變わらぬ清々しいザーラの視線。どうやら人見は酒の飲み過ぎで自分を失っていたらしい、ということでその場はどうにか取り繕うのですが、果たして再び山猫の鳴き声が響き渡ると、またしてもザーラは錯亂状態に陷ります。そして山猫の鳴き聲とザーラの出生の秘密が明かされた時、……というかんじで物語は進みます。
作者のことですからすっかりザーラは、ドクターモローの島みたいにマッドサイエンティスト南条博士がつくりだした半獣人だと思っていたら、意外や普通のオチで終わります。
續く「心臟花」はそのタイトルにもある通りの、赤く波打つ心臟が浮游する様が恐ろしくも美しい佳作。例によって人見が心臟花の話を聞きつけてそれを探しに行き、ついにその女怪と相まみえるのだが、……という話。後半のほとんどに費やされた心臟花と邂逅するシーンは壓卷。
「蜥蜴夫人」は、爬蟲類を研究している博士の夫人が詩人の若夫婦を凋落して魔道へと引きずり込むというお話で、最初はその爬蟲類フウの美しくも妖氣漂う雰圍氣から、楳図フウへびおばさんの蜥蜴版かと思いきやさにあらず、この理性的でありながら怪しい魅力を放つ蜥蜴夫人はマンマ高橋葉介の世界の住人でありました。
ホテルのバーで知り合った蜥蜴夫人と詩人夫妻でありましたが、この若夫婦は二人して夫人の怪しい魅力の虜になってしまいます。やがて夫人は詩人の妻をモノにするのですが、それを知った爬蟲類博士も黙ってはいられません。この博士というのがホテルの「食堂の中央に仁王立ちになって、ショートケーキを食」ってしまうような、或る意味憎めないキャラなんですけど、流石爬蟲類を研究題材としているだけあって、そのネチネチとした陰湿ぶりは蛇のごとくで、この博士は詩人を自分の助手に据えて、夫人に對する復讐方法を考えます。
やがて博士は毒蜥蜴から抽出した毒藥を使って反撃に出るのですが、それが思いも寄らぬ悲劇を引き起こして、……という話。實際のところ、この純眞な詩人若夫婦は、完全に爬蟲類博士と蜥蜴夫人にていよく振り回された恰好なんですけど、最後にこの博士と夫人の異常な愛情の樣相が明らかとなるあたりに、作者の屈折した思想が垣間見えていい。
さて、續く「処女水」が本作収録作の中では一番キテいる怪作でありまして、オランペンデクはそっちのけでも、とにかくこれだけは讀んでほしいッ、と声を大にして訴えたい、全キワモノミステリファンにはマストの作品。
舞台となるのは、県立のお孃樣學校で、そこの博物教室附属標本室から、清子という女學生の死体が発見されるところから物語は始まります。
主人公は、オッタマという綽名を持つ博物教師Mでありまして、因みにこのオッタマという綽名を彼につけたのが、殺された女學生の清子。このオッタマはその綽名が示す通りの、怪人めいた容貌の男で、このあたりの描写を軽く引用してみますと、こんなかんじ。
事実Mは、これがいったい地球上に生存している「人」であろうかと疑われるほどの怪奇な容貌の持主であった。首全体が一個の球であり、うぶ毛いっぽん無くてらてら光り、もちろん丸禿だ。眼と眼の間がとんでもなく離れており、ほとんど耳に接近している。その耳がまた耳殼を全然欠除して穴だけであり、穴だけなのは鼻も同然だ。唇は極度にすぼまって小さく、たいていの時は唾液で濡れている——まるで巨大な蝌蚪(おたまじゃくし)である。その顏をじいっと見つめていると、しだいに寒けをおぼえ、しまいには胸にむっとこみ上げてくるものをさえ、覚えてきそうになる。よくもまあ、こんな怪人を教師に、しかも美人揃いを以て県下に鳴る女学校に迎えたものだ、と誰もが非難し嫌悪しているのだが、……
もうすごいいわれようですよ。で、當然のこと乍ら、清子が博物教室で死体となって見つかった時、眞っ先に疑われてしまったのがこのオッタマ教師M 。地の文に曰わく、「……そういう矢先に今度の事件である。彼奴だ!という囁きが全校中に囁き交わされたのは無理のない話である」。
清子は校内でも美人で知られていて、いうまでもなくこのオッタマ教師Mの醜怪な容貌を嫌惡していて、ことあるごとにオッタマにひどい態度を示してみせるのでありますが、その一方で、オッタマにもっと近づいて、オッタマのことをもっとモット知りたい、そしてもっとモット嫌惡や恐怖を感じたいという、アンビバレンツな心情を抱くに至ります。要するに清子はオッタマを精神的に追いつめて愉樂を得るサド女であるとともにマゾでもある譯ですよ。
しかしこんな相反する性癖を清子が持っているなど、當のオッタマ教師Mが知る筈もなく、彼は清子のつれない態度に悶々とします。こちらもこちらで清子に嫌われれば嫌われるほど、彼女のことが氣になって氣になって仕方がない。
そして清子の心の深奧にある變態的感情はいよいよ高まり、彼女は自らオッタマにアプローチを仕掛けます。それを勘違いしてしまったオッタマは自分が研究している琥珀を見せて、この中には「地球が宇宙に誕生したとき初めて出来た何の汚れもない純粋な水」が封じ込められているんです!ってなかんじで自らのインナー浪漫を語りまくる譯でありますが、清子にしてみればそんな怪物のセンチメンタルなどには一向感心がありません。
彼女がオッタマの言葉で唯一気に掛かったのが、その琥珀から取り出した処女水を溜めている大水槽。オッタマは感極まって、「清子さん、あなたの美しい処女の肉体が永遠にその色艶を失わないために浸りたかったら、いつでも浸かってください」とかいってしまったのですが、どうやらサドマゾ女清子がキチンと聞いていたのはその部分だけだったようで、後日、彼女はその水槽の中に全裸の死体となって発見されたのでありました。
しかしこの死体発見現場にはおかしいことがいくつかあって、まず清子が着用していたとおぼしき下着が現場には見當たらない。そして彼女の死体に外傷はなく、その死因は心臟麻痺であったという。果たしてこの後半にトンデモな推理が炸裂して、彼女の死因の謎は半ば妄想を織り交ぜながらその眞相が明かされるのですが、何ともはやなのはこの清子の下着が死体発見現場になかったという謎の眞相ですよ。
以下、オッタマ教師Mの推理を軽く引用しますと、
ちょっと諒解に苦しむところかもしれませんが、私には清子の心理がはっきり判るような気がします。清子は直接自分の肌につけていた体臭の移り香のする着衣をあの部屋で脱ぎたくなかったのです。と言うことは、部屋の主人がいないと判っていながらも、そうまでせずにはいられないほど私を恐れ憎んでいた証拠といえます。
何だか遠回しにいってますけど要するにこれって、清子が水槽に浸っている間、オッタマ教師Mが彼女の脱ぎ捨てた下着を見つけてスーハースーハーされるのがイヤだったっていうことですよね?
結局オッタマはこの一件の謎を解いたものの、いるにいられなくなって泣きながら学校を去る、という渡辺啓助御大も納得の惡魔的主義的な幕引きで物語は終わります。オッタマ、可愛そう過ぎですよ。
……てなかんじで、熱く語っていたらまた頁數が予定を遙かに超過してしまったようで、殘りの二作は簡單に纏めます。
「ネンゴ・ネンゴ」は、街で食べ物泥棒ばかりが相繼ぐのですが、それを一人の刑事が捜査していき、……という話。犯人は大鼠か、というふうに思わせておいて、事件の眞相は現実的なところに落ち着くのですが、犯人の悲慘な境遇が何処か哀切さえ誘う結末がいい。
「天牛」はこれまた「処女水」と同樣、醜怪な容貌の骸骨博士が主人公となる作品で、ムリヤリに探偵小説フウのトリックを入れ込んだ強引さが浮きまくっている佳作。物語はこの探偵小説的トリックを入れた為に完全に破綻しているんですけど、それでも「蜥蜴夫人」同樣、倒錯した愛情觀が奇妙な餘韻を殘す作品です。
という譯で、全編これ粒ぞろいの名作集といってもいい出来榮えの本作、現代教養文庫ということで完全に絶版な譯ですが、出版芸術社のミステリ名作館からリリースされている「月ぞ悪魔」でそのほとんど讀むことが出來ます。
これにはオラン・ペンデク三部作もシッカリと収録されておりますし、怪作「処女水」も勿論入っています。更に「海鰻荘」シリーズも同時収録とあって、いうなれば現在手に入れることの出來る香山滋ベスト集成とでも呼びたくなる傑作集。今買うならこちらで、ということになりますかねえ。