正直素人の習作程度の出來なのですが、竹本健治の言葉にもある通り、「本作は破綻しているからこそ最大の価値がある」という譯で、素人の作品に特有の妙な熱氣(ボクは「虚無への供物」と「匣の中の失楽」が大好きなんだ!だからボクもこんな小説を書いてやるんだ!)が全編にムンムンと立ちこめていて、その気迫と笠井潔の斜め上の(恐らく)の助言が妙な形で化学反応を起こした結果、凄まじい怪作が生まれてしまった。そんなかんじでしょうかねえ。
最近取り上げた都筑道夫の「猫の舌に釘をうて」は「シンデレラの罠」に先驅けて生み出された、當にシンデレラ系のミステリの傑作だった譯ですが、新本格以降で、何かこれに類するキワモノはないかなと探していたところ、ふと本作の存在を思い出したという次第でして。
この作品、ジャケ裏の作者紹介によると十数年がかりで仕上げた作品とのことなのですが、それだけの時間をかけて熟成した結果がこれではちょっと、いうかんじがしないでもないのですが、発表の時期がマズかったというのもありますかねえ。
當事は新本格が誕生したあとで、本作と同時にリリースされた新本格の作品としては有栖川有栖の「ロシア紅茶の謎」、そして我孫子武丸の「殺戮にいたる病」。この面子だったら、話題が「殺戮」の方に偏ってしまうのは當然でしょう。
實際、本作は発表された時もさして話題にはならなかったと記憶しているのですが、今回改めて讀み返してみると、學生運動の時代のイタい描写や、學生たちの妙に輕薄なノリ、そして受験戦争や家庭内暴力、登校拒否といった時代的な主題を積極的に取り上げているあたり、違った讀み方で愉しめることを発見してしまいました。
「虚無」や「失楽」を髣髴とさせる學生たちの推理合戦、作中作、そして不可解な密室と見所はたくさんあるのですが、何といっても本作の一番のウリは、「猫の舌に釘をうて」の更に上をゆく、「事件の犯人が探偵で、それは証人でもあり、被害者でもある。そしてこの犯人はこの小説の作者でもあり、かつ読者でもある」というところでしょうか。
すでにこのウリ文句からして、何だか、シンデレラ系に辻真先のメタミステリを組み合わせてゴッタ煮にしたような怪しげなテイストが感じられるのですが、實際のところ、この一番のウリが大きな效果をあげているとは思えません。まあ、驚愕度とミステリとしての整合性という點では、やはり辻真先の諸作品の方が遙かに綺麗に纏まっています。
本作の場合、普通に事件を起こして、學生たちの推理合戦を織り交ぜ、最後にこのシンデレラ系の着地點を見いだせばそれなりの體裁を保てたというのに、作者はそれでは満足出來なかったらしく、學生運動だの、内ゲバだの、家庭内暴力だの、登校拒否だのといった時代性を無理矢理物語の中核に押し込んで、「どうだっ、ボクだって「虚無」みたいな社會派アンチミステリが書けるんだぞッ」といきまいてみせるんですよ。
複雜な構成を取りながらも、物語のあらすじは「停車場」という同人誌の顧問である豫備校の教師が密室で殺害され、その被害者の過去と犯人を探っていくという分かりやすい展開です。
同人誌仲間である学生達は新聞記者とともに、この事件の謎を解こうとするのですが、彼の過去を調べていくうちに、男が内ゲバ抗争に關わっていたことが明らかになっていきます。果たして彼は何故殺されたのか、そして密室はいかにしてつくられたのかという謎を中心に据えつつ、同人誌に興味を持ってやってきた學生の毒殺事件なども絡めて、物語は被害者の男の手になる作中作や、不可解な断章を間に挟み乍ら進んでいきます。
これを讀んだ當事は作者の空回りしている勢いにすっかりしらけてしまって、まったく評價していなかったんですけど、今讀み返してみると、上に書いたように別の意味で愉しめるんですよ。
何というか、妙に笑える。特に作中作となっている被害者のひとりが書いた小説というのが、凄いんですよ。
これが妙に青臭くて、被害者が体驗した學生運動と内ゲバの實態をそのまま短篇小説に仕上げましたというものなんですけど、大學教授に對して學生が「『インダストリアリズム批判』の思想と、現在の先生のお立場がどう関係するのか、明確に返答していただきたい!」とか講義の最中に手を挙げて質問したりする場面があるのです。
で、教授が質問にノラリクラリと答えると、學生たちもセクトに分かれているものですから、質問した學生に今度は別の學生が「ナンセンスぅ!」なんて叫んだりするんですよ。しかしあなた、「ナンセンス」って、こりゃあ、昭和時代のコントですかっ。自分は「ナンセンス!」なんて、「天才バカボン」のギャグでしか見たことがないんですけどねえ。
やたらと物語が回想モードに入るあたりいかにも素人臭いものの、まあこれはこれで許せます。というのもこの作品全体が素人の書き上げた小説という體裁をとっているからで、この青臭さがまた妙な熱氣を帶びていて、微笑えましいともいえますかねえ。
物語の謎の中心をなしている主題は左卷きの方々の思想やその時代背景である譯ですが、今日の左卷きの方々の運動と相違して、特定アジアに對する言及もなく、作中作で彼らがアジっている(死語)内容も、安保、沖縄返還、三里塚闘争だったりするあたり、いかにもあの時代を感じさせるテイストがいい。
という譯で、アレな方々のイタいネタばかりに反應してしまいましたが、肝心のミステリの仕掛けの方は、それほどうまく決まっている譯ではありません。予想通り、というか、これしかないでしょうというところで着地してしまうのが何とも惜しい。
ところどころに挿入される断章と、登校拒否など當事の時代の主題が表に出て來た後半で既にこの仕掛けがどういうかたちで集束するのか、たいていの人は予想出來ると思います。まあ、實際自分もそうでした。ここにもう一捻りをいれてくれれば、或いは本作も意欲作とか怪作とかいう意匠の更に上をいくような傑作に大化けしていたかもしれません。
シンデレラ系の仕掛けが成功しているとはいえませんが、若かりし団塊の世代の學生が左に巻かれていくさまが今讀むとサムいコントのようで、別の讀み方をすれば妙に愉しめてしまう怪作。おすすめはしませんが、自分のような惡食を自認するミステリマニアの方には是非とも一讀していただきたい作品であります。