小説としてもミステリとしても完全に出來損ないなんだけども、憎めない、というか偏愛したくなる作品。
というのも本作で言及される樣々な過去作なども含めて、作者である飛鳥部氏の嗜好をそのままトレースしたような雰囲気があって、何というか私小説的な趣があるんですよ。
飛鳥部氏のファンでしたら、作者のサイト、飛鳥部勝則美術館は頻繁にチェックされているかと思うんですけど、殊に最近になって始めた推理漫談で取り上げられている作品や、ここで述べられている内容の殆どが本作には書かれてあるのです。
例えば正史の「八墓村」に関する意見など、サイトに書かれてあることとほぼ同じといってもいいくらいでして、そんなところからも、このなかに書かれてある意見は果たして登場人物である田村のものなのか、それとも作者のものなのか分からなくなってきます。という譯で、本作はまずサイトで飛鳥部氏が書かれている内容を讀まれてから取りかかった方がこの何ともいえない酩酊感を愉しめるのではないでしょうか。
物語の方は正直あらすじのようなものが存在しない、といってもいいくらい不可解な構成でありまして、登場人物である作家が以前書こうとした小説の斷片や構想を素材のままゴロンと置き、その合間に飛鳥部氏のミステリ觀や過去作へのオマージュを登場人物たちに延々と語らせるというものでして、何というか一編の小説として見れば完全に破綻しています。
本格探偵小説大賞の授賞式で再會した田村と川合。ホラー作家である田村は長編第二作である「危険な包帯」を書いている最中だったが、どうにも筆が捗らない。そんなおり、彼は唐突に川合の家を訪れるのですが、生憎宿主は不在で、田村は双子の娘に歡待されます。
暫くして田村は再び川合の家に電話して、福島県立美術館でやっている繪畫展に彼を誘うのですが、後日、福島へと向かう切符とともに川合の娘から手紙が送られてきます。
いよいよ當日、田村がSLに乘り込むと川合の姿はなく、彼の娘が座っている。田村はこの娘に自分がものにしようとしていたミステリのあらすじを語り始める、……。
いつもの妙に冷めた文体から釀し出される一シーン一シーンが何とも印象的で、この田村が少女と一緒にSLに乘って福島に向かう場面はいい。この少女というのが飛鳥部氏の小説ではお馴染みのちょっと、というかかなりおませな美少女でありまして、田村がまた飄々としたキャラであることも相俟って、二人の何処か惚けた雰囲気の會話が微笑ましい。
中盤はずうっとこのSLのシーンが續くのですが、これが何処か現実離れしていて、さながら夢の世界のよう。こういう、何処か靜謐な雰囲気の漂う情景描写は作者の獨壇場でしょう。
本作、冒頭の一文は「ゴースト・ストーリーを語ろう」というものでありながら、本作には薄氣味惡い幽霊が登場する譯でもなく、……まあ強いていえばこの少女というのが幽霊かもしれな存在なのですが、結局この逸話も最後には小説になりそこねた物語の一斷片として回収され、冒頭に挙げられた注意書きまでもが作中作であることが明かされて、物語はメタミステリめいた幕引きで終わります。
いびつながら、本作にはこの後に作者によって書かれたミステリの萌芽がいくつか感じられることから、この物語を作者のミステリ觀を表した私小説として讀むというテもありでしょう。
正直、ミステリとしては明確な構成を伴っていない故、語るに價する小説ではないのですが、それでもあまりにあからさまに作者のミステリに對する奇妙な思い入れが要所要所で際だっている為に、無碍に駄作と斷じることが出來ないんですよねえ。というか、寧ろこういうぎこちなくて、作者の思い入れが入りまくった小説って嫌いじゃないんですよ。
入り口「我らに殘るただ一人の女、エヴァ」における田村と石塚の無駄話も愉しいし、上に挙げた通り、田村と謎めいた少女とのやりとりもいい。ただそれが完全に一編の小説として完結しようとする推進力から大きく解離しているところが大問題でして、私小説フウの、という但し書きをつけて本作を紹介しないと、出來損ないと斷じられて本作の魅力を堪能出來なくなってしまうのではないかなあ、と思う譯です。
作者の作品のなかでは異色作ですが、ミステリ小説として讀まなければ愉しめます。「鏡陥穽」のようなハジけまくった物語性や、「殉教カテリナ車輪」のような端正な構成を抱いたミステリを期待すると完全に肩すかしを食らいます。エッセイふう、或いは私小説として讀めばこの破綻した構成も許せるのではないでしょうか。
それほどの長さではないし、気軽に讀み通せるので、大作の合間にダラダラしながら登場人物たちの會話を愉しむのが良いでしょう。作者の代表作とはいえないまでも、飛鳥部氏のミステリ觀を知りたい人にはマスト。