折原氏の作品の中でも鬼畜系ということでは一二を爭う素晴らしさを誇る本作、とにかく登場人物たちのエグさと、作者らしいアレ系の仕掛けを充分に堪能出來る傑作であります。
冒頭のプロローグでは、放火を行った少年が連続暴行殺人事件の犯人とおぼしき男に出會ってしまうシーンや、ルポライターの五十嵐が奇妙な間違い電話を受ける場面などが描かれます。
ここで不明の語り手によるモノローグが挿入されているところなど、既に作者の仕掛けが始まっているのですが、續く第一部の「暗闇裁判」からは一転して、プロローグで小谷ミカを名乘る女性から間違い電話を受けていたルポライターの五十嵐と、獄中にいる河原輝男との關係が明かされていきます。
河原はかつて五十嵐の戀人であった女性を殺害したとの罪で無期懲役の判決が下っているのですが、事件から十二年を經た今になって、五十嵐に向けて自分は無實だと訴えるという。
五十嵐は編集者からの薦めで再び河原への取材を始めるのですが、河原の無實を証明しえる人物が現れ、控訴審で彼は無罪の判決を受けます。
事件が始まるのはここからで、一躍冤罪の英雄となった河原にタカる支援団体の笹原、そして河原の無實に納得出來ない舊刑事の高山、十二年前の連続暴行事件の被害者の親である瀬戸田などなど、どうにも普通でない登場人物たちを巧みに絡めて、物語はどんどん不穩な方向へと進んでいきます。
とにかく登場人物のすべてがマトモではなくて、冤罪のヒーローとなった河原もその正体は眞性の鬼畜で、彼と獄中結婚した郁江にも辛く當たるし、女のことばかりを考えているという畜生ですからどう考えたってマトモに社会復帰出來るような輩ではありません。
そんな彼を巧みに利用して、左卷きの市民運動を盛り上げちまおうッと不埒なことを考えている支援団体の笹山という男もまたいかにも温厚な表の顏とは裏腹に、河原のヌルい態度に激昂して「このたわけがッ」と叱りつけるような男ですからとうていマトモではありません。
舊刑事の高山も高山で、娑婆に出て來た河原をネチネチと尾行して襤褸を出さないか監視しているというストーカーぶりで、これまた普通ではない。
唯一こちら側の人間と思えるのがルポライターの五十嵐なのですが、彼も殺された戀人のことが忘れられずに、結婚はしたものの今の妻を本當に愛することが出來ないなんてしゃあしゃあといってしまうような男でして、最後には惡戲電話をかけてきた小谷ミカのことを好きになってしまい、……というようなかんじで、まあ結局は上に挙げたような畜生とも紙一重の人間な譯です。
ほかにも少年時代に放火を起こした村越に至ってはそもそもが犯罪者である譯で、これまた普通ではありません。
そんなおしなべて狂人奇人ばかりが登場する本作ですが、これが折原氏のアレ系の仕掛けに絶妙な效果をあげているんですよ。作者の小説ではお馴染みの時折挿入されるモノローグも、いったいこの奇矯な登場人物のいずれのものなのかまったく判断が出來ません。だって揃いも揃って狂人ばかりですから、誰が犯人だっておかしくない譯で。
やがて御約束とばかりに河原の周囲では奇妙な事件が起こり、ついには殺人事件までが引き起こされて、……というところで過去の連続殺人事件は勿論のこと、今回の河原の無罪判決をきっかけに発生した事件の犯人は誰なのかを五十嵐たちが追いかけていきます。
後半の怒濤のような展開は正直かなり疲れます。犯人は意外も意外、ではあるのですが、どんでん返しで驚かすというよりは、とにかく吃驚箱のような仕掛けで讀者の度肝を拔くというのが、作者の初期の作品と大きく異なる點でしょうか。
初期作ではあからさまにアレ系のミステリを仕立てていた折原氏でしたが、前回取り上げた「異人たちの館」然り、本作などは、讀者にこう思わせておいて実は、……という展開ではなく、とにかく何がなんだか譯がわからない状況から犯人がわッとばかりに明かされるような仕掛けの妙が光る作品へと仕上がっています。
本作ではいくつかの複合ネタがうまく処理されていて、作者のこの偏執ぶりには驚き呆れてしまいますよ。勿論いい意味で、ですけどねえ。
本作の河原のモデルは、解説で千街昌之も明かしている通り、小野悦男でしょう。
この小野悦男のことを新聞記事で知った折原氏は、さながら「昼はピエロに扮装して子供たちを喜ばせながら、夜は少年を次々に襲う青年実業家」(平山夢明「異常快楽殺人」)であったジョン・ウェイン・ゲーシーの事件を新聞で見つけて「殺人ピエロだって? いただきッ!」とばかりに「It」書き上げたスティーブン・キングと同じ心境であったに違いありません。
このあたり、折原氏は「分かっているなあ」と自分などはシンパシーを感じてしまうんですが、この小野悦男の事件、冤罪事件にも竝々ならぬ感心を示されている島田御大などはかなり受け止め方が異なるようでして、
浅野「小野悦男さんは結局無罪になりましたよね」
島田「小野さんはそうでしたね。でもあれはめちゃくちゃな話ですから」
浅野「でもめちゃくちゃな話でも一審はとりあえず有罪を出すということで決着をつけたんですよ、一審でいきなり無罪だとカッコがつかないから。一審で有罪だったけれども高裁でいろいろと愼重に調査したらやっぱりシロでしたと。警察の面子もとりあえず立てたし、十年以上経って記憶も風化したろうからもう充分だろうという感じでしたね」島田荘司対談集「奇想の源流」収録、「人権・報道・死刑廃止」浅野健一氏との対談より抜粋
まあ、この對談、恐らくは小野悦男が娑婆に復歸して「やらかして」しまう前に行われたものだと思うんですけど、……それにしても今、この對談を讀み返してみて、島田御大と浅野兩氏はどのような感想を持たれるのか、興味のあるところですが。
さて実は本作を今日取り上げたのも、昨日、「猫は勘定にいれません」のtake_14さんがはてな「マイナー作家が書いたミステリの傑作は?」というエントリで、リチャード・ニーリィの「殺人症候群」を挙げておられたのを見つけたからでして。
この「殺人症候群」、自分も傑作だと思うのですが、本作のなかでは、冒頭、小谷ミカが五十嵐にかけてきた電話のなかで、この作品のことを熱く語っているのですよ。
「ねえねえ、わたし、ミカだけど、この前教えてもらったリチャード・ニーリィの「殺人症候群」、最高だったわ。完全にだまされた。あの結末ね……」
アマゾンで見た限り、一応絶版には至っていないようで、ちょっと安心しましたよ。それでも自分が大好きな「ウサギ料理は殺しの味」はどうやら絶版のようで。これなんか天下の直木賞作家が翻訳している譯ですから、絶版っていうのはちいとおかしいんじゃないですかねえ。
奇矯な登場人物ばかりで展開されるイヤーなテイストが満載の鬼畜系ミステリの傑作である本作、折原一氏の代表作としてもおすすめであります。