予想よりもこじんまりと纏まった佳作といったかんじでしょうか。作者のミステリの特徴ともいえる過剩性は稀薄で、物語の結構も手堅く、コアなファンでなくても愉しめると思います。逆にいうと自分のような人間にはちょっと薄味に過ぎるというか。
「僧正殺人事件」のファイロ・ヴァンスと金田一耕助の共演、なんて聞いただけでミステリファンだったら大きく期待してしまう譯ですけども、この二人の探偵が熾烈な推理合戦を繰り広げるような場面はありません。
寧ろ本作の讀みどころはヴァン・ダインの小説のなかでは素晴らしい英雄ぶりを見せてくれていたファイロ・ヴァンスが、本作では、相棒の「ボンクラ刑事」(坂口安吾「探偵小説を斬る」)であるマーカムとヒューズに小バカにされる役回りであるというところでしょう。この二人の態度があまりにも酷いので、もうこの探偵が可愛そうになってしまうくらいなんですよ本當に。
まず物語は「本陣殺人事件」と「僧正殺人事件」からの引用と、日本人(ジャップ)を嘲笑するマザーグース風の唄が挿入され、そのあとに「僧正殺人事件2」の被害者のひとりである日本人、比奈博士の顧問弁護士の手になる補遺が續き、ここで排日運動をはじめとしたこの事件の歴史的背景が回想されるところから始まります。
この補遺の中で語られるマーカム地方検事はもう完全な惡役で、名探偵ファイロ・ロヴァンスは彼にとっては頭の惡いお荷物でしかありません。このファイロ・ヴァンスのひどい書かれっぷりに自分も最初はニヤニヤと笑って讀んでいたのですけど、彼が登場するシーンではあまりのイジメられぶりに思わず眉を顰めてしまいましたよ。
「僧正殺人事件2」の被害者、アーネッソン教授は書斎で爆殺され、その首は何者かによって持ち去られていました。現場に駆け付けたヒースとマーカムがこの異樣な死体を前にああでもないこうでもないと言い合っているところにこの名探偵は颯爽と登場するのですが、このあとのシーンがとにかく痛い。
ファイロ・ヴァンスの姿を見るなり、ヒースは「努力して唇の兩端の筋肉を吊りあげると、無理やり、笑顔をつくり」、愛想よく振る舞い乍らも傍らのマーカムをにらみつけて、「どうしてこの道化をまた連れてきたんですか。冗談じゃないですぜ。もうこの道化は事件にかかわりあいにさせないという約束だったじゃないですか」とか獨り言を呟いたりするんですよ。
しかしこの名探偵はそんな二人のイヤーな雰圍氣に気がつくこともなく、いかにも得意気に「首がないからには、この被害者は生きていて……」なんて當時の探偵小説であれば御約束の講説を得々と述べる譯ですよ。しかしマーカムもヒースもそんな名探偵には冷ややかです。
おまけに現場に殘されていた封筒が大きな鍵を握っているのですけど、そこから採種された指紋からヴァンスは犯人を左利きの確率が高いというのですが、この時代の探偵小説であれば、犯人が左利きか右利きかに拘泥するのはいわば御約束じゃありませんか。しかしマーカムとヒースはこんな探偵小説的予定調和をあっさりと飜し、ヴァンスの推理にも「ナンセンスじゃないか」と絡んでくる。
何というか、ファイロ・ヴァンスが登場しているシーンでは、こういった當時の探偵小説の御約束を茶化すような描写が際だっていて笑えます。ただあまりにマーカムとヒースが極惡なので、ヴァンスに同情してしまうのも事実なんですけど。
で、物語はそんなヴァンスを嘲笑うかのように、彼の推理を裏切る方向で進んでいき、最後には名探偵に「もしかしたら僕の時代はもう終わったのかもしれない」なんて泣き言までいわせる始末です。で、このヴァンスが「活躍」する第一部「僧正殺人事件2」は犯行現場から「僧正」の署名が入ったメモが見つかるところで終わります。要するにヴァン・ダインの「僧正殺人事件」でファイロ・ヴァンスが示した推理にダメ出しをしてしまう譯です。これはキツい。
第二部からは金田一耕助が登場し、排日運動が吹き荒れる當時のアメリカの世相を織り交ぜつつ、容疑者としてとらえられた日系人を救い出そうと奔走する金田一と辨護士の女性とも活躍が描かれます。
この間に二人の日本人の不可解な死とこの「僧正殺人事件」との關連も明らかにされ、最後に眞犯人が金田一の推理によって暴かれという趣向です。
正史の金田一シリーズと違ってた、彼が關わったあとも続々と人が殺されるような展開はなく、物語は過去に起こった二人の日本人殺人事件を追い掛けるかたちで進んでいきます。このあたりにも大きな仕掛けはなく、最後に明かされる殺人事件のトリックも吃驚するほど派手なものではありません。このあたも作者のほかのミステリ、例えば「神曲法廷」や「妖鳥」などとは風合いが違います。
それと作中で描かれている金田一耕助なんですけど、當たり前なんですが正史の作品に登場する本家本元のキャラとは異なります。寧ろ本作の金田一は作者の「人喰いの時代」で探偵を務めた呪師霊太郎に近い。
巻末のインタビューはなかなか興味深いことがたくさん書いてあって、作者のミステリが好きな人であれば必讀でしょう。
例えば徳間で「女囮搜査官」を担当していた編集者が幻冬舍に移って、「螺旋」や「阿弥陀」が出來上がったことが書かれています。なるほど、女囮搜査官と幻冬舍の作品は同じ編集者でしたか。道理で面白い譯だ、と納得しましたよ(だとすると「妖鳥」も同じ編集者が担当したのでしょうね)。
それと山田正紀が影響を受けた作家として小松左京、都筑道夫を挙げているのは分かるとして、結城昌治の名前をここで出しているのは意外でした。
歴史的名探偵であるファイロ・ヴァンスと日本の名探偵金田一耕助の推理合戦を期待すると肩すかしを食らいますが、デビュー前の金田一の番外編と考えれば意外と愉しめる佳作ではないでしょうか。惡くはないけど、ほかの作者の話と比較すると世界がひっくり返るようなカタルシスもないし、過度な期待はせずに気軽に讀み進めるのが良いと思います。