愉しい一作。
講談社ノベルズの前作、「猫丸先輩の推測」と同じ路線を踏襲した日常系のミステリで、各編のタイトルを他作家の作品のもじりにしているところも同じです。
際だった一編はないものの、どれも手堅く纏めた極上の作品ばかりで、肩の力を拔いてたらたらと愉しみたいですねえ。
最初の「水のそとの何か」はベランダの手摺りに毎日おかれる水入りのペットボトルの意味するところは何かというもので、さながら思いつきをそのまま躊躇うこともなく口にしてみせる猫丸先輩が相当にアレだけども、彼のおどけた推理にいちいち慌ててみせる八木沢も妙に笑える。
續く「とむらい自転車」は、「水のそとの何か」では語り手の「僕」であった八木沢が交通事故に遭い、その事故現場を大西克人が訪れるところから始まります。
彼が事故現場に手向けられた菊の花を眺めて神妙にしていると、タクシーがやってきます。運転手の話によると、この路地で待っている加藤という人物を迎えに來たという。しかし周囲にいるのは自分だけで、大西は譯が分かりません。そうこうしているうちに、次々と加藤に呼ばれたというタクシーがこの路地にやってきて、……という話。
本作に収録されている作品の中ではこれが一番ですかねえ。このタクシーの謎も面白いのだけども、それ以上に冒頭からの仕掛けに見事に騙されてしまいまして。いかにも作者らしい惡戲というか、こちらの方に感心してしまいましたよ。
次の「子ねこを救え」は讀んでいる最中に謎の方はおおよそ分かったのですけど、寧ろ里村真美と植松幸太の關係がいい。そして唐沢畫伯の手になる一言解説入りのイラストがまたいい味を出しています。
猫婆さんの家にいる一匹だけ虐待されている猫を救い出そうとする真美と、彼女を助けることになった植松。真美の何処か調子外れでいて一途な樣子もおかしいが、期待しながらも肩すかしを食らってしまう植松との対比や、笑いながらも植松を路地裏まで追いかけてくる猫丸先輩の描写などなど、妙に漫畫チックな一作。
この漫畫的な風格は、續く「な、なつのこ」も同樣で、天然理心流まで持ち出して西瓜割の講釈を得々と述べる後藤田支部長などは本當に漫畫の一登場人物みたいだし、さらには憧れのマドンナが実はアレだったというオチも本當に漫畫ですよこれは。
テントの中で割れていた西瓜。犯人は誰か、という單純な謎ながら、推理の過程が本作に収録されている作品のなかでは一番論理的で、謎解きという點で選ぶとしたらこの作品でしょうか。
「魚か肉か食い物」は、大食いの早苗がステーキを前にして店を飛び出していってしまったのは何故か、という謎なんですけど、これはちょっと強引かなあ、という氣がしないでもない、……ですかねえ。
最後の「夜の猫丸」だけは他の作品とは趣を異にする一編で、ちょっとした恐怖小説ふうの味つけがいい。ここでは猫丸の推理が空論に過ぎないのかもしれない、しかしもしそれが本當だったら、……という全編に亙る御約束が、ちょっとした恐怖へと転換するという結末が見事。
一人会社に殘って殘業をしている「僕」こと八木沢。オフィスの電話が次々に鳴っては切れるのだが、それは何故かというところで、猫丸が電話で彼の推理を披露するのですが、ここで冒頭の「水のそとの何か」で少しばかり触れた放火犯のことがチラリと述べられるあたり、連作短篇としての味つけが效いています。本作の最後を飾るのにふさわしい一編でしょう。
猫丸先輩のべらんめえ調っぽい語り口やそのキャラも、これだけ册数を重ねていくとすっかり定着したかんじがして、脇キャラとの掛け合いも十分に愉しめます。
初期の長編では華麗な謎解きを見せてくれた猫丸先輩の推理も、このシリーズでは推測だの空論だのということで、本當なのかどうなのか曖昧なまま終わらせてしまうというのが御約束になっているのですけど、この設定をうまく活かした最後の「夜の猫丸」や、「水のそとの何か」で語り手を務めた八木沢が、次の「とむら自転車」では語られる側にまわり、それが見事な騙しを效かせているところなど、連作短篇の御約束をうまくいかした作品集となっています。
難しいことを考えずに、作中人物のごとく猫丸先輩の思いつき推理にいちいち頷きながら讀んでみたい一作。前作の「推測」が愉しめた人だったら今回も買い、でしょう。