倉阪鬼一郎のキャリアからすれば異色作ということになるのでしょうが、なかなかどうして、短い乍らもこういうジャンルの物語であることを利用した見事な仕掛けも用意されていて、このあたりがいかにも作者らしい佳作に仕上がっています。
何しろジャケ帶の煽り文句が「父と娘の深い絆がひとつの奇蹟を生んだ」とあるから、ホラー、ミステリ、ユーモアと、作者のいずれの作風が好きな讀者も今回ばかりは本作を手に取るのを躊躇ってしまうのではないでしょうか。
しかしそういう方もどうかご心配なく。チャンとした仕掛けもあるし、このオチは作者が得意とする幻想小説や恐怖小説ではお馴染みのものでもあります。いかにも人情噺らしい體裁形式を利用して讀者を騙してやろうという作者の心意氣がまずいい。自分はすっかり騙されてしまいましたよ。
物語は江戸指物師の清次や、洋食のコック祐造など、泪坂周辺に集う人々を描いた人情噺というかんじなのですが、主役となるのは、ジャケのあらすじにもある通り、江戸指物師の清二。彼は嫁いでいく娘のために鏡臺をつくっていまして、それがあともう少しで完成というところで或る出來事があり、「娘は手の屆かないところに行ってしま」います(あらすじ紹介そのまま)。
それでも彼は鏡臺を完成させようと作業に没頭するのですが、果たして、……とこの清二の鏡臺づくりと娘に對する思いが淡々と語られる一方で、洋食のコック、祐造も含めた町會に集う人々との交流が描かれています。
最後にこの物語の仕掛けが明かされるのですが、この見事な反転は人情噺であるからこそ活きてくるというものなのでして、この仕掛けとこれがもたらす效果だけ見ても、本作は見かけの行儀の良さとは相反して、いかにも作者らしい物語であるといえるのではないでしょうかねえ。
更にこの町會や祐造の描写がいちいち笑えるのも作者らしいんですよ。スナックに集って皆が歌うカラオケのレパートリーが天知茂の「昭和ブルース」だったりと妙に昭和昭和しているあたりも作者の眞骨頂でしょう。そのほかにも祐造の次男がコックになるべく洋食、中華イタリアンと下積みの間にレストランを転々とするあたりの文章や、燒き芋屋が節操もなくやってくるところを、清次が怒鳴りつけるところなど、妙に笑えるシーンも多い。
という譯で、ホラーの味こそないものの、或る意味ミステリの心理トリックに通じる仕掛けもしっかりあるし、「田舍の事件」などのユーモアものを手がけてきた作者らしいところもあって、やはりこれは倉阪鬼一郎の作品だよねえと思った次第です。
よくよく考えてみれば、小説の骨法に巧みな作者というのは、半村良を挙げるまでもなく、SFやミステリなど異なるジャンルを本職としつつも、こういった人情噺を書くのも巧みです。
倉阪氏の小説は破天荒な展開ながらも、小説の定式や形式を重んじる引き締まった文体とも相俟って、人生の機微だの人々の交流だのといった或る意味古くさい主題もさらりと書き上げてしまう素養を持っていた譯ですよ。ですからこういった作品が作者の抽斗のなかにあってもおかしくはないですよねえ。
ただこの人情噺の側面ばかりをアピールして作者の新境地だのといっても、今までのファンは振りむいてはくれないでしょう。そういう譯で、ここではシッカリと、作者らしい仕掛けがありますよと声を大にアピールしておかないといけません。
長さも手頃、おまけにユーモア、仕掛けと作者らしい手際の巧みさが光る好中編。これはおすすめでしょう。作者のファンは讀んでも損はないです。