田代裕彦氏の「赤石沢教室の実験」が本格ミステリとしても非常に優れた傑作だったので、Style-Fとして同時にリリースされていた本作も手にとってみました。ジャケ帯の「現実と幻想の狹間で搖れ動く、少年たちの哀しき絶望――」という言葉に偽りはなく、とにかく暗鬱で、ドンヨリとした物語の展開という完璧にダウナーな一册ながら、このテのお話が大好きな人には堪らないのではないでしょうか。
ただ自分の場合、ちょっと讀み方を間違えてしまいまして、――というのもジャケ裏には「鮮やかな筆致で描き出される幻想ミステリー」という言葉があり、かつ獵奇的な連續殺人事件が發生するとのことで、この犯人捜しの謎も含めて最後にはこれらに幻想ミステリー的な解明がなされるのかと期待してしまいまして。
結論からいうと、本作はミステリとしてではなく、ホラーとして讀み進めていった方が絶体に愉しめると思います。最後にミステリらしい展開や結末を期待してしまうとかなりポカーンとなってしまうこと請け合いという風格ゆえ、この點さえ誤らなければ幻覚と幻想の境界を取っ拂って讀者を脅迫する悪夢的な情景や、登場人物たちの曖昧な記憶に託した不安定な世界観を満喫出来るかと思うのですが如何でしょう。
物語の登場人物たちはそれぞれが過酷な家庭生活に思い惱むボーイたちで、キ印の母親を持ったトラウマ姉妹(双子)とともに、かつては友達だった引きこもり男の「……魔女が帰ってきた」という謎の言葉に導かれるように參集、界隈で發生している猟奇殺人事件とともに、件の魔女の復活の眞相を追いかけていくというお話です。
ここへ四年前の忌まわしい事件の記憶も絡めて、物語は現在と過去を交錯させながら語られていくのですけど、果たして彼らが共有している四年前の魔女成敗の記憶が正しいものなのかどうかが判然としない。登場人物たちもそれが現実のものだったのか、それとも幻覚茸による幻覚なのかが分からないという譯で、讀者としてはいずれの登場人物の言動を信頼して物語を讀み進めていいのか、このあたりに戸惑ってしまいます。
しかしこの不安定さが物語に不穩な空氣を喚起しているところがホラーとしては秀逸で、ここへリアル世界での家庭問題も添えて、ボーイたちの厳しい現実が描かれていくところは實際讀んでいてかなり辛い。
これが普通のミステリであれば、連續殺人事件を大きな謎として物語の前面に押し出していくのが定石ながら、本作では上にも述べたように、彼らが共有している曖昧な過去の記憶と不安定に過ぎるリアル生活を結びつけながら、全てに歪んだ物語世界を活写していくという構造ゆえ、事件の解明と解決を大期待してしまうと最後に口ポカンになってしまいます。
實際、推理も何もスッ飛ばして件の連續殺人事件の犯人が明かされてしまう最後を讀んだ時に初めてこの作品がミステリーではなかったというところが分かる為、再三再四この作品はミステリーではアリマセン、と何度も警告を発しておく必要があるかと思うのですけど、それでも町中に萬延した茸ビジネスや幻覚症状などの奇妙な事件を織り交ぜながらあのとき本当に何があったのかが次第に明らかにされていく結構には引き込まれました。
最後にはこの風格の物語では定番ともいえる、皆で力を併せてこの悪夢を抛擲しよう、という展開に雪崩れ込み、色々あったけどハッピーエンド、という幕引きかと思いきや、最後の最後でまたまた奈落へと突き落とす惡魔主義的な結末にはかなり唖然。しかしこのイヤ感溢れるラストも、本作をホラーとして讀めば大いにアリでしょう。
ただ不滿もない譯ではなくて、幻想ミステリーと謳いながらミステリー的な趣向は薄味であることや、……ってこれはこの作品そのものというよりは、ジャケ裏に幻想ミステリーと書いてあることに對するものなのでこのあたりは良しとして、登場人物の皆が皆トラウマボーイや駄目親だったりするところは如何なものか(爆)。
このあたりに自分などはかなり引いてしまったのですけど、ライトノベルとかだとこういう風格は普通なのでしょうか。「六十年代生まれの中年オヤジに分かるわけないだろ。あんまりグタグダ言っていると笠井先生に言いつけてやるぞ」なんていう囁きが聞こえてきそうなところがアレながら、幻想ミステリーとしてではなく、上質な幻想ホラーとして讀むのであれば、自分のような六十年代生まれのオジサンやオバサンにも愉しめると思います。この不穩な空氣を宿した幻想性はかなり貴重、井上雅彦氏が驚愕!というジャケ帯の煽り文句も納得の逸品でしょう。