本格ミステリ大賞の候補にあがりつつも未讀だった本作、鳥飼ミステリらしく小技を効せた技巧のうまさが光る好編で、大樹が移動するというとてつもない謎に、前評判としてはその理由が凄い、というものだったように記憶しているのですけど、吃驚したのはこちらよりも事件の動機の方で、この犯人のムチャクチャぶりは正に神。
物語の語り手は女のカメラマンで、前半はアイヌのテーマパーク開発に揺れる村に彼女がやってきて、役場の男と一緒に樹木の移動の謎を追いかけていくのですけど、その間にコロシや議員の失踪などが発生、さらには彼女がホの字だった役場の男も殺されてしまいます。語り手のカメラマンが救援信號を送ると探偵が到着、そこで明らかにされる驚愕の眞相とは、――という話。
本作の語り手の女カメラマンが非常にいい味を出していて、女オンナしていないキャラでありつつも物語が進むにつれて微妙に役場の男の子に心を傾けていくところが秀逸で、本格ミステリに戀物語を添えただけかと思わせておいて、これが後半に披露される推理にシッカリと絡んでくるところは素晴らしい。個人的にはこの樹木の移動のトリックに關してはほぼ予想の範疇だったのですけど、語り手によって記述される前半部の事件の進行によって讀者を誤導させておき、探偵がこのあたりを喝破してみせるところはうまいな、と關心至極。
ちょっと残酷だけど忠告しておこう。キミのプロ意識、それが事実を見えなくしているんだよ。たしかにキミは写真家だ。被写体として対象物を見極める力はここにいる三人の中で一番優れているだろう。それは認めるよ。だがいかんせん、キミの観察力はカメラのファインダー越しにしか発揮されない弱みがあるのさ。
樹木の移動はそれぞれがある意味非常に單純なトリックで、特に探偵が上の台詞でもって語り手を窘めるシーンで明らかにされる仕掛けは本格ミステリを少しでも讀んでいる人間であれば容易に気がつきそうなものなのですけど、このプロの語り手によって語られる「事實」によってそれらの可能性は退けられてしまいます。
この移動した樹木に對する「観察」と對比するかたちで、このすぐあとに彼女がある人物の動作を「観察」した部分について語られるシーンがあるのですけど、ここでは探偵はカメラマンとその人物の心理的側面から彼女の「観察」が正しいものであると推理します。このあたりの地に足のついた推理は非常に説得力があります。
頻発する樹木の移動と開陳されるトリックのトンデモぶりに比較して、時に人間の心理を照射しながら次第に事件の全貌を明らかにしていく探偵の推理の實直ぶりに注目で、推理とロジックの部分をおろそかにしているといわれがちな昨今の本格ミステリにおいて、本作の風格はその逆をゆくものともいえ、また上にも述べた通り、ただ事件のトリックを開陳してはいオシマイ、とするのではなく、最後の最後まで人間の心理に着目して推理を組み上げていくところが素晴らしい。
それゆえに、樹木の移動というトンデモな謎のわりに讀後感は妙に地味な印象を持ってしまうのですけど、個人的には飛躍を退けた推理の組み上げ方だけでも絶賛したくなってしまいます。
またアイヌ問題などを取り上げることで社会派ミステリ的な風格を添え、事件の背後にはこういった社会問題がアリ、というかんじで物語を展開させながらも、最後の最後に開陳される犯人の動機は、こういった社会問題を遙かに飛躍したところに落ちてしまうというトンデモぶりもステキです。
鳥飼ミステリは自分とはアンマリ相性がよくないカモ、なんて感じていたのですけど、本作はこの人間心理に着目した實直推理と犯人の奇天烈に過ぎる動機だけでも大満足。ついつい樹木の移動という謎の大きさに目がいってしまいがちですけども、本作は寧ろ小技を効かせた仕掛けの組み立てと、細やかな推理の展開の巧みさを堪能すべき作品だと思います。