ジャケ帯に曰く、「これが二十一世紀の横溝正史だ」、「綾辻行人氏絶賛!」とあれば、これはもう綾辻ファン、正史好きとあれば讀んでみない譯にはいかないッ、というかんじで内容も方もマトモに確認せずにゲットしてしまいました。
で、正史の名前を出してくるからには恐らく寒村で人がジャカスカ死んでさア大變、というお話だろうと思っていたのですけど実際にその通りでありまして、岩手縣の寒村に東京から醫者からやってくるのですけど、長らく醫者もいなくて困っていた寒村ゆえ、この醫者の来訪は村人挙げての大歡迎、しかし彼が着任する前の醫者っていうのが不審死を遂げているらしくイヤなかんじ。そんな中、村に傳わる昔噺に見立てた連續殺人事件が發生、さらにはデカ熊も出没して村人を襲いまくる。果たして連續殺人の犯人は、そして熊に襲われる村人の運命は、……という話。
舞台が寒村というだけでこの物語を正史リスペクトの作品とするのは早計で、結論からいうと自分は本作に正史らしさをマッタク感じませんでした。例えば選考委員の北村薫氏は本作について曰く、
選考会に臨むまでは、≪これはないだろうな≫と思っていた。横溝正史的すぎ、また犯人の設定なども、いかにも本格の公式通りと考え、物足りなかったのだ。しかし、選考会での支持者の、≪単に横溝の世界と見るのは誤りで、そこに新しい視点が加えられているところが魅力的だ≫という説を聞き、≪なるほど自分の読みが短絡的であったか≫と納得させられた。
横溝ミステリの場合、舞台が田舍というのも定番ながら、やはり個人的には「家」を中心に据えた事件の構図があって、そこに動機や仕掛けを絡めて物語を構築していくという印象があるのですけど、本作では舞台こそ寒村とはいえ、そこでは産廢処理や過疎に搖れる昨今の現代的な問題が大きく取り上げられてはいるところが新機軸で、村の因習そのものはあくまで添え物程度に過ぎず、叉この寒村を呪縛している「家」たる權力者の存在も希薄です。
寧ろコロシにあってしまうのは、自然保護活動に御執心の住職や、産廢問題で住人と揉めている村議會のセンセイなど、ここには新本格以前の社会派ミステリの視點こそあれ、正史や或いは新本格以降の復古主義的な風格はありません。
確かに村に傳わる昔噺の見立てで殺されていくという展開には正史へのリスペクトも感じられ、何故犯人は見立てを行うのかというところから容疑者を起こしていくところには相應のロジックも見られます。
しかし例えばここにしても、探偵は見立て殺人を行う可能性があるのは二つのパターンがあるといいつつ、もう一つの可能性についてはマッタク無視して推理を薦めてしまうという俺様主義を発揮するテイタラクでありますから、本格マニアがここに霞ミステリの超絶消去法ロジックを期待するのは大間違い、本作におけるロジックは、見立て殺人から感じられる一見正史フウな風格を際だたせる為の趣向のひとつに過ぎません。寧ろ作者が本作で目指していたのは新本格以前の社会派ミステリの作風に火曜サスペンスドラマ的なテレビ映えする物語の展開だったのではないか、と思うのですが如何でしょう。
實をいうと、最近讀んだ作品の中では讀みとおすのにかなり辛く、個人的にはかなりアレな作品だったのですけど、では何が自分に合わなかったのかをうまく説明出来ないので、こうして感想を書きつつもいったいどうやってこの作品の雰圍氣を伝えればいいものか困っています(爆)。
例えば桐野氏は選評の中で「ただ、人物描写が不足しているため、人物の魅力が伝わらないのは難点である」といい、女性の登場人物の「差違がよくわからない」と述べています。自分もこの點については桐野氏に全面同意出來てはしまうものの、しかしここで「人物の魅力が伝わらない」なんて、新本格ミステリへの罵詈雜言にも通じる抽象的な批判を受け入れるわけにもいきません。こういった批判を行おうとするのであれば、ではここでいう不足とは何なのか、或いはどのようにすれば本作の「人物描写」は不足していないということを示すことが出來るのかというあたりを考えていくのは、各に「宿題」を抱えている本格ファンとしては當然のことでありましょう。
という譯で、色々と考えてみたのですけど、まずあらすじを讀めば分かる通り、物語の舞台となる寒村へ醫者がやってくるや事件が發生というところから、この男が件の事件に大きく絡んでいることは予測出來るものの、この男は登場人物の一女性の視点から「何だか譯アリな男」として描かれていきます。しかしこの男がこの女性の視点から見た場合時として「譯アリ」ならぬ「譯分からない」男と見えてしまうところがアレで、勿論この譯が分からない理由も物語が進むにつれて、友人の不審死に絡めて明らかにされてはいくものの、これが最後の最後に寒村という舞台の中で閉じていた事件の真相が、男の人生そのものに回歸していく急轉には目がテンになってしまいます。そうするのであれば、もう少し前半部から男の人生そのものをシッカリと際だたせておく必要があっただろうし、……なんて思ってしまいます。
また暫くしてこの男の妹が寒村に押しかけてきて、この女もまた兄と同時に男の不審死に大きく絡んではいるのですけど、寒村の連續殺人事件との連關は見えてきません。勿論この途中から舞台に上がってくるところにも含めて、この女性の登場の仕方にはシッカリとした理由があるのですけど、これが推理の部分に到るまでマッタク見えてこないところがまた辛い。
これが普通のミステリだったら、この舞台に外からやってくる醫者を語り手に物語を進めていくのが定石ながら、本作にはそれが出來ない理由もありまして、物語を牽引するのに相應しい人物がことごとく影が薄いのにも本格ミステリ的に見ればそれなりに納得は出來るものの、ではそのような人物描写が薄いと取られてしまう危險性を回歸するべく何かしらの技法が本作に採られているかというと、……個人的にはそのあたりを讀み取ることが出來ませんでした。
また上にも述べたようにロジックという點でもかなりの不滿が残り、このあたりから本格ミステリ的な讀みを行えば落胆は必至という内容、さらにはジャケ帶の煽り文句通りに正史ミステリの風格を期待すれば、これまた産廢処理だの醫者不足だのといった社会派ミステリ的な「ギミック」が要所要所に添えられているという作品ゆえ、このあたりでも本格理解者の受けは惡いのではないかなア、という氣がします。
という譯で、ボンクラの自分には今ひとつ本作の技法や技巧は讀めなかったというか、愉しめなかったため、ここはプロの評論家や作家の方々が本作をどのように讀み解くのかに期待しつつ、今日はこれくらいにしたいと思います。