割り算の文學としての土屋ミステリの素晴らしさは勿論なのですけど、やはりキワモノマニアとしては要所要所に光る御大のムッツリな風格も絶對に見逃せない譯でして、千草檢事シリーだとそんなムッツリぶりも控えめながらこれが短篇になるともう、ムッツリとエロスの大盤振る舞いであるところは皆さんもすでにご存じの通り。
で、本作もノンシリーズの長編とはいえ、「犯人も被害者も犯行の現場も、さらに言えば動機も方法も不明の殺人事件」という魅力的な結構に、インポ男の淫靡な妄想と精緻な推理が際だつ逸品です。
やや輕めの社會批判を添えたプロローグから、語り手である男の、いやらしい惡戲電話のエピソードへと流れる展開もスムーズで、一氣に引き込まれてしまいます。この語り手の男というのが大學の先生でありながら事故によってインポになってしまってからというもの妻との夜の生活もナッシング、その結果、妻は男の知り合いである男と浮氣に走り、擧げ句に不倫旅行先の温泉宿で焼死体となって発見されます。
この妻に裏切られたという悔しさと恥辱から男は歪んだ妄想ワールドへとダイブ・イン、夜な夜な惡戲電話を仕掛けるという快樂に目覚めてしまいます。惡戲といっても、これが大石センセだったら鬼畜ワールド全開の凄まじいエピソードがテンコモリとなる筈が、土屋作品においては何よりも登場人物の小市民ぶりに大注目な譯で、本作の語り手もその法則通りに惡戲電話の先で奇妙な會話を聞いてしまったから犯罪へと巻き込まれてしまう。
その會話からタッタ今旦那を殺したばかり、……みたいな奇怪なメッセージを受信してしまった男は、會話の端々に添えられていたキーワードから事件の全容を炙り出していくという結構で、前半から男の推理は大全開。殺しの影に女アリ、と惡戲電話に出た惡女の姿に自らの亡き妻の姿を重ね合わせて夜な夜な電話を仕掛ける男の偏執ぶりはあまりに異常。
「待ってよ。ねえ、ほんとに、あんたは誰なの?」
「シャーロック・ホームズ」
「ふざけないでよ。わたしが何をしたって言うの。あんた、そんなに喋りたかったら、警察へでも密告したらどうなの。わたしは、ちっとも驚きませんからねえ」
「ご安心ください。わたしは警察に協力する意志はない。寧ろ、彼らはわたしの敵です」「なにか悪いことをしているのね」
「そうです。前科十三犯。半生を牢獄の中で過ごした男です」
「……」
「その罪名は、ぜんぶ強姦です。それも、亭主を裏切り、不貞をはたらいた女だけを相手にした。そういう連中は、根がスケベエで好色です。一年中、股を開いて男を誘っている。だから、強姦している最中に、わたしの耳へ口をよせて、好きよ、いいわ、あしたもまた強姦してね、と抱きついてくる女もある。それどころか、中には、もっと凄い人妻がいて……」
探偵でありながら、變態男として惡女を追いつめていく行為に勤しむところはスッカリ犯罪者とはいいながら、會話のキーワードから時に妄想を爆發させながらも怜悧な推理によって眞相に近づいていき、また時には現場へと足を運んでみる行動派なところも見せたりと、樣々な顔を持った語り手の造詣がまた見事で、探偵として眞相に近づいたがゆえに、結果として新たな犯罪に巻き込まれてしまい、最後には土屋御大お得意の惡魔主義的な結末によって奈落のドン底に突き落とされてしまうというオチも素晴らしい。
また探偵としての役割から、後半、犯罪者へと堕落していくところの變轉も見事で、ミステリの構造に着目すれば、探偵の視點から物語を綴っていく通常のミステリから倒叙へと轉じていく構造といえる譯ですけど、自らの犯罪妄想を爆發させる「エデンの審判」の章からは、男の語りも基督教的な幻覚妄想を交えて、さながら幻想小説的な雰圍氣を帯びてきます。
男が妄想の果てに完成させた見立て殺人では、無花果の葉のかわりに妻が生前に植えていたクチナシの花を代用するというエピソードがあるのですけど、このあたりの妻の不貞にたいする妄執ぶりも強烈です。
エロと惡戲を交えて事件の真相を推理する前半部の語りと、後半、自らが犯人となって異樣な見立て殺人を着想してからの語りの變化によって、事件のベクトルの反轉をより際だたせているところなど、短い乍らも非常に精緻につくりこんだ風格の際だつ逸品でしょう。
また、中盤で語り手が卷き込まれることになるもう一つの事件において、そのトリックを暴くヒントを偶然に見つけるあたりが、千草検事シリーズに典型的な土屋ミステリの風格をそのまま踏襲しているところも面白いと思いました。
地味な逸品ながら、今だと後半の基督妄想も交えて男の歪んだ犯罪計画が進んでいく展開など、倒叙ミステリの結構を持ったサイコものとしても愉しめるかもしれません。