珍作目白押し、アシベマニアに贈るコレクターズアイテム。
四六版のソフトカバーとかのムック本ならまだしも、シッカリとした單行本の體裁で「ひとり雜誌」と銘打ってあるところからして妙なかんじなんですけど、実際の内容の方もこれまた珍奇というか、奇天烈なネタが目白押しという逸品でありまして、當にアシベマニア「のみ」に贈るコレクターズアイテムの一册です。
収録作は、太平天國時代の大陸にクトゥール神を現出させる惡ノリぶりが光る「太平天国の邪神」、イブン・バットゥータを語り手に逆説と超越論理の應酬がマニアの恍惚を誘う「カンバリクの盜賊」、若書きながら何処か「新青年」や「宝石」の時代を髣髴とさせるレトロな風格が際だつ短篇、「二つの扉」、「飛蝗事件」、「カイン屋敷」。
究極の探偵物語を謳ったやりすぎ掌編「探偵の使命」、「そして誰もいなくなった……はずだった」、「安樂椅子探偵の悲劇」、懷かしのレトロ風味溢れる極上SF「太陽系七つの秘宝」、SF小集の體裁をとりながら仕掛けと技巧に懲りまくった掌編「美食はエリートの楽しみ」、「心霊写真」、「地球軍大勝利」。
パスティーシュとパロディの大饗宴と喧伝しながらも決してボクら派には轉ばない奇想が光る「異説・女か虎か」「女も虎も」。大時代的な探偵小説の結構のみを抽出して、メタ志向を極めた「冒険活劇大ロマン!」「前回までのあらすじ」。
十八歳のときの幻のデビュー作「絶景十津川郷」、レトロ派のボヤキから探偵小説の自壞をドキュメントする「少年ヒーローは死なない」、「かくして物語は終わりぬ」など。
まず発表した媒體が「別册幻想文学」から「創元推理」、「観光春秋」、「毎日新聞」ともう、ほとんどゴッタ煮の樣相を呈している為に、一册としての統一感はないとはいえ、逆にいうとこの何でもアリなところは當にひとり雜誌。その中でもやはり一番のウリは冒頭を飾る短篇二編「太平天国の邪神」とカンバリクの盜賊」でしょう。
特に「カンバリクの盜賊」は、イブン・バットゥータを語り手に据えて、大ハーンの国に出没する盜賊事件の顛末を推理するというもので、逆説と・莖倒のロジックが炸裂する後半の展開は當に恍惚。
芦辺氏曰く、この作品は「アラビアンナイトものとか、……異国趣味たっぷりな作品を思い浮かべていただくと嬉しい」とあるのですけど、作者らしい大時代的な雰圍氣も濃厚な語りの素晴らしさは勿論のこと、個人的にはやはり「創元推理」に発表された短篇ということもあって、その奇天烈なロジックを収束させる為に、ある人物がアレにアレなところに注目でしょう。チェスタトン的、或いは連城的ともいえる転倒ぶりに本格ミステリマニアも満足出来る逸品ではないでしょうか。
一方、「太平天国」の方は、もうタイトルに邪神とあるところからクトゥールものであることはバレバレながら、このあたりは芦辺氏も確信犯でありまして、激動の時代、戦争の時代に絡めて太平天国の宗教ネタに邪神を結びつけてしまう奇想がステキです。
もっとも中国大陸でクトゥールとあれば、朝松健氏の歴史的傑作「崑央の女王」を思い浮かべてしまうのですけど、あちらが蜥蜴ならこちらは蛙とばかりに、カットバック的に舞台を繋いでいく手法で映畫的なサスペンスを強調してみせるやりかたを採用、次第に邪神の正体を明らかにしていくという構成です。
「ミステリマニア諸氏に捧げる究極の探偵物語三連発」と題した「名探偵の使命」と「そして誰もいなくなった……はずだった」「安楽椅子探偵の悲劇」はもう、このまま一歩、いや半歩間違えば増加博士の二の舞になりかねないというギリギリのところで踏み留まり、極上のナンセンスとユーモアで見事な掌編に纏めあげた作品です。
何処かメタ的な志向を感じさせるところがいかにも芦辺氏らしいのですけど、これだけの惡ノリでも目減卿の悪夢に堕ちないところは作家としての格の違いなのかそれとも、……なんて考えてしまうのですけど、思うにこれは芦辺氏が自作の風格がマイナーであることを十分に心得ている故ではないかなア、と思うのですが如何でしょう。
自分の作風が昨今のエンタメ業界、否、ミステリ業界でもマイナーであるという心情吐露が収録作の隨所に感じられるところが、自分のようなキワモノマニアには時に辛く、例えば「少年ヒーローは死なない」の冒頭などは「何というか、そういう時代じゃないんですよ」というボヤキから始まり、少年探偵や少年記者といった「ボクら派」の萌えキャラについては、「いつしか彼の姿を見ることは稀になった」と溜息をついてみせます。
しかしそういった自らの立ち位置がマイナーであることの自覚が謙虚さを生むという側面は無視できるものではありません。このあたりが、我こそは本格ミステリの神であり王であるかの如くに振る舞い、これは本格、あれは本格に限りなく近いけど本格じゃない、……っていったい本格なのか本格じゃないのかハッキリさせて下さいッ!、なんて思わずこちらがツッコミを入れたくなってしまうような不可解な発言を繰り返すことによってミステリ業界を混亂に陷れようとするような本格理解「派系」作家の首領と芦辺氏との大きな違いではないかなア、なんて考えてしまいました。
未發表作品である「二つの扉」、「飛蝗事件」、「カイン屋敷」の三編はいずれも至極眞っ當な本格の結構を持ちながら、物語の展開や雰圍氣が「新青年」時代の昔テイストであるところが興味深く、また探偵森江が地味どころか存在感がまったくない、意味不明なキャラになりはてているところも森江ファンは注目でしょう。これがもう、地味とかそういうレベルじゃなくて、ただ推理する為だけに舞台の末席を汚しているようなネクラっぽさには吃驚ですよ。
そのほか、幻のデビュー作「絶景十津川郷」では、探偵小説の構成でありながら、ネタには洒落た転倒を添えているところなど、事件に仕掛けたトリックよりも、物語に仕掛けた技巧にこだわりを見せる芦辺氏の風格を感じることが出来るのも良い。
という譯で、限りなくマニア向けの作品ばかりながら、逆にいうと芦辺氏の作品が大好きという熱烈ファンであれば大滿足の一册でしょう。自分は最高に愉しめたのですけど、メタりまくりにボヤキと惡ノリを極めた風格に胸やけを起こしてしまうやもしれず、芦辺作品の初心者はとりあえずスルーした方がいいカモしれません。しかしこれを讀んでハマれた人は芦辺氏とは相性が最高、ということになるかと思います。