「窓のあちら側」に續いて早くもリリースされたふしぎ文学館シリーズの最新刊。これがジャケ帯にもある通り、當に「怪奇、冒険、幻想、SF」を織り交ぜたところへ、ユーモアと、何ともいえないナンセンスの風味を添えた傑作綺談集でありまして、大いに堪能しました。
基本的に明治時代の新聞の切り抜きを冒頭に掲げ、この記事にまつわるエピソードを押川春浪とともに語り手のぼくが語るという結構で、収録作は、下っ端の神樣を名乗る惡戲女のキ印ぶりに春浪が翻弄される顛末を描いた「遊神女」、幽靈船での晩餐と呪いの眞相を探る「幽靈船」。
木偶と人間の間に生まれた新人類の末裔の物語「木偶人」、宇宙人を名乗るキ印老婆「来訪者」、火星人とのコンタクトにトンデモな時空移動装置の顛末も添えた「星月夜」、巨大蚤に曲藝をやらせるという奇想がハジける「曲馬団」、繪畫と美女の幻想奇譚「飛胡蝶」、戦争大好きな死神博士とのランデブー「蝉時雨」、銀白色の虹に導かれて暗黒宇宙へとダイブする「落葉舞」など全十二編。
まず冒頭の「遊神女」からして妙チキリンな風格で、ミルクホールでマッタリしていた春浪に女が声をかけてくるのですけど、自作を襃めていたところからいきなり「ところで先生は神の存在をお信じになっておられまして?」とアレな方向へと話を振ってしまいます。果たしてこの女はキ印なのか、それとも……、という話。神樣を名乗りながら神通力を惡戲レベルでしか発揮しないという転倒が、この飄々とした風格に合っているところがステキです。
「幽霊船」は「マリー・セレスト号」の怪異から轉じて、晩餐を御馳走になった船が消失してしまうという奇天烈なエピソードの謎解きを行っていくという展開です。勿論、その眞相を探るとはいえミステリではありませんから、怪異は怪異のままその幽霊船の正体が明らかにされる譯ですけども、春浪と幽靈船の連中との會話が惚けていながらも、何とも言えない哀愁を誘うところがいい。
「木偶人」の幕引きにも叉「幽靈船」に通じる哀愁があって、人間が生み出した木偶と人類との間に生まれたものの末裔である人物の宿業が語られます。ここでは河童の民話が木偶と意外なかたちで結ばれるお話には吃驚してしまいましたよ。
ユーモアと哀愁郷愁を交えた作風も見事なら、人間世界を見つめる目線も個性的で、明治時代の物語でありながら、作中に登場する異星人たちの言葉は、春浪の語りを介して現代に生きる我々讀者に向けられているところが秀逸です。そして「来訪者」に登場する宇宙人の老婆が語る未來の地球の姿と、その見方に對して素直に戸惑いを感じて「考えれば考えるほど、頭が混乱し」てしまう春浪のキャラもまた素晴らしい。
こういった普通小説的な巧みさも勿論なのですけど、キワモノマニアとしてはやはりハジけまくったナンセンスの風格にも大注目な譯で、この中では火星人とのコンタクトに挑む「星月夜」と、蚤の大サーカスというバカバカしい奇想が炸裂する「曲馬団」がいい。
「星月夜」では、火星人とのコンタクトに成功したにもつかの間、無線通信装置で感電死のすえ、件の人物が黒こげの屍体で発見されたり、その火星人からのメッセージというのが人類皆兄弟なんて理想論からは大きく乖離した内容であったりとそのバカバカしさには大笑い。最後には「自転車を三十秒漕いで火星に到着」という夢のような「宇宙空間歪曲移転装置」が登場したりと、ネタの詰め込み具合は収録作の中ではピカ一でしょう。
「曲馬団」は、まずサーカスをさせる為に蚤を巨大化させるという奇想がマルで、冒頭、「三人の若い婦人が、何者かに身体の血を拔かれて死にかかっておった話」なんていうのが語られるものですから、巨大化した吸血蚤と人類の一大バトルが展開されるのかと思いきや、話は蚤に曲藝を叩き込んでサーカスを開催、という莫迦過ぎるネタが炸裂。このバカバカしいほどの脱力ネタも、飄々とした語りで語られると見事に愉しい物語へと大化けしてしまうから不思議ですよ。
「飛胡蝶」は、収録作の中では珍しく、語りの中で一つの物語で独立したかたちでシッカリと描かれるという構成で、メリケンでの謎の女の正体が明かされるという幻想譚。これまた作中作的な結構のメリケンエピソードの外枠へ、春浪たちのおしゃべりを添えたことでシッカリとシリーズのお話に纏まっているところは流石です。
登場人物のすべてが何処か憎めない、ユーモアいっぱいのキャラであるところが本シリーズの基本路線ではありますが、そんな中唯一、戦争大好きという邪悪な死神野郎が登場するのが「蝉時雨」で、戰意を高揚させるメソッドを編み出したという死神野郎が雀を使って実驗を行う現場に春浪が居合わせる……。ここへ日露戦争の影も添えて何処か邪悪な雰圍氣を交えた物語へと仕立てた短篇ながら、最後はやはり春浪、という一言で見事にしめくくります。
「落葉舞」は、虹や複数の衞星というネタが何処となく、我らがキワモノマニアの神、式貴士の最高傑作「虹のジプシー」を髣髴とさせる作品です。勿論、あちらは長編で、こちらは短篇という構成ながら、もしかした二作には相通じるネタ元があるのカモ、なんて思いました。
明治から見た未來、そしてそれを現代の視點から回顧するという獨特の目線に、飄々とした風格とナンセンスを交えた作品をズラリと取りそろえた一册で、個人的にはまさにふしぎ文学館らしい作品集だと感じた次第です。
奇想とナンセンス、そこへ脱力の風味も添えた作品ということで見れば、佐野洋御大の「F氏の時計」と竝べるのもアリかな、とか、自分みたいなボンクラにも優しいSFの風格ということであれば眉村卓御大の「虹の裏側」とともに讀んでみるのもいいカモ、とか色々なことを考えてしまいました。
讀みやすい文体、絶妙なナンセンスとユーモア、そしてそれらの作品を支える編集の妙、と一册の本としても完成度の高い本作、ふしぎ文学舘のファンであれば勿論マスト、またこのシリーズの入門編として讀むというのもアリではないかと思います。オススメ、でしょう。