輕さの擬装、歪んだ世界。
「ウンタラカンタラ」殺人事件とはいえ、作者はあの皆川博子女史でありますから、當然、普通のトラベルミステリーではありません。内容の方はというと、「世阿弥を歩く」とかいう能研究旅行にカメラマンとして驅り出された主人公が佐渡で奇天烈な殺人事件に遭遇、……ってこれだけだと普通の推理小説なんですけど、何しろ殺人事件が起こるのは能の舞台の眞っ最中。
それも普通、こういうお話だったら能を演じている人物が舞台上で昏倒、背中にはナイフがグサリと突き刺さっていて、みたいな衆人環視の殺人という展開になるのが御約束じゃないですか。しかし本作の場合、能面かぶって舞台で演じていた人物が突然拔き身を振りかざして観客席に向かってきたというから尋常じゃない。
この樣子をビデオにおさめていた主人公は撮影機材を放り出して逃走。で、歸ってきてみたら觀客席では能面の人物に刀で切られた女性が転がっていて大パニックの状態、とここからして既に作者らしい歪んだ世界がめいっぱいに展開されているところが素晴らしい。
しかし問題はここからで、トラベルミステリーらしい風味を添えようとしたのか、真面目を裝って實は女好きという主人公を探偵に、どうにも輕過ぎる會話が氣になります。とはいえ中盤に展開される、世阿弥が佐渡で書いたという文書が僞物かどうかを巡って主人公たちが推理を巡らすところはなかなか面白く、その記述と當事のようすとの矛盾點を指摘しながら、それは後世の人間が書いた偽書である可能性が高いと喝破するところから、それが件の奇天烈な殺人事件の動機へと結びついていくところは秀逸です。
で、第一の殺人である能面の殺人鬼はそのまま逃走して行方不明となり、舞台裏ではその役を演じる筈であった人物が薬を嗅がされて昏倒していたところから犯人は誰なのか、という展開になっていくのですけど、このあとも深夜に女性が心不全という、どうにも煮え切らない死因で御臨終となれば、これを連續殺人事件と疑ってかかるのは至極當然でありましょう。
しかし能面殺人鬼が衆人環視の中で刃物を振りかざして觀客席に飛び込んでくるというド派手な第一の殺人と、深夜に心不全で殺害、とあまりに地味な第二の殺人との間には大きな違いもあって、後半はこの違和感を仄めかしつつ、犯人は意外とアッサリと明かされてしまいます。
何だかモテ男に對するやっかみも交えて主人公の推理が進められているように感じられるところがちょっとアレなんですけど、探偵たちはとある人物を焚きつけて、この第二の殺人の犯人と思しき人物をけしかけ、どうにか自白を引き出してやろうと画策するも、しかしそれが思いも寄らぬ眞實を明らかするという意想外な反転には吃驚でした。
中盤の僞書を巡る推理もひとつの見所でしょうけど、ミステリの仕掛けとして見た場合、やはりこの二つの殺人の間に蟠る違和感が、探偵のデッチあげた奸計によって思わぬ展開を見せるというところに注目でしょうか。
正直、皆川女史と作品とはいえ、息苦しいまでの呪縛力で讀者の心を鷲・拙みにする短篇に比較すると、輕さを裝った登場人物の會話やところどころに挿入される主人公のアレっぽいボヤキなど、その魅力をやや削いでしまっているところがあるのは惜しいんですけど、それでもこの世界全体が歪んでいるような感覺が物語全体を覆っているような雰圍氣はやはり貴重。
表面的には輕さを裝っても世界の歪みや亀裂を隱し果さない點で、何となく竹本健治氏の「狂い咲く薔薇を君に 牧場智久の雑役」にも通じるものがあるような氣がしました。あの作品集に収録された短篇もそのすべてはいかにも輕いノリの学園もの乍ら、中町センセの社内殺人シリーズも眞っ青なほどにジャカスカ人が殺されていくというシリーズで、ワイワイと盛り上がりまくる學生たちの異樣さと、そこから釀し出される世界の異常っぷりが個人的にはツボだった譯ですけど、本作でもトラベルミステリっぽい今フウの物語世界が能面殺人鬼の奇天烈な犯行によってひっくり返るところなど、面実の印象と実際に展開される物語の實相が大きく異なるというところは意外や共通するものがあるのでは、などと思った次第です。
それでも皆川女史の大傑作「聖女の島」のように全編、息の詰まるような異樣な世界が現出する作品とはその風格も大きく異なるゆえ、やはりミステリの長編でまず作者の作品を、というのであれば「聖女の島」、そして短篇だったら千街氏渾身のセレクトを満喫できる「皆川博子作品精華 迷宮ミステリー編」ということになるでしょうかねえ。