こんなイエス様見たことない!
歴史ミステリの範疇に入る作品なんでしょうけど、中の物語自体は「それ以前」「それ以降」「一年後」と大きく三部に分かれていて、その前後に「前書き」「後書き」があるところがミソ。この「前書き」「後書き」にはアブド・アッラーフなるエジプト人の署名が添えられていて、小森健太朗という日本の作家の手になる物語ではないんだぞッ、といういかにもな構成が胡散臭くさをムンムンに釀し出していて素晴らしい。
物語の語り手はエジプト通商隊の一員の「わたし」で、彼は最近噂にきくイエスという男に興味を持ち、イエスに会った、話を聞いたという人物たちに聞き込みを始めます。ユダヤ人、ギリシャ人、そして宗教も異なる樣々な人間へインタビューを試みて、そのイエスの人となりを探っていくのですけど、とにかく人によってイエスの印象がてんでバラバラ。イエス様ってもしかして分裂症じゃないのというくらいに、人から話を聞けば聞くほど譯が分からなくなってくるというあたりに、イエスという人間の複雑さが如實に現れています。
関係者が語る内容のいくつかは聖書から引用されているんですけど、個人的にはエルサレムの寝殿に露店を出していた連中にブチ切れたイエスがメチャクチャに暴れ回るエピソードがいい。そのほか、安息日に人がいないのをいいことにチャッカリ他人様の畑を荒らして麦の穂を盗んでしまうとか、聖人然としたイエスの姿のみならず、いかにも人間っぽいキャラの部分もしっかり描写しているあたりが冴えていますよ。でも敬虔な基督教徒あたりがこれ讀んだら卒倒してしまうんでしょうか。しかしエルサレム神殿での大立ち回りは確か聖書にも書いてありませんでしたっけ。これって呉智英センセが本に書いていたような。
で、「それ以降」では再びエルサレムに帰ってきた私がイエスの処刑を耳にするところから始まります。処刑されたのみならず、生き返ったというから、その奇蹟の怪しさに俄然興味を持った私はまたまた探偵活動を再開、イエスの復活の眞相を見破ろうと関係者への聞き込みを開始します。
イエスの処刑が慣例に反して金曜日に行われたことなど、合点がいかない点に鋭いツッコミを入れつつ、イエスの死体が安置されていたという洞窟まで赴き現場検証まで行うという氣合いの入れよう。謎のポイントは、イエスは本當に死んだのか、という点と、安置されていた洞窟からイエスはどうやって脱出したのか、という二点でありまして、いずれも妙にアッサリと謎解きがなされてしまいます。
ああでもないこうでもないと迷走しながらの展開があるかと思いきや、イエスの処刑に關しては関係者の証言から「わたし」はその謎を解き、さらに密室ともいえる洞窟からの脱出トリックも、洞窟を調べていた時に出会った男の話から容易にその仕掛けを見破ってしまいます。このあたりがちょっと物足りないですよ。
もっとも短い頁數故に盛り上がりそうな謎解き部分を驅け足で濟ませてしまうというのは仕方がないのかもしれませんが、ミステリとして見た場合ちょっと弱いですかねえ。しかしここで物語が終わる譯ではなく、次に、では生きていたイエスはいったい何処に行ったのか、という新たに謎が浮上してきます。一年後、私はその土地を目指してゆくのだが、……というところで物語は終わり、「後書き」で、復活の後、イエスは何処に向かったのか、ひとつの假説が呈示されます。
大仰な仕掛けもなく、前半部の大半を占めた聞き込みの部分は些かだれてしまうのがアレなんですが、第二部に入って、イエスの復活の謎を探っていくところはなかなか讀ませます。そしてミステリとしての結構は弱い乍ら、平易な文章とも相俟ってすらすらと讀めてしまうところが作者らしい。
なかなか愉しめたのは事実なんですけど、それでもやはり物足りないですかねえ。「ローウェル城の密室」そして「コミケ殺人事件」というキワモノ系の作風を求めてしまうのが間違っているというのは分かっているんですけど、それでも本作のように破綻もなく行儀よく纏まったミステリを作者から手渡されると、どうにも背中のあたりがムズムズしてしまうというのは困ったものですよ。