正統派にして技巧派。
どちらかというと實話怪談の印象が強くて、自分の好みとは違うだろうと通り過ぎていた福澤氏の處女作。クラニーや牧野氏ともまた違った、ひたひたと忍び寄る恐怖と狂氣が美しい全十篇、思い切り堪能させてもらいましたよ。いやあ、何故今まで讀まないでいたのか激しく後悔しています。
ミステリ的ともいえる技巧は倉阪氏の短篇よりも冴え渡り、その風合いは井上雅彦に近いような氣がします。さらに中年男が日常から立ち上る怪異にずるずると卷き込まれていく靜謐な筆致は牧野氏の處女作「屍の王」を髣髴とさせます。それでいてこちらは血や腐肉の香りのしない、純粋な怪異譚で纏めているところがまたいいんですよ。
表題作となる「幻日」からしてその筆は冴えています。凡庸な中年男の冴えない日常がネチネチネットリと描かれる冒頭は、四十路をまもなく迎える自分的には何ともいえないイヤーな感じ。客のミスだというのに、ひたすら米搗き飛蝗みたいにペコペコ頭を下げなければいけない主人公の男の、うらぶれた哀しさ、たまらなさ。そしてその主人公を「あんた、いいかげにしてもらわないと困るんだよ」と叱りつける、「首が見えないほど太った小柄の」男のいやらしさといったらもう。
で、この冴えない中年男の主人公は通勤二時間の電車の中で、ある女に出会います。電車を降りて暗い路地にうずくまっている女を見つけ、驅け寄ってみると何と電車の中で見たあの美しい彼女じゃありませんか。彼は彼女のマンションに行くのですが、そこで女と関係を持ってしまいます。
そのまま男はイヤな日常から逃れるように、電車を降りると家には直行せずにフラフラと繁く女のマンションに行ってしまう。こんなかんじで女と不倫の関係を續けていると、どうしても女が何者なのか氣になってきます。しかし女は女房とは別れて君と結婚したいという男の言葉をはぐらかし、自分のことは頑なに語ろうとしない。男はどうしても氣になって、昼間、女のマンションを訪れるのだが、……という話。
この女の正体がいかにも實話怪談フウなのですが、本作はここで最後に素晴らしいヒネリを入れて、恐怖譚というよりは幻想小説へと傾斜した素晴らしい掌編に仕上げています。
短篇ドラマにしてくれませんかねえ、これ。美女の配役は日本畫の松井冬子様で御願いしたいところですよ。
續く「怪談」もそんな實話怪談フウの短い話をいくつも繰り出すところからこのまま終わってしまうのかと不安になりますが、後半に入ると、この仕掛けが明かされていきます。これらの怪談語りはテープに録音されていたもので、語り手の私はこのテープをおこして今まさにその内容をこうして綴っているというのだが、……。
最後の最後のしめくくり方は定番ながら、實話怪談フウの語りが途切れて、唐突にこの物語の構造が明かされるところの反転が素晴らしいです。
「仏壇」は技巧という点では實話怪談の構造に傾きすぎたきらいがあり、前二作に比較すると驚きは少ないものの、こちらはオチが讀めません。十年ほど前に私がバーをはじめた頃の話、ということで、ホステスから聞いたエピソードが話のキモ。一緒にマンションに住んでいたホステスのひとりが實家から仏壇を持って歸ってきたという。語り手のホステスはその仏壇が氣味惡くて仕方がない、そうしていよいよ樣々な怪異が起こるに至って、……という話。
「お迎え」は、語り手の男が癌に罹って眠っていると、「お迎えにあがりました」という声が聞こえて金縛りにあってしまう。彼が必死で「あと十年待ってくれ」というと、金縛りは解けるのですが、その後病気は嘘のように恢復、さらには子供が生まれ、會社を辭めて始めた事業は大成功、すべてが順調に運んでいき、……ってこの十年後に再び例のお迎えがやってくるというのは御約束。
そうなると、彼がどのような最期を迎えるのかが見所な譯ですが、これはもう、中盤でネタが割れてしまいますねえ。しかし何ともイヤーな感じだったのは、病気から恢復して事業が大成功した理由をお迎えが明かすところで、それはないでしょうッ!と物語の主人公にかわって大聲をあげてしまいたくなる程の鬼畜ぶり。これはキツい。
このあとは最後の「廃憶」を除いて掌編が續くので簡單に。
「出立」は全編これ改行なしの作品ですが、技巧が光ります。語り手の人物は座敷に通されてその後奇妙な体験をするのですが、それが最後の一行で明らかになるという仕掛けがいい。
「骨」は格安物件を手に入れた夫婦が喫茶店を始めるのですが、旦那の方はその建物が釀し出すイヤーな雰囲気が氣になっている。友人の坊主に頼み込んだり、その家で過去に何があったか調べたりするのですが、誰にも信じてもらえない。そして、……という話。これも實話怪談フウのお話なのですが、最後のオチも定番のネタでうまく纏めています。
「顔」は暗がりにボワーッと自分の顔が出現するようになった人物が語り手のお話。冒頭の数行からして混乱を極めてい、そのネタが最後にぐるりと明かされるという構成は幻想小説フウ。
「厠牡丹」は混沌とした語りがかなり好みですねえ。頭のおかしい父親、そして語り手の前に姿を現した父の不氣味な姿、自分の過去と父親の過去とが混沌と捩れていくさまがいい。まさに語りのうまさを見せつけてくれる佳作でしょう。
「釘」も實話怪談が竝べながら徐々に雰囲気を盛り上げていき、それが語り手の話へと回歸していくという構成。こちらは「怪談」のように衝撃的な結末を迎える話ではなく、何となく背筋が寒くなるような、いかにも怪談フウの終わり方でしめくくります。
そして最後の「廃憶」は、語り手が見る夢が次第に自らを追いつめていくという話。夢の内容が現実に附合していることに恐怖を覚えながらも、眞相を知りたい一心で、主人公はズフズブと深みにはまっていく譯です。夢の中で見た景色が現実に存在すること、そしてその夢の中で殺されたという少女が自分の娘に酷似していて、……とこれだけではなく、ここに前世の記憶ネタをうまく絡めたところがうまい。
あまりに技巧に走る過ぎると恐怖の味が薄れてしまうものですが、本作の場合、定番のネタや實話怪談の風味を添えながら、讀者が期待する方向へと誘導しつつ、最後に仕掛けでひっくり返すという構成がいいんですよねえ。作者のものでは實話怪談もの以外にいくつか小説作品がリリースされていた筈ですので、また手にとってみたいと思います。牧野倉阪といった怪奇幻想恐怖譚の書き手の中では、福澤氏の作風はもしかしたら一番好みかもしれません。自分的には要チェックですよ。