今月號のハヤカワミステリマガジンで、笠井氏が予告していた「容疑者Xの献身」に関する論考が掲載されているということで、とりあえず買ってみましたよ。
自分としては「容疑者X」に踏み込んだ内容というよりは、笠井氏が二階堂氏の発言にどういうふうにツッコミを入れているのかを期待していた譯ですけど、結論からいえば、この「勝者と敗者」の中では二階堂氏については一言も言及しておりません。
要するに二階堂氏のブチ挙げた「容疑者Xは本格推理なのか」という意見をとっかかりに、笠井氏が自説を展開させた論考に纏めてありまして、笠井氏としては、二階堂氏への反論はもうミステリマガジンで十分ということなのでしょう。いや、事実そうなんですけど。という譯で、二階堂氏の本格推理小説論に關する反論を期待していた自分のような人間は軽くスルーしてしまっても宜しいかと思います。
ただこれ、二階堂氏に対してとはまた違った意味で刺激的な発言がいくつかありまして、例えば笠井氏は「初心者向けの標準作」である「容疑者X」に対してベタ襃めしていた作家や評論家に対してなかなか厳しいことをいっているんですよ。以下引用。
この作品は一応のところ本格形式に則しているが、初心者向けの標準作という評価が妥当である。しかし第三の波を支えてきた作家や評論家の少なからぬ者が、昨年度の本格探偵小説の最高傑作として『容疑者Xの献身』を賞賛している。たとえば黒田研二は『2006本格ミステリベスト10』のアンケートで「今世紀ベストワンと断言してもよいくらいの大傑作」と、佳多山大地は「夢見心地でテンカウントを聞いてしまいました」とコメントしている。この類の誇大妄想的な讃辞を、本格作家や評論家が洪水のように浴びせかけている光景は、ほとんど異樣である。
名指しですよ。二階堂氏にダメ出しされ、笠井氏にもこんなふうにいわれてしまった黒田氏の反論を期待したいところです。
それと後半、二十一世紀社会への違和感を表明している脱格系とライトノベルズ系のミステリを取り上げ、それらと「容疑者X」を比較しながらの以下の文章もなかなか刺激的。
「普通の本格」や「端正な本格」という曖昧なスローガンで脱格系を排除した流れの果てに、おそらく『容疑者Xへの献身』への無条件な讃美があるのだろう。この作品を本格探偵「小説」として、ようするに謎解きパズル小説には還元されない部分で賞賛する評者にしても、結局は同じことだ。
これ讀んで、何となく有栖川氏あたりの顏がチラチラしてしまうのは自分だけでしょうかねえ。
それともう一つ。この論考では笠井氏の本格探偵小説の定義は明確なかたちで書かれてはいないものの、「容疑者X」という作品を考察しながら自説を展開しているところを讀んでいると、笠井氏が探偵小説(これが本格探偵小説かはちょっと微妙)に求めているものが朧気ながら見えてきます。
曰わく「容疑者X」は「論理パズル小説としての水準が低」く、この作品に「探偵小説の精神的核心を、認めることができない」と。これは裏を返せば、本格探偵小説とは論理パズル小説として高度な達成を行っていて(二階堂氏への反論で中心となっているのはこっち)、更に探偵小説としての精神的核心を持っていなければならないということになるのかなと思うのですが如何。
面白いのはこの段落のまとめの一文で「本格としての難易度の低さと、探偵小説的精神の形骸化は表裏一体である」としているところでしょうか。この文章の意味が頭の惡い自分にはちょっと分からないんですけど、これって、本格としての難易度を極めていけば、それは探偵小説の精神的核心を必然的に内包することになる、ということなんでしょうか。このあたりを理解するには笠井氏の論文を頭から讀まないとダメでしょうかねえ。
それともうひとつ、前回のハヤカワミステリマガジンの文章で、「時代が変われば本格探偵小説の領域も変化することを、われわれは承認しなければならない」といっていた笠井氏ですが、探偵小説の精神的核心というところだけは絶対に讓れない一線なんだなということも分かります。
探偵小説の精神的核心を形骸化させるような変容は容認出來ない、というか、それを食い止めるためにこうして危機感を持って問題定義しているのであって、「容疑者X」が本格推理だとかそうじゃないとか、そんなツマラないところでウジウジしている二階堂氏は論客としてはどうよ、……という笠井氏のボヤきが聞こえてくるような気がしますよ。
そしてこの二階堂氏の刺激的な発言が引き金となってた盛り上がったこの件でありますが、何だか議論の中心にいた二階堂氏を置いてきぼりにして話が進んでいってしまっているように感じるのは自分だけでしょうかねえ。例えば千街氏も「『容疑者Xの献身』/逆説的論理の伝統の連続性」の中で、
論争のそもそもの発端だった、『容疑者Xの献身』が本格かどうかという問題については、二階堂黎人のサイト「二階堂黎人の黒犬黒猫館」の掲示板における巽昌章の書き込みや、《ミステリマガジン》2006年3月号に掲載された笠井潔の「『容疑者Xの献身』は難易度の低い本格である」の指摘によって、ほぼ決着はついたと見ていいだろう。
とかいっているし。この中で笠井氏が提起した、探偵小説の精神的核心の形骸化という問題の方が遙かに深刻で、ミステリ界を支えている皆が考えなければいけない問題であることは明らかなんですけど、いいだしっぺの二階堂氏をおいてきぼりにして話が進んでいってしまっているのを見るにつけ、何だか二階堂氏が可愛そうだなあ、と思ってしまうのでありました。