「さあ、探偵ゲームの始まりです」BY スフィンクス
「台湾ミステリを知る」第六回は、気鋭の新人ミステリ作家、林斯諺のメタ探偵小説にしてバカミスの怪作、「尼羅河魅影之謎」を紹介したいと思います。
いきなりバカミスとかいってしまいましたけど、本作の大枠に施された大技は、一作家、一探偵で出來る、當に一発ネタでありまして、その意味では例えば島田荘司の「魔神の遊戯」や綾辻行人の「人形館の殺人」にも通じる、ちょっとメタっぽい仕掛けが見せ所。とはいえ、その作中で展開される精緻な論理は完全に正統派で、このあたりのミスマッチが素晴らしい。
ただ日本人としてはやはりこの仕掛けに關して、日本でリリースされている「あの作品」に言及しておかなければいけないでしょう。恐らく台湾のミステリマニアで日本の「あの作品」を讀んでいる人はいないと思うので、そのあたりについても後半に述べたいと思いますよ。もっとも「あの作品」を讀んでいる日本のミステリマニアも果たしてどのくらいものか甚だ疑問ではありますけどねえ。
で、あらすじなんですけど、例のオイディプスの神話のアレを引用したプロローグを經て、「序曲 斯芬克斯的來信」(スフィンクスからの手紙)で、名探偵林若平の元に奇妙な手紙が届くところからが本當の物語の始まりです。
本作で探偵を務める林若平は、大學の哲学教授にして「霧影莊」で起こった殺人事件を解決した人物。で、ある雨の降る日、彼の元へ褐色の封筒の裏に黒いスフィンクスの描かれた手紙が届きます。妹に「綺麗な封筒だぉ。お兄ちゃん、早く開けてぉ」なんていわれて開封すると、何とそれはスフィンクス(斯芬克斯)を名乘る人物から名探偵への挑戰状だった!ってもう、これだけで二階堂黎人テイストムンムンですよ。しかし本作には一般人を小莫迦にした奇天烈ファッションのお孃樣探偵は登場致しませんのでご心配なく。
この宿敵スフィンクスがいうに、「お前の為にエジプトツアーの予約を入れといたから、シッカリ參加するように。ではエジプトにてお前を待っているぞ!」と。挑戰状の最後にオイディプスの神話を引用して、「スフィンクスの謎掛けに敗れたものは喰われる運命にあるのは貴殿もご存じの筈。勿論貴殿もその例外ではない……」みたいな脅し文句までシッカリ添えてあるから堪りませんよ。
で、章は変わって探偵が機上の人となってからさっそく事件が発生します。そのエジプトツアーに参加する面々というのが老夫婦、探偵萌えのキャピキャピ女子大生三人組、化粧の濃い金持ち夫人、「推理小説っていうのはジャカスカ人が死ねば死ぬほど面白い」と嘯く推理小説家などなど、更には小熊のぬいぐるみを抱いた探偵萌えの腐女子までもと、何となく怪しそうな人間から、意外性を狙っていそうな人物など、すべての登場人物がしっかりキャラ立ちしているところなど新人の筆とは思えない巧みさで讀ませます。
そしてこの飛行機の中で、探偵若平がちょっと席を外して戻ってくると、讀みかけの本の中には何と、スフィンクスからのカードが差し込まれてい、「名偵探、歡迎來到埃及」(名探偵君、エジプトへようこそ)なんて書いてあったら吃驚ですよ。
だって、自分はまだ機上の人で、エジプトには到着しておりません。更にそこには「貴殿がエジプトに着いた時、既にゲームは始まっているのだ」なんて威勢のいいことが書いてあるんですけど、探偵にしてみれば「だからまだエジプトに着いていないんだって」とツッコミを入れたいところでありますが、件の人物スフィンクスは未だ姿を現さず、探偵のボヤキも届きません。勿論、このカードは後にスフィンクスの正体を探る為の伏線になっていく譯ですよ。
更にエジプトに到着するや、ツアーの參加者の持ち物がなくなっていることが発覺します。それぞれがサングラスだの、ペンだの、つまらないものばかりなんですけど、その理由が探偵には分かりません。で、いうまでもなくこれも宿敵スフィンクスの仕業でありまして、この盗まれた品物の頭文字をそれぞれに拔き出して竝べてみると、「S-P-H-I-N-X」になる!と探偵は喝破します。そして彼らが逗留するホテルでは仮面を被ったスフィンクスが探偵の前へついに出没。探偵が追いかけると、しかしその人物は煙のように消えてしまう。
しかしこれらもその後の事件の序章に過ぎず、エジプト觀光巡りの中程でツアーの御一考は客船に乘り込むのですが、夜の仮装パーティーで金持ち女が華麗な踊りを披露するなか、天井のシャンデリアが突然停電し、左右のカーテンが燃え上がるという慘事が発生、乘客がどよめくなか、ほどなくして明かりが戻ると、金持ち女のハンドバックが紛失していたと。
探偵を含めたツアーの參加者や船員が船の中を搜し回ると、トイレの中にハンドバックが捨てられているのが見つかるものの、部屋に戻ってみると、彼女が土産物に買ったスフィンクスの置物がなくなっていたことが分かります。果たしてこれは、ツアー参加者の持ち物を盗んで「S-P-H-I-N-X」の文字を示してみせた宿敵スフィンクスの仕業なのか。
金持ち女は盗まれたスフィンクスの置物を取り戻すよう探偵に要請、探偵は調査を開始するのだが、……。
探偵はツアー参加者の聞き込みを行い、パーティー當夜のアリバイの檢証を分單位で行いながら、置物が盗まれた部屋の樣子からその犯行と、犯人が仕掛けたトリックを見破り、……という展開から二転三転、この後に怒濤のどんでん返しが炸裂します。最後にある人物を犯人と突き止めた探偵はいよいよ犯人と対峙してその奸計を見破るのですが、犯人は人質を取って逃走、最後のゲームに果たして探偵は勝利することが出來るのか!……という話です。
で、最後に犯人が潛んでいる部屋を突き破って入った瞬間に明かされるこの「眞相」が何ともなんですよ。何というかメタ的な仕掛けを凝らした「探偵小説」で、この結末は完全にバカミスなのですが、既にこの仕掛けを凝らした怪作を知っている日本のミステリマニアとしては、そこのあたりがちょっと殘念、ですかねえ。
勿論作者も含めて台湾のミステリマニアがこの日本の先行作品を讀んでいたとは考えられないので、これは偶然に過ぎません。この先行作品が日本でリリースされたのが2000年。一部ではカルト的な傳説となっていることを考えると、やはり台湾のミステリファンの為にもこれは言及しておかないといけませんよ、……ってここは中国語で書いておくべきでしたかねえ(爆)。
ただ先行作品があったからといって、本作の價値が減じる譯では決してありません。例えばこの先行作品の場合、作中で披露される樣々な怪異がこのバカミスネタですべて説明されてしまうのに対して、本作では純粋に探偵を卷き込んだゲームとして作中の犯行が成立している点が異なります。その意味で本作はあくまで「探偵小説」である譯です。
もっとも最初に述べた通り、このネタは一作家が自らの創作した探偵キャラで一度きりしか使えないある意味、反則スレスレの大技でもありまして、作者がこの大ネタをひっさげた本作でデビューしたというあたりに複雜な感想を抱いてしまうのですけど如何。
もう一つ、本作で着目すべきは、その端正な論理でしょう。探偵の推理は些細な見おとしから二転三転する譯ですが、捨てられる論理も非常に精緻で勿體ないくらいです。唯一、後半、犯行が行われた部屋の樣子から犯人像をあるかたちに推理していくところはちょっと無理があるんじゃないかなあと思うんですけど、まあ、あくまでこれは重箱の隅をつつくようなもので、この怒濤のどんでん返しを前にしては目をつむってもまったく問題ないでしょう。
ただ欲をいえば、せっかくこのバカミスネタで探偵をこういう舞台に引き上げたのですから、後期クイーン問題にまで踏み込んだ偽の手懸かりで探偵を翻弄するような仕掛けが欲しかったところはありますねえ。氷川センセみたいにあそこまで偏執的になる必要はまったくありませんけど、せめて本家クイーンの「ギリシャ柩の謎」くらいの迷宮めいた展開でうるさいマニアを唸らせてほしかった、……というのは欲張りすぎでしょうかねえ。
それと既に端正な論理だけではやはり何処か物足りないかんじがしてしまうのも事実で、上に挙げた偽の手懸かりも絡めて、論理のアクロバットを見せてほしかったなあ、とも感じてしまうのでありました。例えば台湾ミステリでいえば、前回取り上げた冷言の「找頭的屍體」に見られたような、手懸かりの意味合いの転倒によって眞相が明かされるというような離れ業を今後は期待したいところですよ。
……何て最後は欲張りなことをダラダラと書いてしまいましたけど、それだけ作者のミステリに対する卓越したセンスと技術に期待している譯でありまして、この優れた論理とどんでん返しの妙を今後の作品でさらに磨いていけば将来はトンデモない大傑作をものにするのではないかと思うのでありました。というのも作者の林斯諺は1983年生まれとまだ若く、更に驚くべき多作家だというから末恐ろしい氣がします。
一発ネタのバカミスを炸裂させた本作でありますが、日本のファンは先行作品のことはとりあえず頭から追い払って、後半に開陳される素晴らしいロジックを堪能するのが吉でしょう(いや、その前に日本のミステリファンが本作を手に取る機会があるのか、というのはおいといて)。
それと讀者が讀んでいる間に感じていた違和感、「小物を盗んでそれで探偵とタイマン張ろうっていうのはまだ許せるとして、その為だけにわざわざエジプトくんだりまで探偵を召喚するというのはどうよ?」という点についても、スフィンクスの正体とその眞相が明かされるとともに明確な解答が示されます。このあたりの、極限までゲーム性を極めようとする作者の心意氣には唸らされましたよ。
クイーン、そして都筑道夫の系譜に連なるロジック型ミステリの醍醐味を堪能出來る、台湾ミステリの偉大なる成果。バカミスめいた外觀と構成とは裏腹に、その内に宿るは本格ミステリへの眞摯な探求心という風格が素晴らしい怪作です。
で、じらしにじらしてきた「あの作品」の名前でありますけど、すでにこのブログで紹介しております。タイトルをここに書くのは躊躇われるので、ここではリンクを張っておくだけにしておきましょう。本作を既讀の方のみ、ということで。これですよ。