十二歳のわたしだって、ミステリぐらい書けるモン!
まあ、地雷だっていうのは分かっていたんですけど、キワモノミステリが好きな自分としてはやはり讀んでみないといけないでしょう、ということで買ってしまいました。
で、結論なんですけど、どうしようもない作品ですよ。というか、作品とか小説とか、そういう言葉を添えて語るのさえ躊躇ってしまうほどのモノでありました。
作品の惡口だったらいくらでも書けるんですけど、まあ作者は十二歳ですから、四十に近いオッサンがグタグタいうのもみっともない、ということで作品の内容そのものについてここであれこれ語るのはやめておこうと思います。
一応、あらすじを簡單に纏めておくと、孤島で同窓會やって、人がジャカスカ死んでいくっていうお話。そこにM資金だのサリンだの山下財宝だのトンデモっぽいアイテムを交えいかにも大仰でバカバカしい雰囲気を釀し出していると。仕掛けらしい仕掛けはないので、何かしらのどんでん返しなどを期待してはいけません。そういう意味ではミステリというよりは普通の小説ですよ。
さて、作品そのものについて語らないというなら何がいいたいのかといいます、要するに「何でこれが本になっちゃうの」というところでありまして。
とりあえず最終選考選評っていうのを見ることが出來ますので、皆樣におかれましてはこちらに目を通していただきたい譯ですよ。以下はこれに、大森氏の手になる巻末の解説「奇跡のデビュー作」の文章を少しばかり添えて書いてみたいと思います。
これを本にして出したいと強力に主張したのは大森氏で、氏がここで述べている内容といいますのが、自分のような本讀みには色々と考えさせられることばかりでありまして、以下色々と引用しますと、
「作品は作者と切り離して内容だけで評価すべき」という建前はあるにしても、12歳が書いた長編ミステリを読んでみたいと思う人は多いはず(実際、最終候補作6編の中で、僕はこの小説を真っ先に読んだ)。公募新人賞が“売れる新人”を発掘するオーディションの性格を持つ以上、年齢に限らず、読者に強くアピールできるプロフィールは、作家的な才能のうちだろう。
なるほど。特に最後の一行は凄いですよ。プロフィールも作家的な才能のうち、ですか。若いって素晴らしいですねえ。また卷末の解説に曰く、
小説は読まれてなんぼ、買ってもらえてなんぼだというのが大森の持論。つまりは商品なんだから、商品価値で量られるのは当然の話。作者のプロフィールを作品の商品価値に含めるのは邪道だと思われがちだが、小説が売れないとこれだけ嘆かれる今の状況下では、売るために利用できるものはなんでも利用するべきだと思う。
イロモノを濫発した結果、更に讀者の本離れが進むんじゃないんですかねえ、と本好きの自分などは考えてしまうんですけど、まあ、大森氏の発言ですから重みがあります。一素人の自分の思いなどはまったくの杞憂に過ぎないんでしょうねえ。自分はもうこれで大森氏がリコメンドする作品は怖くて手に取れなくなってしまいましたよ。まあ、自分のような人間は、日下、千街、東の三氏のおすすめする作品にしておけ、ということなんでしょう。
「十二歳の天才少女が書いた長編ミステリー」として、色眼鏡をかけて読まれることは避けられないにしろ、どんなフィルターごしにだろうと、読んでもらえることはそれだけで幸福なのである。
ここがちょっと分からないんですけど、もしかしてこの発言って、秘かに色眼鏡で見られることを牽制してますか。でも、十二歳というのがその商品のウリだったら、そのウリの部分を否定することも購入者には許されると思うんですけど、やはり駄目ですかねえ。
まあ、出版する側にしてみれば「くだらないとか駄作とか文章がメタメタとかっておたく、所詮は十二歳が書いたミステリだよ?それ分かって買ってるんでしょ。いい歳した大人が何をそんな目くじらたてて怒ってるんですか。みっともないですよ」というかんじでしょうか。
自分が心配しているのは、今後こういう本ばかりがジャカスカ世の中に出回るようになって、自分みたいな嗜好の本好きが讀みたいものがリリースされなくなっていくんじゃないか、という恐怖ですよ。
というのも、
ライトノベル系の新人賞ではローティーンの応募が珍しくないし、実際、僕が審査に加わった範囲でも、今年の第4回アニマックス大賞(アニメシナリオの公募新人賞)では、11歳が書いた作品が佳作に選ばれている。しかし、そうした同年輩の書き手が”幼さ”を武器にしているのに対して、『殺人ピエロの孤島同窓会』の文章にはエンターテイナーとしての筆力がある。
若手の活躍、それが時代の流れである、みたいなかんじで、とりあえず若いっていう商品価値をガンガン喧伝して本を出してていくのが世の中の流れなんですよッ!っていわれているようで、すごく複雜な心境な譯です。
まあ、自分のような古い本讀みはこれからどんどん驅逐されていく運命なんですかねえ。
それでもちょっと疑問なのが、若いという商品価値を大々的にアピールして、讀者には色眼鏡で見られることを百も承知でいながら、著者近影の写真が添えられていないというのはいかがなものか。
内容云々よりもまずはプロフィールという商品価値で讀者に積極的にアピールしていくということで、「いったい十二歳の作者ってどんな顏なんだろう、グフグフ」という讀者の淺ましい好奇心を満たす為にも著者近影を大きく添えておくべきだったのでは。その意味ではこの本は企畫の意図が貫徹されていない不完全な代物といえるかもしれません。
何だか長くなってしまったので、續きは次のエントリで書きますよ。という譯で以下次號。