一編の素敵な映畫のような本作、しかし讀み終えてみれば、周到に巡らされた仕掛けにあっさりと騙されてしまいましたよ。
このプロローグからして、「カーナビの画面は、その車がまさに今、都市のはざまに浮かぶ、”島”を横断しつつあることを示していた」……と何か映畫のワンシーンのように始まるのですけど、だからといって、普通のミステリなどとゆめゆめあなどらないようにしないといけません。
ジャケ裏には「アリバイトリックに新しい地平を拓いた魔術的傑作」なんてありますけども、單純なアリバイトリックものだと思っていると、見事に騙されてしまいます。
とはいっても「時の誘拐」「時の密室」のような時間を超えた壯大な仕掛けがある譯ではなく、他の芦辺氏の作品と比較すれば、寧ろすっきりと纏まった物語といえるでしょう。
そして何よりも本作は、森江春策の助手となる新島ともかが初登場となる點でも注目であります。「不思議の国」という本作のタイトルにかけて、彼女が登場するシーンでは、作者の芦辺氏、白ウサギを連想させる、なんて書いているんですけども、この少年のような美少女がノッケから有能な助手として大活躍するのがまたいいんですよねえ。
本作は何しろ惡いやつが出て來ないんですよ。皆、何というか、映畫的な「いいひと」ばかりで、自分の世代だと、ちょっと毛色は違うけども、大林宣彦や三谷幸喜の映畫の登場人物のような、といえばその雰圍氣を分かってもらえるでしょうかねえ。
映畫監督に抜擢された人物が容疑者として逮捕されてしまい、森江探偵が呼ばれるのですけど、この撮影途中の映画を頓挫させてはなるまい、と映画を愛する關係者のひとたちが「自分を犯人として捕まえてくれ」と名乘り出たりするところとか、このあたりの展開もまたいかにも映畫的で、微笑ましいじゃありませんか。
で、そんな映畫的なワンシーン、ワンシーンに引き込まれていると、最後の謎解きで背負い投げを喰らわされてしまうという、何とも心憎い構成がいい。推理の途中で、あらためて冒頭のプロローグに戻って讀み返してみると、なるほど、ここはこういうことでしたか、と作者の仕掛けに感心すること請けあいです。
そしてラスト、いよいよ映畫が完成し、試写會のシーンで物語は終わるのですけど、これも映畫的で洒落ています。
自分が讀んできた芦辺氏の作品ほど大袈裟ではありませんし、ディープなミステリファンでなくても、普通のよく出來た物語として愉しめる佳作。ちょっと洒落た、よく出來たミステリを讀んでみたいという方におすすめです。