綾辻行人というと、どうにも「暗黒館」とかの大長編の方を思い浮かべてしまうのだけども、中井英夫や竹本健治の幻想性の上に、連城三紀彦直系のミステリの仕掛けを凝らした短篇の名手としての顏も持っていることは無視出來ないでしょう。
この作風は乙一にも見事に引き繼がれていると思うのですけど如何。というのも、本作に収録されている「フリークス」の風格などは、そのまま乙一の「暗黒童話」を髣髴とさせますよねえ。
幻想、ホラーという土臺にミステリの仕掛けを持ち込み、ここまで洗練された短篇を作り出してしまったのって、綾辻行人がはじめてじゃないでしょうか。乱歩の短篇は恐怖怪奇小説としては際だっているけども、今ひとつミステリとして仕掛けには劣るし、正史の場合、怪奇探偵小説の物語を紡ぎ出す才覺は優れているのだけども、双生兒などといったアイテムはあくまで装飾に過ぎないような嘘っぽさを感じてしまうんですよねえ。
綾辻氏の短篇で自分が好きなのって、本作には収録されていないんですけど、集英社から出ている「眼球綺譚」のなかの「再生」という作品でありまして、これなどはミステリ的な謎は全然ないんです。しかし、最後、當にミステリ的な仕掛けで讀者をあっといわせるんですよ。で、本作の場合は一応、ホラーというよりはミステリ小説としての意匠を纏っているので、こちらも何かあるのだろう勘ぐりながら讀み進めることを作者も分かっているので、そのぶん「再生」なとど比較して仕掛けもかなり複雜なものになっています。
「夢魔の手」は、語り手の一言で事実と思っていたものが虚實の反転を繰り返すという、まさに連城リスペクトの一作。
「四〇九号室の患者」は作者じしん「シンデレラの罠」へのオマージュであることを告白している作品ですけど、着地點は自分の予想もまったく裏切るもので唖然としてしまいましたよ。普通これだったら、アレかアレかアレしかありえないじゃんと思ったら、まったく違うところから頭を毆られたようなかんじとでもいえばいいか。
「フリークス」はもっとも長いためにミステリ的な装飾も凝った物語。しかしそれよりも怪物たちとその主人とのおぞましい關係の描写にイヤ感が充満している一作。乙一の「暗黒童話」なんて最後には詩的な美しさを見せて物語は幕を閉じましたけど、こちらの方は自我の搖らぎと作者對讀者という關係性に疑問符をつけたまま物語を放り出して終わり、という、何というか竹本健治の影響を感じさせる一品であります。
乱歩、海野十三といったあの時代の怪奇小説のいかがわしさを、歐米ホラーの装飾と、幻影城以降の端整なミステリの意匠でスタイリッシュに仕上げた短篇集。ミステリとホラーの新時代を感じさせ、同時に新本格以降の書き手への影響も感じさせる本作は、新本格ミステリファンを満足させられるのは勿論、自分のような「あの時代」の小説讀みをも唸らせてしまうことの出來る傑作であります。大推薦。