ええと、最初に皆さんが間違えないようにいっておきますけど、本作のタイトルは「砂漠の薔薇」です。「薔薇の砂漠」じゃないです。なので作者の方も飛鳥部勝則であって、藤原万璃子じゃないです。まあ、本筋のところ、向こうは男と男、こちらはまあ、そういうシーンはないとはいえ、本質的なところ、女と女ですから、變わらないといえば變わらないんですけど。
本作ですが、色々な意味で壞れています。まずジャケが会田誠。何か漫畫チックな繪ですけどよく見ればタイトルは「切腹女子高生」。ガンクロ(死語)にルーズソックスの女子高生が日本刀を構えてい、そのまわりには生首、贓物を露出させた女子高生という構図。まあ、会田誠の繪のなかではこれは結構まともな方で、自分が持っている会田誠画集「孤独な惑星」のジャケときたら、キングギドラに凌辱されるアンヌ隊員という凄まじさ。まあ、分からない人には何が藝術なのかサッパリ分からないという、そういうことをやっている人だと思っていただければ良いかと。
そんなジャケにまず度肝を拔かれた本作ですけど、内容はというと、何処かが激しく壞れている登場人物たちが、緻密な脚本にしたがって舞臺劇を繰り廣げているような物語であります。登場人物たちはどんなに性格が破綻していても、何処かに育ちの良さを感じられるあたりが氏の風格でしょうか。しかし本作はそれ故に、今ひとつ突き抜けたかんじが足りないような気がしてしまうんですよねえ。
もうひとつ突き拔けた作風へと転換するのは、「冬のスフィンクス」まで待たないといけません。
物語の方は首なし死体、同性愛、密室、洋館、絵描きとアイテムが揃っていて、ここからどろどろとした物語を想像してしまうのだけども、これがうまく纏まり過ぎているんですよ。破綻がない。まったくない。ないところが不満なのです。
思うに飛鳥部氏という作者は小説を書くのがうますぎるのでしょう。どんなにおどろおどろしい物語を書いても、登場人物は下品とはほど遠い、どこか品のある風格を残しているし、今回の女子高生たちだって、表紙の「切腹女子高生」のスタイルにはほど遠く、何か古風な、あの時代の女子高生を想像してしまう譯です。
氏もこの風格を崩すことは厭うたのでしょう。この後、氏はミステリの構造自体に大胆に手を加えた作風へと大きく転換し、問題作を矢繼ぎ早にリリースしていくことになります。個人的には最新作「誰のための綾織」が凄く氣になるんですよねえ。
さて、明日から臺灣に行ってきます。帰国は金曜日の夜なので、次は多分土曜日に更新の予定。しかしこの時間になっても、まだ明日持って行く本が決まっていないというのはどうしたものか。