なかなか愉しめました。
「怪人対名探偵」のような小説のフィクションと現実が交錯していく展開をもっと突き詰めた作品。
作者もあとがきで「この作品っていわゆるバカミスじゃないのかって?さあ、どうでしょうか」なんて書いていますが、確かに途中から探偵の森江が物語の世界に入り込んでしまう展開はいかにもバカバカしく、眞面目に劇を演じている登場人物たちを見て思わず、これって久生十蘭のアレじゃないの、と思ったのですけど、すぐあとにシッカリと言及していましたね。要するに確信犯ということですか。
前に讀んだ「時の密室」や「時の誘拐」などと異なり、虚構の部分と現実の部分とが慌ただしく展開します。ただ、現実の部分もなかなか物語が転がらないし、作中作の部分は、「ミステリー・リーグ」に掲載された匿名の作者による小説ということで、どうにも大昔の探偵小説のような緩慢さでなかなか物語が進みません。城のなかで二人の人間が殺されるのですが、そのあいだに登場人物達がああでもないこうでもないと話を続けるばかりで、どうにも愉めないのです。で、作者の芦辺氏は、このあとがきでこんなことを書いているんですよ。
最近、新世代のミステリファンのみなさんが海外作品を読まない、讀みたがらない傾向がはっきり表れてきて、確かに一部の古い翻訳の読みにくさ、あるいは現代の海外ミステリのどうにも索漠とした内容からすると、やむを得ないのかなという気がしないでもありません。
でも、何とももったいない気がするのです。というのも、海外のとりわけ古典本格には、ほかでは絶対に得られない味わいというか、豐かな物語の広がりがあるのですから。……本書「グラン・ギニョール城」はそうした、英米の本格ミステリの古典への感謝とオマージュを込めて着想されたものです。
異議あり、です。というか、芦辺氏には申し訳ないんですけど、自分にとってはクリスティやクイーンより、芦辺氏の小説の方が文句なく面白いんですよ。皮肉なことですけどね。で、本作で自分が愉しめない部分って、そのまま作者が「英米への本格ミステリの古典への感謝とオマージュを込め」たところなんですよねえ。例えば上に書いたような、城に閉じこめられた登場人物たちがああでもないこうでもないってやっている場面とか。個人的には古典本格へのオマージュなんてどうでも良くて、芦辺氏らしい、謎と推理とサスペンスがいっぱいに詰まったエンターテイメント(要するに「時の密室」のような謎と論理、そして「時の誘拐」冒頭の身代金受け渡しのシーンのサスペンスなど)が讀めれば良い譯で、今更話の展開が緩慢なヴァン・ダインのミステリなんて讀みたくないです。
それに本作だって、探偵の森江が劇中劇に加わってからは、ナイジェルソープのボケに關西人らしくシッカリとツッコミを入れているし(264頁参照)、古典ミステリをリスペクトしようとも、やはり日本人、……というか關西人の血は隱せませんな。
それとあとがきで作者はさらに「今どきの本格ミステリ界ではアナクロな書き手といえるらしい私」なんていっていますけど、これは違うでしょう。本格のトリックと論理、そしてエンターテイメントと社會派の側面が見事に融合している氏の作風はあきらかに「島田莊司以降」のものでして、全然アナクロじゃないと思います。それともこれは作者なりの諧謔を交えた表現なのでしょうか。
さらに作者が本作で挑戦したという「メタ的構成」の完成度ですけど、この作品、最後にグラン・ギニョール城」の作者の正体があきらかになるんですよ。で、そのときにこのメタな仕掛けの茶目っ氣に思わずのけぞってしまいました。
作中作である「グラン・ギニョール城」の物語と、小説内の現実は有機的に繋がっていて、構成の巧みさを感じさせます。
不滿があるとすれば、どうにも作者の他の作品と比較して、なかのトリックが全體的に薄味なんですけど、こんなところまで古典ミステリを模倣しなくてもよいのでは、と思った次第。それでも作者流の稚気と茶目っ氣を堪能出來る本作、芦辺氏の作品に興味がある方にはおすすめです。