竹本健治の代表作といえば、「匣の中の失楽」ですが、本作は薄い乍らも「失楽」のような眩暈感を堪能することが出來る傑作。ちなみに自分は新潮版しか讀んでいないのですけど、今だったら創元推理版の方が手に入りやすいと思います。
アレ系の作品として纏めることも出來た仕掛けなのに、作者は敢えてそのような方向をずらして、三部作の最後に相應しいフィナーレを用意しています。この餘韻がまた、「虚無」のような風格を見事に繼承していて、味わい深いんですよねえ。
物語は、洋館の密室から女性が消失し、その
部屋にはカードが散乱してい、失踪した女性はその洋館と對をなすようなかたちで建設された館の廢屋で死体となって見つかります。果たして女性はどうやって密室から消失したのか?そして密室のカードの意味は?そしてこれが殺人事件だとしたら犯人は誰なのか、その動機は?……という趣向です。
「失楽」におけるナイルズような狂言まわしが本作では精神科の醫者でもある天野という男で、彼はこの謎を小説に仕立てて、探偵である牧野智久、典子に推理してもらうというものでして、物語の構成も「赤のカード」「黒のカード」という對をなしているところが凝っています。
「赤のカード」は最初の「注意書き」から始まり、奇妙なメモの斷片とこれまた「失楽」の冒頭、「黄昏る街の底で」を髣髴とさせる不可解な會話をはさんで、精神科医と患者とのやりとりのメモ、狂氣を巡る哲学的な議論が展開されます。そして今度は「虚無」の賭け麻雀の場面のようなブリッジの掛け合いの描写が續き、事件が起こります。この事件における違和感が凄く不氣味なんですよ。皆がブリッジに興じている間、薬罐がかけられていたり、誰もいない部屋のなかで奇妙な物音がしていて、扉を開けやその音がふと熄んでしまったり。幽靈話というよりは、世界がずれていくかのようなこの違和感は竹本健治の作品に特有なものですよねえ。
「失楽」と違って、衒學で讀者を煙に巻くような雰圍氣はなく、ブリッジの解説までもが複雜な暗號によって本作の眩暈感を盛り上げることに奉仕しています。「虚無への供物」と対をなす「人形たちの夜」のような作品といえば、何となくこの作品の風格、ひいては作者の作品のなかにおける立ち位置を分かってもらえるでしょうか。「失楽」も好きですけど、トリックの冴えと無駄のない構成という點では、もしかしたら「失楽」よりも好みな作品かもしれません。
「ドグラ・マグラ」の眩暈、「虚無への供物」の幻想と現実の搖らぎ、そして「死霊」の哲學的思索を受け繼ぐ傑作でありながら、その一方で、連城三紀彦の「暗色コメディ」のような狂氣をも孕んでいます。このあたりに幻影城作家としての作者の特徴を感じたりもして。シリーズ前作に目を通していなくても、この作品を愉しむことは出來ますけど、アンチ・ミステリ的な仕掛けを堪能したいというのであれば、「圍碁」「將棋」も讀んでおくことをおすすめします。