うーん、これもまた何とも深い餘韻を殘してくれる小説です。感動、とも違う。何というか、ちょっと言葉にするのが難しいんですけど、とにかく堪能しました。ジャケは何だか最近の流行小説(例えばセカチュウとか)のようなかんじですけども物語の方はそんな単純なものではありません。
この小説、以前ドマーニの書評で絶贊されていたのを憶えていて、何氣なく手にとってみたのですけど、三浦しをんって作家、どっかで最近短篇を讀んだ氣が。ちょっと思い出せないんですけど。ジャケに添えられた帶にある「大器の本領、ついに現れる!」というコピーもハッタリじゃありません。ミニスカが似合うセクシーな芥川賞作家を娘に持つお父さんも「ベタ襃めするしかない作品が生まれた」と、もう手放しで絶贊しています。
物語は村川という大学教授を愛する女性たちを取り卷く男性の一人稱で語られます。例えば彼の弟子、そして彼の息子といった具合に。「私が語りはじめた彼は」というタイトルも深いものがあります。ここでいう「私」とは誰なのか。この小説の最初と最後の物語で語りを受け持つ、村川の弟子のことなのか、それとも……とか色々と想像してしまいます。
さて、どの短篇もそれぞれに味わい深いのですけど、個人的な好みを挙げれば、村川の息子を語りに据えた「予言」がいい。友人とのバイクを通した交流。その描写が若々しくて良い。さらに後半で一氣に物語は数年を時を隔て、語り手はふと「あの頃」を回想しつつ、今あるこの世界を認識する。そして最後に「父とは一度も会っていない。これからも会うことはないだろう」と自分の未來を「予言」しつつ終わるという心憎い構成がまた素晴らしい。
この小説には、「語られる」べき村川という男はほとんど登場しません。彼の周辺にいる女を會して、男達が自分の物語を語るだけです。で、こういう小説って普通、短篇や複数の章に分かれていても、小説内の時間は一致しているじゃないですか。物語のなかでの時間を例えば2005年と設定したら、章が変わって、語り部が変わっても2005年。2005年にその人物を會して起こった事件を複数の人間が別の角度から語る、という、……まあ、ミステリでいうと「毒入りチョコレート事件」系というか。しかしこの小説は違います。上にも書いたように、ひとつの短篇が終わるとその時間は流れているのです。數年後、或いは数十年後の、彼を會した女性とその女性に関わった男性のことが語られる譯で、この手法が自分にとっては凄く新鮮でした。
ミステリっぽいか、といわれると答えはノーになってしまうのですけど、最初の物語、「結晶」における男女のやりとりなどは何処となく最近の連城の短篇っぽいし、一人の女性が死んで、その女性の死に関して謎解きをしようとする人物も現れてきたりとミステリっぽいところもない譯ではありません。しかしこの本は、總ての短篇を順番に讀み(これ結構重要。何故ならちゃんと時間は流れているから)、そして讀み終えたあとに、ゆっくりと、本當にゆっくりとたちのぼってくる靜かな餘韻を愉しむべきでしょう。萬人におすすめできる素晴らしい傑作です。