見事に騙されてしまいました。おそらく作者の期待通りに讀み進めていって、その仕掛けに綺麗なかたちでハマってしまったのではないかと。いかにもなコード型本格を裝った風格とイヤキャラの当主が統べるお屋敷で殺人事件が大発生という、原理主義者が随喜の涙を流して喜びそうな物語の展開にまア、そういうものだろうな、なんて考えながら頁をめくっていったら「最後の一撃」で見事に背負い投げを喰らわされるという、かなりニヤニヤしてしまう逸品です。
綺麗に騙される為にも、物語のあらすじに關してはごくごくアッサリとその事件の概要のみに言及した方が良いでしょう、――という譯でそのあたりを簡単に纏めてみると、イヤキャラ当主の妻の不審死をきっかけに一周忌、三回忌、七回忌と愛人の娘がジャカスカ殺されていき、そして今年の十三回忌には、……というお話なのですけど、その殺され方があまりにド派手。
円錐形のモニュメントに刺し貫かれたり、樹に括られて首を切り落とされたり、唇を切り取られたりと、もう、これだけでも充分にお腹イッパイなんですけど、ここへさらにキ印となりはてた愛人が靈界から殺された娘の声を館の壁伝えに受信したり、鉄假面がビカッと光ったり、真夏に雪が降って列車は脱線するわ、部屋にブワーっと蝙蝠が飛んでくるわと、一つのコロシに樣々な謎を散り張めてみせる事件の樣態は、作者である小島氏がリスペクトする御大の「奇想、天を動かす」あたりを彷彿とさせます。
さらに本作がゴージャスなのは、一周忌、三回忌、七回忌のうちのひとつの事件の謎に關しては、前半でアッサリと解かれてしまううというところでありまして、上に挙げた真夏の雪と列車の脱線、さらにはそれに絡めた首の在處などをこの探偵は關係者から話を聞いただけで神業のごとくに言い當ててしまうという展開に殆どの讀者は勿体ないなア、と考えてしまうに違いありません。
しかし最後まで讀み通すと、こうした大盤振る舞いの背後には作者のイジワルぶりが隠されていたことが明らかにされるという結構でありまして、寧ろ黄金期からのマニアに阿った館でコロシが大発生、という本作のベタな風格「そのもの」に作者の真の狙いが隠されているというメタな結構を意識した技巧はやはり現代の本格といえるのではないでしょうか。
實は上に挙げた真夏の雪と列車の脱線があまりに簡単に解決され、その眞相もまた非常にアッサリとしたものだったゆえ、これぐらいの謎の樣態と眞相ではチと嚴しいかなア、などと考えていたのですけど、ここからさらに作者は、プロローグと幕間の語り手となっている犯人について唖然とするような「あること」をしてみせます。
そしてこれをきっかけにいよいよ物語は現代のコロシへと流れていくのですけど、過去の殺人の不可能犯罪ぶりに比較すると、現代の事件はごくごくオーソドックスな仕上がりで、こうした現代と過去の事件にコントラストをつけたバランス感覚には評価が分かれるのではないかと推察されるものの、現代の事件の後半に絡んでくる薔薇のアイテムなども含めてアリバイに注力した謎解きが展開されることを考えると、ハウダニットに大きく傾斜した過去の事件に対蹠するかたちで現代の事件をこのように描いてみせるのも当然アリ、でしょう。
真夏の雪と脱線事故に絡めた謎を前半でアッサリと解き明かしながら、最後の最後までとっておいた串刺し死体と首切り死体の眞相は完全にバカミス。御大的な奇想トリックが彈ける串刺しが本作最大の見所かと思われるものの、もうひとつの淡白に語られる首切り死体のトリックは霞ミステリ的な風格で、實直な中にもバカ過ぎる奇想が凝らされているいうもので、人によってはこちらの方が串刺しより好み、という人もいるカモしれません。
ただ實を言うと、こうしたバカミス的なトリックがハジける事件のかたちとはまったく別のところに作者は大仕掛けを施しておりまして、本作最大の眼目はこちらではないかな、という気がします。
以下、ネタバレになるので、文字反転します。未讀の方は以下はスルーしていただければと。
館で發生する過去、現在の連続殺人というコード型本格を精確にトレースした事件の樣態とそこに凝らされた樣々なバカミス的トリックという表面上の風格から、ほとんどの讀者は、不可能犯罪のハウダニットこそが本作における作者の狙いだと感じてしまうに違いありません。
またそうした讀者の先入観をダメ押しするかたちで組まれているのが、犯人を語り手としたプロローグと幕間で、作者は現代の事件が始まる直前に、この幕間の中である人物の名前を挙げて、あたかもフーダニットを放擲したかのような振る舞いを演じて見せます。
しかしこれこそは本作における「最後の一撃」のために凝らされた最大の仕掛けでありまして、まさかコード型本格の風格でありながら、こうした騙し方をしてくるとは思いませんでした。何というか、ベタな館もので黄金期のミステリをトレースした新本格黎明期の作品を讀んでいたら實は中町センセの作品だった、みたいな感覚で、真犯人の名前が明かされたところでは目がテンになってしまいましたよ。
こうしたフーダニットを放擲した振る舞いが讀者に対する強度のミスディレクションとして機能していることは勿論なのですけども、本作で秀逸なのは、現代の事件においては殺害現場に残されていたあるものを巡って、「その人物」があたかも犯人であるようなかたちで事件が演出されているところにありまして、プロローグと幕間という物語の結構において讀者を意識した仕掛けを施す一方で、物語内部の現実の事件の進行においても、幕間に挙げられたその名前の人物こそが犯人であるかのように事件が描かれていくところが素晴らしい。
さらには、幕間の語り手である犯人の口から、串刺し死体に關しては犯人の企図を離れたところでそのような状況が完成したと告白させて、ダメ押しとばかりに不可抗力も含めた事件の樣態のハウダニットに讀者の意識を向かわせようとする企みも盤石です。
そのほかにも眞相が明らかにされるギリギリの直前まで小ネタを鏤めてみせるサービス精神も好印象で、人によっては詰め込みすぎとの印象があるカモと推察されるものの、デビュー作だからこその、スマートな構成を捨ててまでのこうしたやりすぎぶりはアリだと思います。
本作最後の仕掛けともいえる「最後の一撃」には上の文字反転したところでも言及したある作家の作風を彷彿とさせるものの、その一方で、典型的なコード型本格の外觀を僞装しながら、その裏でまったく異なる仕掛けを見せるという結構には、深水氏の傑作「エコール・ド・パリ殺人事件」に通じるところもあるかもしれません。あちらが高度な伏線の技巧を推し進めた逸品だとすると、こちらは不可能趣味の大量投入という大技によって、原理主義マニアからバカミスマニア、さらには現代本格の讀み手をも愉しませてくれる作品へと仕上げています。
自分が現代本格に求めるベクトルとはまったく違ったところを向いている作品ゆえ、正直好みではないのですけど、勿論、こうした作品もアリだと思います。人によっては、本作に描かれる不可能趣味に、御大フウでありながらスケールの小ささを疵と見なしたり、解かれる謎の順列と構成にあか拔けないところを感じてしまうかもしれません。しかし本作の最大の力点はそれらとはまた違ったところに置かれているのではないか、というのが自分の感じるところでありまして、 この「最後の一撃」に込められた作者の奸計を原理主義者がどう受け取るか、興味のあるところです。