例によって頭のイカれた芸術家のコロシを扱った一冊でもうハチャメチャ。今回は特に推理やロジックを軽くスッ飛ばしてあまりに異樣な事件の樣態が明らかにされるという結構が際だった一冊で、堪能というよりはもう唖然、というかんじでありました(苦笑)。
収録作は、スッ裸でカンバスをのたうち回ってハイ芸術の一丁上がりというキ印エロ女のゲージュツに絡めてグロテスクなコロシの眞相が開陳される「黒くぬれ! あるいは、ピクチャーズ・アバウト・ファッキング」、ネクラ男のアングラ劇から獨り善がりとしかいいようがないアンポンタンな眞相が唐突に明かされる「青い影、ないしは、ノーサイドインサイド」。双子タンの暗黒彫刻が變人關係の構図に狂氣のコロシを添える「グレイとピンクの地 もしくは、ウィッシュ・ウィー・ワー・ヒア」。
サイバー野郎の超越音樂がインチキ・カーの脱力密室事件を呼び寄せる「白日夢 さもなくば、エレクトリック・ストーム」、バカボンのパパ的な政治アクションから奇妙な毒殺事件へと流れる結構が奇怪に過ぎる「赤い露光 でなければ、ソルジャー・ウォーク」、ゲージュツのためならの意気込みが理解不能のグロテスクへと變じる怪作「紫の煙 または、マシン・ヘッズ」、そして連作短編のトリならではの奇怪な事件に隠された異樣な背景が明らかにされる「紅王の宮殿 またの名を、デス・イン・セブン・ボクシーズ」の全七編。
全編にわたって、正直、本格の推理とかロジックとかそういうものはもう二の次、その異樣に過ぎるというか完全に狂氣としてしか理解出來ないブッ飛んだ眞相を後半で唐突に明らかにするという結構に注目で、頭のおかしい芸術家たちが事件に大きく絡んでいるとはいえ、グロからエロから思弁からもう何でもアリという事件の樣態には完全に魂を抜かれてしまいます。
「黒くぬれ! あるいは、ピクチャーズ・アバウト・ファッキング」は、エロっぽい女ゲージュツ家がカンバスの上でゴロゴロとのたうち回って藝術完成、という作品で、何だか現代芸術家の名前をズラリズラリと並べてはいるものの、芸術の分からないド素人にしてみたらその芸風は要するに「象さんのお絵かき」と同レベル。
そんなキ印の女芸術家がゲージュツに勤しんでいるうちにグロっぽい死体が見つかって、――というお話で、ここでもその作品が事件の眞相を明らかにする重要なアイテムになってはいるものの、このグロ過ぎる眞相にはもう唖然。気持ちワルいというよりはもう穢いというレベルでしか語られないネタが激しすぎる一編です。
「黒くぬれ!」ではまだ推理のフリをしていたのが、「青い影、ないしは、ノーサイドインサイド」に到ると、もうロジックもヘッタクレも拔きにして呆氣ないくらい唐突に事件の真相が明かされるという結構にこれまた唖然となってしまいます。コ難しいジャーゴンを台詞の各所に鏤めたアングラ劇を能崩れのキ印がリハーサル中、事件が発生という展開から犯人はもうほぼ確定ながら、その動機とハウダニットは不明。しかしハウダニットにはこれまた頭を抱えてしまうようなネタを凝らして、さらにはその動機にこれまた完全にアッチの世界に行ってしまったとしかいえない獨り善がりぶりを大開陳してジ・エンド。収録作の中ではもっともヘンテコな気分を味わえる作品カモしれません。
「グレイとピンクの地 もしくは、ウィッシュ・ウィー・ワー・ヒア」は双子ネタに奇妙なところでエロとサイコのゴッタ煮を体感できる作品ながら、ネタそのものは双子が登場というところからも古典へのリスペクトを感じさせる一編です。しかしヘンテコ芸術に絡めたその眞相の着地點はやはり異樣で、そもそも肉體も感情も、そして動機でさえも奇妙奇怪な藝術の目的へと轉化されてしまうという一連の流れは本格ミステリを軽く飛び越えて、寧ろ新青年とかの懷かしの探偵小説への懐古を感じさせつつ、そのネタは先鋭的な現代芸術というひねくれぶりが堪りません。
「白日夢 さもなくば、エレクトリック・ストーム」には密室めいたコロシが登場、フツーのミステリマニアがようやく一息つけるという作品で、藝術家考案のマシーンが事件の眞相の鍵を握っていながら、そのハウダニットには「らしくない」リアリズムがシッカリと凝らしてあるミスマッチぶりがまた痛快。事件の発端となった出来事と動機が最後の最後にさらりと語られる構成も心憎い一編です。
藝術家の奇妙な失踪を扱った「赤い露光 でなければ、ソルジャー・ウォーク」になると、どこから何処までがゲージュツなのか事件なのかその境界線までもが曖昧になってしまってい、 そんななかでこれまたおかしな毒殺事件が発生して、――という物語。「赤い露光」という言葉に絡めたある種の見立てや、頭を抱えてしまう芸術家の心意氣など、完全に想像の斜め上を行く眞相には疑問符ばかりではあるものの、その狂氣に裏打ちされたところから奇妙な論理が現出する結構が収録作中、もっとも決まった一編でしょう。
「紫の煙 または、マシン・ヘッズ」は、収録作中、「黒くぬれ! あるいは、ピクチャーズ・アバウト・ファッキング」以上に、オエッというよりは悲鳴を上げてしまいたくなる眞相がキモ。藝術の展開中に事件発生、というところから犯人とその犯行方法が探られていくのですけど、コロシのハウダニット以上に、件の藝術家が行っていた藝術行為そのものの方が遙かにグロテスクだったというオチは相当に強烈。
最後を締めくくる「紅王の宮殿 またの名を、デス・イン・セブン・ボクシーズ」は、連作短編の結構に凝らされた登場人物たちの秘密が明かされる物語ながら、アッサリと解明されていた事件の背後に操りが開陳されるという現代本格ならではの結構が清々しい一編です。しかしここでもそうした操りと真の首謀者の姿以上に、件の美術館の真意が明かされるところでド肝を拔かれてしまいました。
正直、短編ひとつひとつのロジックや推理に目を凝らせばそれらを軽く流した結構にはやや疑問も感じさせるものの、キ印の藝術をフックに明らかされる眞相のあまりの奇怪さに魂を抜かれてしまって、そうした本格ミステリとしてのアラも忘れてしまうという邪悪さが秀逸な一冊、といえるかもしれません。本格ミステリのロジックというよりは、狂氣の論理を堪能したい方に強くオススメしたいと思います。