ジャケ帶に曰く「『イニシエーション・ラブ』で大反響を卷き起こした著者が技巧の限りを尽くして描く6つの事件」。「技巧の限りを尽くして」というのは些か大袈裟で、さらには『イニシエーション・ラブ』というよりは林真紅郎シリーズの方に近い、極めてノーマルなミステリに「見せかけた」物語ゆえ、連作短編の結構に凝らされた仕掛けが分かってはじめてニヤニヤしてしまうという一冊です。
収録作は、奥樣の浮氣調査が轉じてタイトルにもある卵消失の謎をアッサリと解き明かした後に本丸のネタが開陳されるという奇妙な結構がキモな「卵消失事件」、お屋敷に刺さった奇妙な矢の眞相の緩さが脱力を誘う「三本の矢」、収録作の中ではもっともノーマルな構成の暗號もの「兎の暗号」。
クラニーを彷彿とさせる偏執的な暗号地獄にミステリの小ネタを鏤めた佳作「別荘写真事件」、団地にバラまかれた浮氣暴露の怪文書を巡って最後は犬も喰わない緩ネタが開陳される「怪文書事件」、そして学生時代の仲良し娘の結婚式に連作短編の語りに凝らされた仕掛けが明らかにされる「三つの時計」の全六編。
上にも述べた通り、物語の発端は探偵事務所に依頼人がやってきて探偵が事件を解決という展開ながら、どうにも構成がねじれているというか、ずれている奇妙さが本作の魅力でしょうか。
例えば「卵消失事件」の発端は、旦那の浮氣調査という簡単なものながら、タイトルにもある卵の消失という謎がようやく明らかにされると、そのハウダニットはアッサリと流してしまうという破格ぶりを披露。さらにはその後小説家である旦那とファンとのメールのやりとりから、物語の前半部において語られていた、旦那の浮氣を疑うにいたったという事柄の眞相が逆説的なかたちで明らかにされるという捻れっぷりが秀逸です。
「卵消失事件」を典型に、いずれも「謎」の開示のタイミングと推理から眞相の開示へと到る過程への関わり具合が奇妙にずれているところが本作の面白さでもありまして、「卵消失事件」における卵の消失という謎を軽く流しつつ、冒頭部で語られた登場人物の「氣付き」が推理のプロセスで謎へと轉じる逆説や、さらにはそれがメールに隠されたネタへと變容する結構ほどの強度はないものの、「三本の矢」もやはり奇妙なお話で、お屋敷に刺さっていた矢の謎を解いてもらいたいという依頼が轉じて、推理の過程では「犯人」の動機のおかしさが現出するという事件の組み立て方というか、見せ方はやはりヘン。
「兎の暗号」はタイトル通りに暗号へとこだわった構成が収録作中、唯一気を許せる結構を維持しつつも、續く「別荘写真事件」になると、妙なところで偏執的に暗号へとこだわりまくる探偵、――というか作者の乾氏のヘンテコぶりはやはり異樣。暗号といってもその暗号の趣はフツーの本格ミステリの、というよりはクラニーのそれで、失踪した父親の現在を伝える写真が何者かから送られてきて、――という導入部こそフツーのミステリらしいのですけど、途中の會話の仄めかしが暗号へと轉ずるおかしさや、さらにはそこへミステリの小ネタを本作の眞相へと絡めてみせるところなどもやはり妙。
しかし本作では、そうした奇妙さから最後には家族のドラマを描き出すという結構が好印象で、そのずれかたと幕引きのシーンで浮かび上がるドラマのコントラストの激しさが爽やかな讀後感を残すところなど、収録作の中ではもっとも堪能しました。しかし、このトリックなんですけど、作中ではヒッチコックのアレを仄めかしてはいるものの、日本のミステリ讀者であれば、やはり御大のアレを思い浮かべてしまうと思うのですが如何でしょう。
「怪文書事件」は、浮氣を暴露する怪文書の犯人を搜しだすというネタからいくつかの假説を導き出してみせる探偵の語りは見事ながら、その後の展開がどうにも妙で「容疑者」とおぼしき輩がアッサリと明らかにされるものの、ここでも卵ネタから妙に暗号っぽい仄めかしが鏤められているところなど、謎から解明に向けて物語は決して一直線には進みません。卵に固執した小ネタが「謎」として妙なかたちで開陳され、それがまた妙なかたちで眞相を明らかにしてみせるところなど、謎の添え方に「卵消失事件」と同樣の奇妙な構成を見ることが出來る一編です。
で、もしかしてこれが大ネタのつもりなのかと頭を抱えてしまうのが最後の「三つの時計」でありまして、アリバイ崩しを擬態しつつ、その僞装の無理矢理ぶりが日常の謎を突き拔けたバカバカしさであるところなどに思わず苦笑してしまいます。で、最後には探偵と語り手、そして娘っ子の三人の関係から「語り」に絡めたあるネタが開陳されるという結構ながら、――ネタとしては今年の傑作のひとつとして絶贊した某氏の處女作をここでは指摘するべきなのかもしれませんが、語り手の「俺」がこのネタというところから、思わず「大明神ッ!」と叫んでしまったのは自分だけではない筈です(意味不明。しかし讀めば分かります)。
「技巧の限りを尽くし」た「イニラブ」のような物語を期待してしまうと肩すかしを食らつてしまうかもしれないとはいえ、特に事件の構図に対する謎の添え方に着目した讀みによって浮かび上がってくる展開の奇妙さなど、本作もやはりフツーの本格ではありません。乾氏のファン、――といってもそのほとんどが「イニラブ」みたいな物語を期待しているのではアレですが、正統派ではない破格の本格をご所望の方であれば充分に愉しめるのではないでしょうか。そして讀後、「大明神ッ!」と絶叫することをお忘れなく。