正に怪作。何だか「留美のために」以上に意味深というか訳の分からないタイトルにも勿論仕掛けがシッカリとあって、さらには「四神金赤館銀青館不可能殺人」を遙かに凌ぐ奇天烈ぶりと、倉阪ミステリのファンだったら拍手喝采したくなってしまう逸品です。
物語は、これから犯人と対峙しようという刑事が「紙の碑に泪を」という翻訳ミステリを讀み始めるのだが、――という話。作中作(?)があればやはりそこには件の翻訳ミステリと作中におけるリアル世界との連關をイメージしてしまう譯ですけども、本作でもそうしたメタ的な趣向が最後に炸裂するものの、その炸裂ぶりがあまりにヘンテコ。
ちなみに作中作となる「紙の碑に泪を」は「ジム・トンプスンのライヴァルたち」とある通りに、保安官であり作家である「俺」の語りで進んでいくのですけど、この人物がこれまた完全なキ印でありまして、小説にコロシを描くのであれば実際にコロシしてみないとリアルじゃない、と土屋御大も真ッ青のリアリストぶりを発揮、ハイク・ニンジャに扮してガイシャの家に忍び込み、シッカリとコロシを体験したあと、件の出来事を小説に記そうとするも何と、自分が書くより先に自らが体験したコロシをそっくりそのままトレースした小説が送られてきて……。
で、物語はこちらの期待通りに、ジム・トンプスンからクラニー流のスプラッタ・ホラーへと轉じていくという結構ながら、ここで大開陳される様々なシーンにも驚くべき伏線が凝らされているところなど、外観はホラーでありながらクラニー式の本格ミステリであるところも素晴らしい。
一方、リアル世界のパートでは犯人を指摘するための手がかりとなるものが讀者の前に提示されるものの、それがド素人たちが書き散らしたブログの切り抜きという脱力ぶり。何でも犯人は犯行当時、都内のホールでクラシックのコンサートを聴いていたという鉄壁のアリバイがある。で、素人がネット上に公開したコンサートの感想文がズラズラと並べられる譯ですけども、そこに絶妙な「違和」を添えて讀者への気付きを促してみせる趣向は倉阪ミステリの真骨頂。しかし本作最大の見所は、讀者を唖然とさせるのは、終盤で件の作中作とリアル世界が奇天烈な連關を見せるところでありましょう。
作中作の最後ではキ印が大暴れして町民鏖という展開が見られるものですから、これってもしかして「デモンズ」かはたまたコルタサルも短編のアレみたいなかたちでキメるのかな、なんて期待をしていると、不意打ちのように犯人の名前が明らかにされて、……自分は頭が真っ白になってしまいました。
この犯人の名前があまりにヘンテコなので、最初は何が何だかまったく理解出来なかったのですけども、件の犯人を前に探偵役が語ってみせる伏線の回収とその仕掛けの結構に納得、というか、何だか狐にバカされたような気がするものの(爆)、最後の最後にはその奇天烈にして執拗な伏線の技巧に無理矢理納得させられてしまうという、これまた倉阪ミステリでは定番の讀後感もステキです。
しかしバカされたとはいうものの、冷静にこの仕掛けの構造を眺めるに、何だか凄いことをやっているような「気がします」。気がする、というのは確かに仕掛けの仕組みは理解出来たものの、この仕掛けを支えている土台が伏線や暗號も含めてあまりに狂っているので、その「凄み」がストレートに伝わってこないところがアレながら、こうしたひねくれぶりもまたクラニーの風格でもある譯で、このあたりは完全に好みの問題でしょう。
しかしこの暗號にこだわる作中作の「俺」や探偵の偏執ぶりもまた異様でありまして、例えば、刑事がフと思いついた「駅の名前が暗号になっているというアイディア」というのが、
新大阪
新神戸
西明石
の三つの駅名を並べて、その真ん中の文字が犯人を指し示しているゆえ、犯人の名前は「大神明(おおがみあきら)」であるというナンセンスぶり。真ん中の文字を選ぶという肆意を認めるのであれば、例えばこの駅名の並びを變えて「新大阪」「西明石」「新神戸」とし、犯人の名前を「大明神」とすることもアリな譯で、これで同じ講談社ノベルズから脱力本を出しているクズミス作家が犯人だった、――なんていう「ウロボロス」を彷彿とさせるミステロイドへと変容を見せるのであればそれはそれで個人的には愉しめるような気がするものの、いずれにしろ、クラニー世界の登場人物らしい偏執ぶりを投影させた事件の構図はあまりに個性的。本格ミステリでは定番の見立てや暗號とは激しく乖離しつつも、讀者への「気付き」を促す「違和」を伏線へと転化させることによってそれらを見事な仕掛けにしてしまう強引ぶりは倉阪氏だけにしか出来ない超絶技巧といえるでしょう。
倉阪ミステリでの「暗號」というのは、フツーのミステリにおける暗號とは微妙にズレているところがまた奇天烈な譯ですけども、本作を讀んで、リアル世界と犯人の頭の中にある妄執を連關させ、独善的な犯人の意思表明として「暗號」が用いられているというある種の狂気から、倉阪ミステリにおける「暗號」というのは、フツーの本格ミステリにおける暗號というよりは、寧ろ「見立て」に近いのカモ、という気がしてきました。
いずれにしろ、このメタミステリっぽいんだけどメタミステリではない、という奇天烈なネタを支えるために鏤められた暗號と伏線があまりにヘンテコなゆえ、自分のように本作の仕掛けの凄みがすぐには理解出来ない方もいるかと推察されるものの、本を閉じてもう一度冷静に本作の結構を俯瞰すれば、ボンヤリとながらもクラニーが放った「渾身の変化球」の意図も見えてくると思います。
すべての本格讀みには決してオススメできないというキワモノぶりではありますが、そのこじつけに過ぎる狂気と妄執の暗號遊戯、そしてメタ趣向を突き抜けた物語の結構はクラニーの作品の中でも現時点では最強だと思います。倉阪ミステリのファンであればマストでしょう。