感涙、――といっても、作品に感動した譯ではなく、あくまで最後まで讀み通した自分を襃めてあげたいという意味での涙なところが最大のアレ、という作品でありまして(爆)、先週の金曜日から辛くて辛くて悲鳴を上げながらも、とにかくゴールを目指して目指して頑張りました。
そもそも通勤途中の電車の中が讀書タイムというリーマンの生活スタイルを完全に無視して、とにもかくにも分厚いばかりの弁当箱、という挑戰的なフォーマットゆえ、気軽に讀み始めることも出來なかった本作、休日にイッキに片付けてやろうと取りかかったものの、とにかくその異樣に過ぎる結構にボンクラの自分は完全にノックアウト。
物語は、ヒッキーの大御所が統べるお屋敷で毒殺未遂事件が発生、そこに探偵作家とお下げのおフランス娘が乘りこんでいき、――という話。
一応ボンクラワトソン役は件の探偵作家なのですけど、これが笠井氏自身をモデルにしたキャラ設定ゆえ、ボンクラといってもそれはあくまで探偵役に比較して、という意味でありますから、アーパーな讀者のことなどハナっから頭になく、毒殺未遂事件が始まる前から思想、歴史、サブカルチャーほか諸々の事柄を硬質な文体でもってアジテートしていきます。
しかしこのあたりの衒學趣味でギブアップする讀者は完全に置いてきぼりにして、毒殺未遂事件が発生するや、探偵作家にお下げのおフランス娘などが入り亂れての推理合戦が展開されていく結構が本作のキモ。
とにかくこの可能性をしらみつぶしにしながら推論に推論を重ねていく展開はあまりに異樣で、このあたりを愉しめるかどうかが本作最大の関門といえるでしょう、――というか、そもそもこれだけの頁數の中で、毒殺未遂事件の後、シッカリとしたコロシが発生するのですけど、フツーの本格ミステリであれば、毒殺未遂とコロシの二つの事件でどちらに「華」があるかといえば、当然コロシになる譯で、人死にの後は、件のクレイジーな毒殺未遂事件の推論推理は脇に置き、本丸のコロシに関して各の推理が開陳されていくのかと期待していると、――それでもシツコイくらいに毒殺未遂事件の方にこだわりまくって、推論推理を重ねていきまくる登場人物たちの行動は完全にブッ飛んでいます。
自分が序盤からこの物語にノれなかったのには勿論ハッキリとした理由がありまして、本作最大の謎である件の毒殺未遂事件の樣態が好みでない、……というか、そもそも華がない、というか……。例えば密室殺人でいうと、ごくごくフツーのリーマンが住んでいるアパートで中年野郎が首を絞められて殺されていてもそこには華がない譯で、これが例えば空中に浮かぶゴンドラで衆人環視の中、野郎が絞殺された後、犯人が忽然と消えてしまったとかいうのであれば、まあ、ベタではあるものの、自分のようなボンクラでも興味を持って讀み進めることが出來たりするのですけど、こうした装飾の部分から本作の毒殺事件を見てみると、まず毒物が複数本の銚子から発見された時点で自分として興味を惹かれなかったというか。
毒殺事件の場合、犯人が巧緻なトリックを用いて、被害者を「狙い撃ちに」してみせるところに醍醐味がある譯で、本作ではそうした毒殺未遂事件の樣態からしてノれなかったところが大きかったです。しかしこうした事件の細部の構成には当然、ハッキリとした理由がある譯で、こうした決定不可能な要素を事件に鏤めておかないと、そもそもが探偵作家をはじめとした「探偵」たちが推論推理を繙いていくことが出來ません。從って、こうした事件の樣態は、本作最大の見所である推論推理の奔流という趣向を最大限に活かすために用意されたものと見るのが妥当だと思うのですが如何でしょう。
これだけの頁を延々と毒殺未遂事件の推論推理だけで引っ張っていくという試みはまさに異樣、というか無謀というか破天荒というか、とにかくどう考えたって普通の作家は挑まないであろう暴擧ではある譯ですけども、いよいよ後半、とある手記とおぼしきものが発見されてから、その手記を巡ってまたまた推論推理が大展開され、それが次第に件の毒殺未遂事件の樣態と照応していく結構はスリリング。このあたりからようやくフツーに讀むことが出來た譯ですけども時既に遲し、推論推理の大盤振る舞いで三分の二ほど讀み通したボンクラの頭では、すでに本丸探偵の華麗な推理に追いついていく餘力は殘されておらず、銚子や酒瓶を巡る眞相開示も完全に聞き流し、……というか、文章の一字一句を目は追っているものの頭は完全についていっていないというテイタラクでありますから、自分のようなボンクラが手を出すと至福の讀書タイムが忍耐苦難の頭の猛特訓へと早変わりしてしまうことは必至、ゆえに取り扱いには注意、ということで。
個人的には、寧ろ探偵によって眞相が明らかにされた後の後日談的なやりとりの方が遙かに興味を惹かれました。作中に暗示されていたクイーンの影について語られるとともに、この物語における事件の構図が「大きな犯人」「小さな犯人」という言葉によって語られるところが秀逸、――とはいえ、こうした構図を本格ミステリへと昇華させた作品では、あくまで個人的な嗜好ではありますが、本作よりも、深水氏の作品の方が非常にスマートに纏められているような気がします。
苦行であったのは事実なのですけど、同時に本作はジャケ帶に「論理小説の臨界」とある通りに、本格ミステリにおける論理というものを突き詰め、まさにギリギリのところまで達したという点ではやはり歴史的な作品だと思います。ただ、この作品が「臨界」である以上、その先には何もないような気がするのもまた事実で、「複数の可能性、可能性の可能性、可能性の可能性の可能性が複雜に絡み合い、ほとんどジャングルのような樣相」を現出させるために、毒殺未遂事件という事件の樣態の魅力を犧牲にしてしまうような「謎の構築方法」に未来はあるのか、とか、これは昨年の「密室キングダム」にも感じたことなのですけど、新しい謎のかたちの創造を放擲して、コード化された凡庸な謎のかたちに新しいトリックを施したり、推論推理によって事件を迷宮化させた本作のような作品の先に未來はあるのかというと、……個人的には非常に悲觀的、だったりします。
そもそも現代本格に危機があるとしたら、コード型本格というサブジャンル的な意味合いよりも、もうすこし本質的なところで、物語の起点となる「謎の構築」に創造性を傾けず、先人の模倣を繰り返しているところにあるのではないかな、なんて感じている自分としては、本作で「臨界」に達して「論理小説」にオトシマエをつけてみせた笠井氏が今後、この「臨界」の先をさらに目指すのか、それともまったく新しい地平を切り開いていくのかに興味津々、次作もやはり期待したいと思います。
今は讀了して、次の本に取りかかれることが何よりも嬉しく、そういう意味ではハードトレーニングの苦しみが何よりもタマらないというマゾ気質のマニアには強力にオススメしたいとともに、現代本格を追いかけている本讀みであれば、何にしろ避けることは出來ない一冊でもある譯で、「密室キングダム」以上に苦行を必要とする本作をプロの批評家作家の方々が年末にどのような評価を下されるのか興味のあるところです。
ただ、上に述べたような「新しい謎の構築」というようなところはおいといて、純粹に推論推理の展開の「見せ方」という点では、本作よりまほろ氏の新作「探偵小説のためのヴァリエイション 「土剋水」」の方に未来があるような気がするのは自分だけでしょうか。