一月ほど前、千街氏が読売新聞の「本のソムリエ」において、どんなミステリを読んでも犯人が分かってしまって面白くない、犯人が絶対に分からない小説を教えてください、みたいな趣旨のリクエストに、三津田氏の「首無の如き祟るもの」と並んでオススメしていた本作、何たがアマゾンとかオークションとかを巡回してみると、トンデモない値付けがされています。じゃア、実際のところはどうなのか、というあたりを調べてみるために讀んでみることにしました。
結論からいうと、普通のダメミスでしたよ(爆)。千街氏のイタズラにつられて高値で購入してしまった人にはご愁傷様、というしかないのですけど、犯人が分からないというところよりも、寧ろ違った視點から眺めると意外と見るべきところがある作品だとは思いますが、このあたりについては後述します。
物語は、金持ちの爺が妾にしている漁師の娘とクルージング中、海上で密室状態となったキャビンの中で蒸し焼きにされてご臨終、果たして犯人は、――という話。冒頭、いきなりエロっぽいシーンから始まるものですから、思わずニヤニヤしてしまうものの、このあたりは、
女はもう顔を真っ赤にして、下をうつむく。それを愛おしげに見守りながら、頬にキスした。
「うぶなのもいいが」男が言った。「そういつまでたっても、小娘同然ではな。少しはテクニックも覚えなくちゃ」
とズボンのチャックを引き下ろすと、女の手を取ってそこへ誘導した。
女はまた体を固くしたが、無論手を引くようなことはしない。素直に従った。
がそれ以上のテクニックは知らない。ただじっと握っているだけだ。
「その手を動かすんだよ。こんなふうに」
男は自分の手を持ち添えて、女に教え込もうとする。
と爺が漁師の娘に手コキをさせる場面をサラリと描くだけで、すぐさま場面は件のクルーザー炎上のシーンへと移ります。爺と娘っ子は無惨な焼死体で発見されるものの、キャビンは鍵のかかった密室状態。心中とも思えないし、だとすると放火殺人なのか、というところから警察の捜査が始まります。
容疑者としては件の爺が莫大な遺産を残していたことから、その親族に嫌疑が向けられ、容疑者は一人に絞られていくのですけど、そこには鉄壁のアリバイがある。果たしてこの人物が遺産目当てに殺したのか、それとも――。
アリバイがアッサリと崩れて、さらには犯行現場に近しいところから容疑者のブツが発見されるとあって、警察ではこの人物を犯人と確定するものの、中盤に至って、今度はこの容疑者の親族とパートナーが素人探偵となって、真犯人を探し出すという展開です。
あの千街氏が犯人を特定出來ない、さらには前に讀んだ草野氏の作品が怪作「死霊鉱山」でありましたから、犯人には超常的な存在を含めて色々と頭に思い描いていたのですけど、最後の最後で明らかにされた真犯人は、――誰だよコイツ(爆)と脱力至極。確かに意外な犯人ではありますが、この意外さは火サス的なダメさも交えた意外さであって、極上のミステリの風格にはほど遠い。「首無」と並べて語ってしまうのはアンマリです。
こういった意外な犯人によって讀む者を驚愕、脱力させる作品というのであれば、個人的には藍霄の「錯置體」を推したいところです。こちらは仕掛けられたトリック、狂氣と不気味さを添えた怪異、そして推理のプロセスとすべてが一級品の風格の中に「誰だよコイツ(苦笑)」的な脱力が際だった逸品で、本作のような火サス的なヌルさは皆無です。
そもそも「犯人が分かってしまって面白くない」とフーダニットに重心を置きすぎた「讀み」が自分的にはちょっとアレで、前にもちょっと書きましたけど、特に最近は、推理にょって明らかにされる犯罪構図の美しさに着目した「讀み」を意識的に行っている自分としては、犯人が分かればすべてオシマイというのでは、一冊のミステリを愉しむにしてはもったいないのではないかなア、と感じる次第ですよ。
では、そんな脱力ぶりに本作はマッタク讀むに値しない作品なのかというと、そんなことはなくて、警察の視點から捜査が進められる前半部と、犯人に仕立て上げられてしまった容疑者の嫌疑をはらすために奔走する素人探偵を描いた後半部との対比によって浮かび上がってくる犯人の狡知にたけた犯行はなかなかのもので、特に嫌疑を向けさせるために「あるもの」を二重化して、警察の捜査の陥穽を突いているところは面白い。
またこれが、まさか犯人がする筈もない、とされていることであるがために、この二重化によってますます犯人の仕掛けが堅固に組み立てられるところも見事で、素人探偵が裁判の過程でこの奸計を暴き立てるところにも、よくよく読み返せばしっりかと伏線が張られていることが分かります。この「あるもの」を二重化することによって、自らの目論見をますます堅牢なものへと変えてしまうトリックは、ダメダメな本作といえど、評價してもいいところではないでしょうか。
ただ、こういうものに手に出してしまうミステリマニアからすると、キャビンの密室を構築するためのトリックはこれまた残念至極で、教養貴族が本作を讀めば、この作品を新聞紙上で評價したのが自分を小莫迦にした論考を同人誌で発表した千街氏でありますから、そうした私怨も含めて「オホホホ、これだから古典を知らない無知蒙昧な輩は困るのですわ。大衆と呼ばれるのがそんなにお嫌いならば、私みたいに台湾に出向いて島崎御大にインタビューでもしてご覧あそばせ(何故か蘭子口調)」なんてかんじで嘲笑してしまうのはもう必定。
密室トリック、フーダニットといったベタな愉しみどころは敢えてスルーしつつ、犯人の狡猾さを際だたせた振る舞いとその方法に着目した讀みを行うことをオススメしたいと思います。古本なのに原価以上の金を払ってまで讀むような作品ではありません。ブックオフの100円コーナーに並んでいたら、話のネタに即ゲットしてみる價値はあるかもしれませんが。