これはちょっと讀み方を間違えてしまいました。高校の芸術棟に幽霊が出るという噂通りに、幽霊が出現という怪異を中心に話が進む「學校の怪談」もの、とでもいうべき物語なのですけど、自分は最後の最後にこの結構の狙いが明らかにされるまで、どうにもノることが出來なかったゆえの大失敗、――という譯で、このあたりについては後述します。
語り手はどこか惚けたかんじのするボーイで、私立高校の芸術棟にフルートを吹く幽霊が出るという噂に、その真相を確かめてやろうと皆で夜中に張り込みを行うも、ホンモノが出てきてしまって吃驚仰天。果たしてその幽霊の正体は、……というところが前半で、實はこの幽霊の噂とともに、もうひとつの怪異が提示され、中盤ではこの二つが絡み合いながらその背後にある真相が明からにされていくという結構です。
ただ、冒頭に提示されるフルートの幽霊の正体については、これがもう猿でも分かる脱力トリックでありまして、探偵は早々にこの謎を解き明かしてしまいます。さらにはこの幽霊とおぼしき人物の正体と、何故幽霊が現出したのかというホワイの部分が中心に語られていくのですけど、それとともに新たな學校の怪談をトレースするかたちで第二の幽霊がご登場、物語はこの新たな幽霊の正体と第一の怪異における何故、の部分の解明を軸にして進められていきます。
ただ、第一の幽霊のホワイとその内幕、――すなわち、何故學校の怪談といううわさ話に広まってしまったのか、というあたりが、これまたアッサリと中盤あたりで明かされてしまうところで呆気にとられてしまいます。物語そのものは、語り手の飄々としたキャラを典型に、どこかほのぼのした登場人物たちを交えて淡々と進んでいくのですけど、彼らはおしなべて本格ミステリマニアでないところから、猿でも分かる手品トリックについても、これがマニアであれば「ゲラゲラ! 今時カーの猿真似ですか!」と揶揄されてしまいそうなネタながら、シッカリと現場検証をこなしながらそのトリックを解き明かしていくという振る舞いがある意味非常にもどかしい。
で、このもどかしさについて考えるに、やはり今日日、本格ミステリの構造の中で、幽霊の現出という怪異がそもそも魅力となりえなというところがありまして、このあたりは先日引用した達人巽氏の言葉にもある通り、「密室殺人とか見立て殺人どいうものは現代ではお約束になっていますから、「あ、出たな」とは思いますが、それで本当に不思議だとは恐らく思わないのでは」というあたりが自分的にはちょっとアレで、特に舞台が學校でそこにまつわる怪談とあれば、幽霊といってもそこには必ずトリックあり、というゲスの勘ぐりで讀み進めてしまったものですから、トリックの解明に大ハリキリのボーイたちとは対照的に、物語の外にいるこちらにおいてきぼりを喰らってしまったような寂しさが残ります。
という譯で、第一の幽霊と違って、第二の幽霊となる怪異についてはそれなりの大ネタが使われてはいるものの、探偵が推理の前に「謎は解けたよ」と呟いても、個人的にはそもそもその幽霊の怪異自体に魅力を感じることが出來なかった自分は完全に負け組ですよ。その怪異の正体が人為的なものであることが明らかであるとすれば、自分としては、ではその怪異の真相が解明されるところから浮かび上がってくる事件の構図に俄然、驚きを期待してしまうのですけど、動機という點に關して言えば、いかにも高校生らしい、というか、四十路の中年オジサンからすると妙に微笑ましいネタで、そこに激しい顛倒や狂氣が開陳される譯でもなく、ここでも自分はまた脱力……、と本作の狙いを完全にとらえ損ねた期待ばかりを膨らませて讀み進めていってしまった自分は完全にアレ。
もっともこれはあくまで、「紋切り型で踏襲されたもの」に「不思議」を感じない自分が問題な譯で、密室が出てくるだけで大満足、それがカーっぽいマジックネタであればもうタマらない、という本格理解者であれば没問題、本作で提示される幽霊という怪異にも「ワクワク、ワクワク。さて、定番のミラーが使えないとなると何かなア?」なんてかんじでノリノリに探偵が開陳するトリックに期待できるのではないかと思います。
とはいえ、一抹の不安がない譯でもなく、こういうマニアであれば、やれトリックに先例があるだの何だのというあたりのクレームが心配で、「世紀末大バザール 六月の雪」でも、後半に明らかにされる怒濤の世界反轉の構造というキモを無視して、中盤に早くも開示されてしまう密室トリックに先例があるというだけで評價を下げてしまうようなマニアであれば、本作の評價もかなり厳しくなってしまうかもしれません。
しかし、これらの陳腐ともいえる定番ネタを披露しつつ、そこに學校の怪談という、これまたある意味陳腐化されたブツを提示しているその理由が最後に明らかにされるところは強烈で、第二の怪異のトリックが解かれた後、何故この噂が広まったのかというところを犯人の心理から探偵が解き明かしていくところは素晴らしい。
傍点も添えて強調されているところから、やはり本作のキモは、怪異を創出するためのお子様トリックではなく、この噂がつくりだされるに至った動機や、その背後に隠された「あるもの」であることは明らかでしょう。なので、このあたりも、幽霊の真相が猿でも分かるトリックだからというだけで一蹴せず、「世紀末大バザール 六月の雪」と同様、事件の構造そのものを俯瞰して愉しむのが吉、でしょう。
またこの學校の怪談ネタとはまったく離れたところで「プロローグ」が語られているのですけど、これが件の怪談とどう絡んでくるのかというあたりも大きな見所で、このあたりも上に述べた二つの怪異とともに探偵の推理によって見事な連關を見せる仕掛けも秀逸です。タイトルにもなっている冬に出る理由に絡めて、島田御大曰く「この小説にこそ好ましい暖かさ」が感じられるところもいいのですけど、個人的にはこのすぐ後に、ハートウォーミングなネタをひっくり返してしまうようなブラックさにニヤニヤしてしまった自分はかなりアレ(爆)。また最後のエピローグで語られる逸話に至って、事件の中でさりげなく描かれていたあるものに思い至るところも洒落ています。
という譯で、自分は最後の最後のところまで、本作の狙いとする部分を読み違えて進めてしまった為、大満足という譯にはいかなかったのですけど、カー好きの本格理解者であれば愉しめるのではないでしょうか。また「ヴェサリウスの柩」を紹介したところでも引用したのですけど、
わたしが似鳥作品を佳作に推したのは、……(略)あくまで可能性を評価してのことだ。第三の波の書き手の大多数が一九六〇年代生まれで、年長組は四十代も半ばをすぎている。将来の米澤穂信や桜庭一樹のような若い書き手を集めることができなければ、鮎川賞の将来は危ういという判断が、この作品を推した背景にはある。
という感じで、笠井氏が、作者似鳥氏の若さゆえに大プッシュしている作品でもあるので、寧ろ自分のような六十年代生まれのロートルよりも、フレッシュな若者の方が愉しめるのではないかと推察します。実際、ジャケのデザインもそんなかんじで、「ジャケ見れば分かるだろ。この本はなア、六十年代生まれの作者が書いた「ヴェサリウスの柩」のマッドサイエンティストやヒロインの娘っ子が死体プールにドボン、なんてアルジェントファンの心を擽るキワモノテイストで六十年代生まれのロートルにアピールするような作品じゃないんだよ。ウダウダ文句ばっかり言ってると笠井先生に言いつけるぞ!」という創元からのメッセージがビンビンに伝わってくるゆえ、若者が本作のカー式トリックの造詣や學校の怪談というネタの添え方にどのような感想を持たれるのか、興味のあるところです。
[11/01/07 追記]
實をいうと、本作の幽霊の現出という怪異に今ひとつノれない理由は、この事件の構図そのもののある意味、宿命でもあって、後半、探偵はこの點についてシッカリと言及しています。以下、ネタバレ。探偵は最後の謎解きの部分で、犯人に對して「怪談」と「怪奇現象」という二つの言葉を使って、このトリックを用いた怪異は「怪奇現象」であって「怪談」ではない、と喝破します。勿論、この怪異を「怪談」から「怪奇現象」にしてしまったのは犯人の仕業で、それゆえに背後に隠されていた事件の構造を探偵によって暴かれてしまいます。
しかしこの物語の外にいる讀者にしてみれば、それが「怪談」という「不思議」の体裁を捨てて「怪奇現象」になってしまった以上、そこには必ず何かしらのトリックがあると勘ぐってしまいます。物語を讀み進める意識が、「怪談」の背後にある隠された構造よりも、トリックの解明に向かってしまうと、それが「単なる」物理トリックではなく、相当に意表をつくものでない限り、ミステリの讀み手の關心を繋ぎ止めておくのは難しいのではないかなア、などと感じてしまった次第です。つまり探偵によって指摘される犯人の誤りという事件の中心的骨格そのものが、本作の構造をあまり魅力的なものではない方向に向けてしまったともいえる譯で、――そのあたりの宿命的な結構をどう処理すればよかったのか、というあたりにプロの評論家の意見を期待したいと思いますよ。