傑作。首が無くなり、首が挽かれて、今度は首が鳴いたりと、何だか今年の本格ミステリは妙に首ネタが多いなア、なんて感じなのですけど、本作も昔話フウの見立て殺人が島で発生、というコード型本格の結構に横溝ミステリの風格を感じさせる作品です。とはいえ、実際はキャラの造詣も含めてもっと軽妙で讀みやすく、また色々と語りたくなつてしまう作品で、個人的には大いに堪能しました。
物語は「鎌倉と湘南の伝説」なんていう郷土史っぽい本の複写部分から始まり、本作の見立て殺人ではキモとなる鬼の話が語られます。續いて怪談専門webサイトから掲示板の内容が引用され、奇妙な手紙が添えられたプロローグのあと、本作の主人公たるダメ男が學生時代の女友達とともに件の島へと渡るところからが本編のスタート。
その島を所有している大企業のお偉いさんの家族の間では、何だか後繼者を巡って妙な空氣が流れているから、雜誌の取材ということでこの島に乘りこんできた主人公も当惑気味。それでも實はホの字の女友達も一緒だからルンルン氣分で取材にと張り切っていると、件の鬼の昔話通りに腕を切断された死体が御登場。ほとんど息つく暇もなくまたまた腕なし死体が發見され、最後にはコード型本格の御約束とばかりに首無し死体も現れて、……という話。
主人公は事件の最後の方で、背後から犯人にボコられたので、フと目が覚めるとそこは病院、というところから覚醒したダメ男君が件の連續殺人事件の推理を披露してみせるのですけど、これがまた首無し死体と来ればやはりこのトリックだよねえ、というこちらの期待通りのネタを明かしてみせるものの、これが悪友のダメ出しであっさりと否定されてしまいます。
ここに大きく絡んでくるのが、物語の中盤あたりでもややクドいくらいに語られている科學知識でありまして、この最新科學を用いた事件の構図の反轉が素晴らしい効果を上げているところが本作最大の見所でしょう。
得意氣にひとりよがりの推理を披露するまでは、ダメ男ながらそれなりの威嚴を保っていた主人公が、ダメ出しをされてしまうや抜け殼と化してウジウジとフられた女のことを思い續けるあさましさとダメっぷりがいい味を出しています。主人公の推理の否定によって、物語の風格が見立て殺人という怪奇趣味を添えた正調コード型本格のそれから、主人公と女友達の關係の皮肉も交えた脱力のコントへと轉じるところが面白く、本格ミステリでは見せ場のひとつともいえる推理シーンを、作風の転換に用いる手法はかなり愉快。
主人公は挫折したあともウジウジと事件の真相について思いを巡らせてはみるものの、頭が足りないゆえにその思考も空回りを繰り返すばかり、そしてついにここから眞打ち探偵の御登場と相成る譯ですけど、このトリックの形態そのものはコード型本格ではありふれたものながら、本作ではここに最新科學を添えて事件の構図が反轉と再歸を見せるところが素晴らしい。
事件の真相が明らかにされて初めて分かるのが、犯人の挫折と実行はそのまま、主人公である前座探偵の挫折と眞打ちの探偵が明らかにする事件の眞相という流れを精確にトレースしていたということでありまして、最新科學の進歩がそのまま犯人の「仕込み」から「挫折」、そして「実行」という流れを運命づけるともに、あたかもその流れを再現するかのように、二人の探偵が推理と眞相を語り出すことによって犯人の心情を記述していくことの巧みさ、そしてこの事件の再歸的構図を対照するかのように、やぶれさる探偵の挫折と泣き笑いの裏に、犯行を爲し遂げた犯人の飛翔を描き出してみせた幕引きも最高です。
本作における推理の技法に目を向ければ、ボーイの推理が明らかにしてみせた見立て殺人を、たった一言のツッコミでご破算にしてみせるところなどは、當にコード型の本格ミステリが好きで好きでタマらないというマニアの思考を嘲笑うかのような鮮やかさで思わずはッとさせられます。
しかしやはり本作の推理部分でもっとも光るのは、最新科学をフックにして、事件の核心部分を衝きながらも結局はやぶれさる探偵となってしまったボーイの見立てと眞打ち探偵の推理が劇的な再歸をみせるところでありまして、科學知識の衒學解説がやや冗長に感じられるとはいえ、これが眞相開示の部分で大きな意味をもってくるところはもう完璧。
舞台を島として、一族の血を巡る連續見立て殺人という結構に、横溝ミステリの風格の繼承を見るのは當然とはいえ、本作で注目したいのは、横溝ミステリの骨格ともいえる「血」や「家」といった部分を事件の核心部分に添えながら、トリックと謎解きに最新科學を大胆に導入してみせたことにありまして、自分などはこれをもって本作こそは當に現代の横溝ミステリと呼ぶに相應しい傑作ではないかなア、なんて感じてしまった次第です。
言うなれば、島田御大の二十一世紀本格の思想によって横溝ミステリの風格を現代の本格へと昇華させた作品、とでもいうか、――このあたりに「後ろ向き」の本格やコード型の本格を延命させるヒントが隠されているような氣もします。とはいえ、ウハウハ笑う黒マントの怪人や空前絶後の密室殺人もナッシングという作風では、些か地味に見えるのもまた事實。
このあたりから「評論栄え」のしない作品として退けられてしまうカモという危惧もあったりするのですけど、現代の横溝ミステリはどうあるべきなのか、とか、本作ではもっとも魅力的に感じられた最新科學を活かした推理の再歸構造などに着目しながらの「讀み」を行えば、本作もまた十二分に愉しめると思います。
また、犯人の非情がアッサリと描かれているところにも個人的には注目で、このあたりに「容疑者X」から續く現代ミステリの特徴を観察するのもアリだと思います。少なくとも自分はこの犯人にはマッタク感情移入は出來ないし、感慨もないのですけど、それは自分が本格ミステリの非情と酷薄ということに關しては、例えば連城氏の傑作短篇「花緋文字」のような犯人の美意識を求めているからに過ぎません。
実際、もし現代の本格ミステリにおいて、リアリズムを突き詰めていけば、ミステリマニアの美意識などは糞喰らえとばかりの犯罪が日々新聞の三面記事を賑わせている譯でありますから、本作における犯人の非情は本格ミステリの美意識から遠く離れたものながらそれがまた逆の意味で「リアリティがある」ということになるのでしょう。もっとも現代の本格ミステリがこれでいいのか、という意見は當然ある筈で、まア、このあたりは笠井氏が現在追いかけているテーマにも繋がってくるような氣がします。
リリース時期が柄刀氏の大作「密室キングダム」とほぼ同時ということもあって、同じコード型本格ながらどうにも地味に感じられてしまう本作ではありますが、個人的には、日本において本格ミステリというジャンルが死滅した数十年後、「二十一世紀本格の手法によって横溝ミステリの精神を見事に現代の本格へと昇華させた歴史的作品」というかんじで評価される逸品ではないかなア、と思ったりします。
繰り返しになりますが、見かけの地味さに惑わされず、最新科學の応用と秀逸な推理の再歸構造に着目しつつ、探偵と犯人の照應關係によって描き出されるそれぞれの登場人物の心情に思いを馳せる、――という讀み方が本作を愉しむコツ、でしょうか。三津田氏の「首無」とはまた違った意味での犯人の「仕込み」と挫折など、まだまだ語りたい部分もたくさんあるのですけど、これくらいにしておきます。おすすめ、でしょう。