勝者なし。歴史の慟哭、操りの崩壞。
これは素晴らしい。リリースされた時には新聞の書評などでも好意的に取り上げられていたと記憶しているんですけど、本格ミステリマニアよりも寧ろ一般の本讀みにアピール出來るその風格も秀逸です。
物語の舞台はあの巣鴨プリズン。そして戰犯であるキジマという人物の記憶を取り戻す任務を命じられた男が狂言廻しとなって、プリズン内で發生した密室毒殺事件を追っていく、という縱軸に、謎めいた魅力をムンムンに振りまいてくれる人物、キジマの記憶や、更には彼が捕虜收容所で行ったという惡魔的な所行の眞相も絡めて展開される物語は一切の緩みもなくグイグイと引き込まれてしまいます。
まずもってこの狂言廻しとなる探偵がメリケン野郎でも日本人でもないというところが絶妙で、この人物がキジマと、彼をどうにか助け出そうと奮闘する婚約者やその兄と交流を深めていく過程が丁寧に描かれているところもいい。
またこの男が戰後の東京や原爆の悲惨を目の當たりにし乍らも、自らの立ち位置を囚人であるキジマと對比させ、さらに内省を深めていくという展開も素晴らしい。狂言廻しであるこの探偵や謎男のキジマ、さらにはゲスいメリケン野郎など、人物造詣も非常にリアルで、個人的にはいうことなし。配役がシッカリしている故、物語の謎がキジマの記憶喪失や密室での毒殺事件、さらにはキジマの捕虜收容所時代の所行にと拡散することはあっても、物語の芯がブレることは決してありません。
個人的には中盤に開陳されるキジマの捕虜收容所時代の行動が、ヒロインの推理によって明らかにされていくとこがキモでした。確かに今となっては巣鴨プリズンや東京裁判など、普通の人もその実態について知っている故、時にはベタに過ぎるかな、とも感じられる描寫も散見されるものの、本作においては寧ろ作者の語りのフラットさが好ましい。
確かに島田御大のように「日本人はすべからくナニナニである!」みたいな情念を島田節に託して小説に結実させる手法とは大きく異なるゆえ、このベタなところを薄いと感じる方もいるやもしれません。ただ、自分としてはこの作者の平易な語りで畳みかけるようにベタな文章を連ねていき乍ら、最後には戦争の輪郭をおぼろげながらも丁寧に描ききったという點だけでも本作は大いに評價したいところです。
ミステリとして見た場合、上に述べた捕虜收容所の出來事を推理していくところが魅力的なのは勿論ですけど、最大の見所はやはり後半、これまたベタなトリックを積み重ねながらも、次々と畳みかけるように繰り返されるどんでん返しの應酬でしょう。
密室の毒殺事件、そして繰り返される死、そこに前半からシッカリと凝らしてあった伏線が回収されるところは壓卷で、このどんでん返しが炸裂する度に、登場人物たちの戦争を背景にした人生の重みが明かされていくところも、これまたベタながら素晴らしい、と感じました。
正直、これだけベタなキメ台詞や描寫が繰り返されても作者の平易な語りの技法ゆえか決して嫌味にはならず、それらが重奏されることによって登場人物たちの造詣がよりいっそう鮮やかに描き出されているところも自分好み。
プリズン内部で發生していた事件が操りを離れて拡散していくところが明らかにされる謎解きのシーン、さらには狂言廻しの探偵が見つけたブツによって明らかにされる大きな操りの構図と、現代ミステリとして見てもこのあたりは大きな成果だと思います。
確かにトリック至上主義的な尺度で見れば、これまたネタが薄いという意見もあるかもしれません。後半に展開される謎解き部分でもひとつひとつのトリックは非常に小粒で、それだけに目をやれば確かにそうなんですけど、個人的には大掛かりな一發ネタよりも、小技を巧みに張り巡らせて、自分としてはそれを大きな物語に結実させるような話が好みなので、本作の仕掛けは大いに愉しむことが出來ました。まあ、このあたりはあくまで好みの問題だと思いますよ。
例えばヒロインが原爆で顔半分がアレでメリケン野郎からイジメられるところとか、かの事件の「眞犯人」が戦争の犠牲者でアレだったという後半の台詞とか、更にはエピローグのいかにもな幕引きなど、確かにベタなところはテンコモリで、……ってもう何度も何度もベタだベタだ、と繰り返してしまっているんですけど、本作、ひいては作者の風格で唯一欠點と見られるところがあるとすれば、このあたりにあるんじゃないかなア、と感じてしまうのでありました。
自分はこういうベタなところはベタとして愉しむ、と割り切れるからいいんですけど、人によってはこういうところがどうにも氣になって仕方がない、ということもあるのはこれまた事實でありまして、作者はこのへんの批判に對してはあまりに無防備、というか、完全に割り切っているというか、このあたりの磊落なところも含めて、自分は本作を大いにリコメンドしてしまうのでありました。
本格ミステリとして目指しているところは、「虚無への供物」や「赫い月照」とはまったく別の方向を向いている作品乍ら、島田御大のような情念のアジテートも希薄、寧ろライトな感覚で歴史の重みを堪能出來るところから、普通の本讀みにも十二分にアピール出來るかと思われる本作、アマゾンの内容紹介には「ミステリ界注目の知性が戦争の暗部に挑む」なんてあるんですけど、それほど氣負わずに、もっと輕い気持で愉しめると思います。おすすめ。