ムッツリエロ地獄、惡魔推理。
出版芸術社の鮎川哲也コレクションを讀了後、そういえば土屋隆夫御大の短篇ってどんなものだったっけと思って本棚の奧から引っ張り出してきた本作、正直短編集であれば何でも良かったんですけど、これはエグい。
内容の方は大昔に讀んだきりでスッカリ忘れていたんですけど、鮎川御大のコレクションとは異なり讀者への挑戦を添えた推理ゲーム風の作品は少ない乍ら、土屋作品に特有のムッツリエロ風味が濃厚な作品群は惡魔主義的な幕引きも含めて、キワモノマニアとしてはかなりツボ。
収録作は自殺した根暗ワナビーの妹を名乗る女性の詰問に文藝編集者がタジタジとなる「氷の椅子」、妻を幽鬼青年に寢取られた役所マンがついに復讐をはかるものの、予想外の奸計に御大の惡魔主義が炸裂する「潜在証拠」、お父さんは自殺じゃない!という子供の悲痛な叫びが親子の絆の悲愴を喚起する傑作「絆」、ピーピングトムのゲス老人に恐喝された役所マンの完全犯罪「老後の楽しみ」、革命オヤジの脱黨から謎めいた失踪殺人が描かれるトリッキーな佳作「私は今日消えてゆく」、スランプ作家の煩悩から衆人環視の毒殺事件をユーモアと皮肉を交えて描いた「わがままな死体」、エロ映畫上映會が思わぬ密室殺人へと展開する表題作「地獄から来た天使」の全七作。
キワモノマニアとしては、やはり御大のむっつりエロスが満喫できる「老後の楽しみ」は絶對に外せない作品で、主人公となるのは市役所で課長を務める小市民乍ら国立大學を卒業しているのは役所の中で彼ひとりという、いうなればエリート課長。
市会議長の長女を妻に迎えていることもあって將來の市長候補とされているこの男は、「市営モーテル建設促進趣意書」なんていう電波な提案を耄碌爺からいただいたのが災難の始まりで、小説ではこの趣意書の要約が掲載されているのですけど、「健全なる青少年が、その愛情を交歡するする場所」を持たないのはけしからんという怒りの言葉から始まるその文書からハジケけまくったところを抜粋してみるとこんなかんじ。
およそ性の衝動は、時と所を問わない。やりたいときにやるのが、人情の自然であり、その場所を持たない彼らの嘆きは、黙視するにしのびないものがある。
やりたい。やられたい。やらせたい。しかも、その場所がない。この苦痛と焦燥感は、彼らの肉体と精神をむしばみ、学業や仕事の能率を、いちじるしく低下させているのである。
かくて白根市の男女は爆発寸前の体をもてあましながら、その場所を求めて、さまよい歩くのである。
野菜畑。人参小屋。保育園の物置。中学校の体育館。堆肥小屋の片すみ。雜草にかこまれたわずかな空き地。
青カンするにしても流石に普通の若者だったら「堆肥小屋の片すみ」では絶對にしないと思うんですけど、そんな亂れまくった電波野郎の妄言を輕くスルーしていると、爺は單身市役所に乘りこんできたからさあ大變、主人公がイヤイヤながら應對すると、しかし老人は神社の片隅で主人公があることをしていたところを目撃したのだといい、……。
ゲスな爺の恐喝に小市民の主人公の怒りは爆発、彼は金をやるからと誘い出してマンマと彼を殺してしまうのだか、……というところで勿論話がハッピーエンドに終わる筈もありません。惡魔主義的な結末に主人公の呆然とした顔が思い浮かぶキワモノマニアも大喜びの佳作でしょう。
主人公の悲惨ぶりという點では、「老後の楽しみ」の更に上を行くのが「潜在証拠」で、「おれが伊能正志を殺害したのは昨夜のことであるが」という出だしから始まるところからして主人公となる男の恨み節は大全開。
平凡な見合い結婚で農家の娘を妻に娶った男は課長をめざして上司へのゴマスリにもシッカリと勤める小市民ぶりを発揮するも、ある日、彼は部長から浪人中の甥を一年間居候させてくれまいか、と無茶な御願いをされてしまう。
御願いといっても出世を望む男にしてみればこれはもう命令といってもいい譯で、イヤがる妻をどうにか説得させて部長の甥を居候させることになったものの、この「青白い頬に、長い髪を垂らし」たネクラ男が家に入れて困ったのがいわゆる夜の祕め事。何しろ主人公は眞っ晝間からも妻の体を求めてしまうほどの絶倫男で、このあたりに御大のスケベ描寫が冴えているのでまたまた輕く引用してみますとこんなかんじ。
たとえば、おれは日曜日など、昼間でも郁子を求めた。なにかのはずみで、立っている郁子のスカートがめくれ、腿の内側がチラと顔をのぞかせることがある。すると、ぬめるような素膚の白さが、おれの目にしみる。強烈な欲望がおれを突き上げ、いきなり抱きしめて疊の上に押し倒すようなこともあった。陽の射しこむ明るい茶の間で、郁子は目をとじたまま、息をはずませていう。
「犯されているような気持だわ」
夏の夜などは、電灯を消した部屋の中で裸のまま抱き合い、流れてくるラジオの音楽に合わせてダンスのまねごとなどをした。
こんな夫婦でありますから、居候がいたらオチオチ抱き合ってもいられない、欲求不満の鬱状態に陷るかと思いきや、二階の六畳にネクラ男が息をひそめてこちらのようすを窺っているかと考えるだけで逆に燃えてしまう。
しかし主人公の知らぬ間にネクラ男は妻に隱微なアプローチを仕掛けていたようで、ある日突然妻と居候青年はホテルで心中をはかります。妻は死亡、しかし青年は多量の睡眠藥を飲んだものの見事に生還。それでも部長のタテマエ、おれは會社にいられなくなって辭表を提出、七年の歳月を経たあと遂に妻を誑かした青年に復讐を果たすのだが、……と完全犯罪を爲し遂げたというのに、思わぬところから最惡の因果應報に陷る主人公の悲哀と御大の惡魔的なニヤニヤ笑いがこれまた堪らない作品です。
こんなかんじで、さりげなくムッツリなエロスのテイストが添えられているところがキワモノマニアとしては見所で、表題作の「地獄から来た天使」も本格ミステリらしいトリックが光る作品ながら、第一の殺人はエロ映畫の上映會の最中に行われるという奇天烈さで魅せてくれます。もっとも兇器の消失を扱ったトリックは面白い仕上がりでこれはこれで愉しめるのですけど、やはりどうしてもディテールにエロを効かせた事件の結構にばかり目がいってしまうんですよねえ。
ジャケの装幀からして昔の角川文庫らしい一册ですけど、千草檢事シリーズなどの堅実な推理小説のなかではさりげなくしか描かれていない御大のムッツリエロスが全開の収録作は、ミステリとキワモノの雙方から愉しめるゆえ、長編とはまた違った魅力を感じることが出來るかと思います。