記憶巡り、地獄巡り。
記憶シリーズを擧げるまでもなく、とにかく語り手の過去の記憶をネタにして樣々な趣向を凝らした怪談を書き續けている作者の傑作短編集。ホラーと呼ばずにタイトルにも敢えて怪談とつけているあたりが好感度大で、作者の仕上げた短編のみならずエッセイや実話談を織り交ぜて一册の本に纏めている編緝もなかなか。
収録作はギクシャクした夫婦仲を取り戻そうと新婚旅行の場所を訪れた中年男が多重世界の地獄に堕ちる「妻を愛す」、民話にトンデモ解釈を凝らした作者十八番の奇天烈譚「花嫁」、怪しげツアーが語り手の過去の記憶を呼び覚ます「冥い記憶」、これまた懐メロが知らないお姉さんの淫靡な記憶を喚起する「針の記憶」、廃屋となりはてたお化け屋敷に娘の幽霊を訪ねる「幽霊屋敷」、自分の生まれ變わりだと主張する謎女を訪ねたばかりにイヤな記憶を思い出してしまう恐怖譚「記憶の窓」、そして美しい眼帶義姉さんに憧れる童貞ボーイを語り手に讀者の心臓を鷲・拙みにする傑作「大好きな姉」など、エッセイ、実話怪談も含めた全二十一編。
やはり第一に擧げなければならないのは作者の怪談では代表作ともいえる「大好きな姉」で、とにかく語り手のリアルな變態ぶりと、眼帶をした美しい義姉というネタだけでキワモノマニアも大喜びの大傑作。
物語は父の訃報の知らせを受けた語り手が實家に歸るところから始まります。しかしこの語り手は幼いころから兄嫁である姉さんが好きで好きでタマラなかったという變態君。何しろこの好きが昂じて、姉さんがトイレで用を足しているのを覗き見したり、捨ててあったチリ紙を拾って、その紙にアレしてたアレを珈琲にアレしたりともうこの異常っぷりは筋金入り。
で、ある日トイレをいつものように覗き見していたら、姉があそこから血の塊を垂らしたことに吃驚仰天、以後義姉は怪物だと勘違い、その妄想は語り手の頭の中でグングン黒い闇となって膨らんでいき、最後には義姉の眼ンタマに火鉢を突き刺してしまう。
久しぶりに田舍に歸ってきた語り手を迎えにきたのが、兄の死後、ひとりで暮らしていたこの義姉で、眼帶をした彼女の怪しい美しさに大人となった語り手は予想通りにすっかりメロメロ。旅疲れのなか、そして母から電話で奇妙なことを聞かされた私が押し入れの中を覗いてみると、……。
最後に現れる姉の異樣なシーンも勿論ですけど、眼帶という仕込みから脈絡もなくおぞけを誘うブツが現れるというねじれまくった奇想が素晴らしい。普通に讀めば語り手の妄想が實は、という話にオチるものの、私の異樣に過ぎる性的な妄想も絡めてこの語りに信頼がおけない以上、この怪談としては予想通りの幕引きも、もしかしたら全部この男の妄想なんじゃア、なんて考えてしまうんですけど、自己完結した男の壊れた妄想世界もこれはこれで恐ろしい。多樣な讀みがいずれにしろ行き場のない恐怖を喚起するという構成が秀逸な傑作でしょう。
捻れまくったネタと構成という點では異色作ともいえる「記憶の窓」も印象に残る一編で、怪しい民族學マニアだった男を伯父に持つ語り手は、私の生まれ變わりだと主張する妙な女に會いに行き、……という話。
ところどころに語り手の回想と怪しげな民族學の知識が挿入されることによって、何やら不穏な雰圍氣をイッパイに盛り上げていく構成が見事で、本作では作者が得意とする民族學ネタに、語り手が最初の方でチラっと言及した西洋魔術のネタがブチこまれているところが新機軸。
前世の記憶ならぬ、生きている人間の過去を當人以上に知っているという、ある意味、自分がその立場になったら相當に無気味な展開もかなり怖いんですけど、この人物と話を進めるうちにこの謎が推理されていきます。謎が霽れていくのでミステリ的なところにオチるのかと思いきや、ここで前半部に挿入されていた洋魔術ネタの仕込みが炸裂。
前世を知る女の語る「真実」と語り手の「記憶」の謎が収斂を見せた後に明らかにされる恐るべき眞實は、……というこのネタと構成に、自分は何となく楳図センセの短編を思い出してしまいました。
「妻を愛す」はベタなタイトルながら、作者が二十四歳の時にものにしたという短編で、夫婦仲が今ひとつな語り手は妻と新婚旅行で訪れた場所に旅することを提案。その場所を訪れたものの、この新婚旅行では何だかイヤな事件があったらしく、夫婦の關係はやはり修復不可能の樣子。
妻をおいてひとりで思い出の寺を訪れた語り手はそこで多重ワールドに飛翔、絶望的なことを聞かされる、……という話。この作品では靜謐な語りで夫婦のすれ違いが描かれていく前半から次第に不穏な空気を醸し出していく中盤に至る語りの妙に注目で、どうにもやりきりない思いばかりが残るダウナーな幕引きといい、作者が希求する怪談とはやや趣を異にするとはいえ、記憶が物語の展開に大きく絡んでいるあたりにやはり作者の風格をビンビンに感じる佳作でしょう。
毛色が違うといえば、収録作の中では「奇談」は怪異もまったく描かれない異色作で、寧ろ人間の心のおざましさ、イヤっぽさを存分に描ききった作品。語り手はとある人物と自動車事故に巻きこまれてしまう。この人物が絡んでいる家具づくりの一件に語り手は進んで解決しようとする奮闘するものの、人徳のある男と思っていた人物の腹黒さを知ってしまい、……という話。
また「幽霊屋敷」も、若者の溜まり場になったりして荒らされ放題となっている廃屋に、自分の娘の幽霊が出るという。幽霊とはいえ娘に會いたいという一心でその幽霊屋敷を訪ねた父親が怪異に巻きこまれるんですけど、この盛り上げ方がうまい。
作者はホラーや怪談ではあまりゴチャゴチャ描かない方が恐怖を盛り上げることが出來るという考えなんですけど、本作ではディテールを効かせた描寫がじわじわと怖さを引き立てていくところが見事。猫やチャイムの音、足音など、とにかく幽霊譚にはマストアイテムといえるネタをフル活用、幽霊となって廃屋を彷徨う娘に會いに行く父親、という発想も面白い。
そのほか、「怪談こそ物語の原点」など、作者の怪談観について書かれたエッセイも興味深く、実話譚も交えて作者の怪談に對する思いが語られた文章を中盤に配した構成もマル。幼少期の大人の女に憧れる童貞君の妄想や、トンデモ民話、さらには記憶や過去がおぞましい地獄を呼び覚ます展開など、キワモノマニアも大滿足のネタが満載の短編集なんですけど、エロ、キワモノ、トンデモの混淆が一流の仕上がりを見せている本作、作者のホラー、怪談を未讀の方に広くお薦めしたいと思います。