「猫は勘定にいれません」のtake_14さんが、「妖女のねむり」を紹介してくださっているので、今日は、その「妖女」と對になっている泡坂妻夫の初期幻想三部作(と勝手に自分が思っている)のうちのひとつ、「湖底のまつり」をとりあげて見たいと思います。
因みに三部作の殘りの一作は前に紹介した「迷蝶の島」であります。
さて本作ですが、新本格ミステリファンにとっては、もはや古典でしょう。初出はこれまた昭和五十三年六月・七月合併號の「幻影城」。自分が持っているのは双葉文庫版なんですけども、これは「迷蝶の島」と同樣、現在は創元推理版の方が手に入りやすいでしょう。
本作で何より際だっているのは、その濃厚な愛欲描写でして、ダムで沈む寒村の夢のなかのような描写と相まって、これがこの物語の幻想的な雰圍氣を決定づけています。しかしそこは泡坂妻夫、勿論ミステリとしては不釣り合いなほどのこの性描写に大胆な仕掛けが隱されていることなどここで指摘するまでもないですよねえ。
傷心をいやすために旅に出た香島紀子は、旅先で危いところを土地の若者・埴田晃二に助けられた。その夜、彼女は村はずれのあばら屋で、晃二に抱かれた。が、翌朝、晃二の姿が消えている。不審に思って探しに出た彼女は、村人から、晃二はひと月前に毒殺された、と聞かされ、愕然とする。では、昨夜、晃二と名乗って彼女を抱いたのは、誰だったのか?
終章も含めて五つからなるこの物語はすべての章題が「一章 紀子」「二章 晃二」というように登場人物の名前になっています。
上に引用したジャケ裏の解説はいうなれば、物語のプロローグともいえる「第一章 紀子」の話でして、この後、二章に至って今度は晃二の視點からダム建設反対派と推進派の對立に搖れる寒村における、晃二と或る女性との出會いが描かれます。
ここでおやっと思うのは、この出會いの描写が第一章で描かれたものと台詞まわしも含めて同じものだということで、勿論、そこに隱された微妙な違いに物語の眞相が隱されているのですが、讀者としてはとにかくこの繰り返しがどういう意味を持っているのかも分からず讀み進めていくしかありません。晃二はこの章の最後で毒殺され、物語は「三章 粧子」に引き繼がれます。
そして晃二の死に眞相を探るべく、三章では館崎という刑事が登場します。不可解な置き手紙、そしてイニシャルの解釈を巡って調査は混迷を極めるのですが、ついに終章に至り、二章、そして三章での手掛かりを舊にして、ダムに沈んだ過去の村、そして靜けさを湛えた山奧のダムの景色、再び行われる古雅な祭の描写とともに、ある人物の回想によって事件の真相があきらかにされます。
この終章の、無類の美しさ。泡坂妻夫の作品のなかでは一番幻想性が強いのではないでしょうか。
物語を讀み終えたあと、是非あらためて最初から、前に述べた晃二と女性との出會いの描写に立ち戻って讀み返していただきたいですねえ。巧みな伏線の張り方に感心すること請けあいです。
文字反転しますけど、例えば、一章と二章では紀子と晃二に差し出された下着は違っています。一章で晃二が風呂上がりの紀子に差し出したのは女性ものの下着でしたけど、二章ではこれが晃二じしんの、男もののセーターになっています。このあたりの微妙な差違はしかし讀んでいる間はまったく氣がつきませんよねえ。はい、自分も完全に騙されました。
で、今この「古典」を讀み返してみて氣がついたのですけど、こういうふうに愛欲描写を行って登場人物の本當の姿をミスリーディングさせる手法って、歌野晶午が「葉桜の季節に君を想うということ」で行っていますよね。おそらくは本作を參考にしたのではないかと思うのですが、どうでしょう。
泡坂妻夫の代表作は「乱れからくり」と「11枚のとらんぷ」だけじゃない、ということは声を大にして、ここでいっておきたいと思います。
そしてもうひとつ、泡坂妻夫のものではアレ系の極北ともいえる或る作品があるんですけど、まあこれについても近いうちに取り上げたいと思います。