第一回島田莊司推理小説賞受賞作。確かに御大が傑作と絶賛するだけの素晴らしい逸品で、個人的には二〇〇九年に刊行された、日本・台湾の作品の中で、もっとも印象に残った一冊でもあり、譯あってここ数ヶ月、ずっとこの作品を読み返したりしているのですが、再読のたびに細部に鏤められた主題と事件の構図の共鳴を発見しては感嘆する、――というフウに一読するだけだと、複雑巧緻を極めた日本の現代本格に比較するに、事件の流れから解明に至るまでの結構は非常にストレートに感じられる一作ながら、現代本格の典型ともいえるトリックの二重写しの趣向や、さらにはそこへ主題を変奏させたガジェットを加えてみせた外連など、まさに台湾ミステリがまったく新たなステージに入ったことを指し示す、台湾ミステリ史上においても非常に重要な作品といえるのではないでしょうか。
物語は、「Whodunit」、「Howdunit」、「Whydunit」と大きく三部に分かれており、それぞれに「漂流」「女兒」という章を配しているという構成に注目で、この外連にはもちろん本格ミステリ的な仕掛けが隠されているわけですが、これが、単に事件の謎の真相を明らかにして読者を驚かせるという「事件」に付与された仕掛けにとどまらず、「母性愛」や「父性愛」といった本作の主題を際だたせるための技巧として用いられているところが素晴らしい。
本作に描かれる「事件」を中心にあらすじをまとめると、舞台は近未来の台湾で、大地震によって崩壊し復興も不可能となった西門町を、政府の主導によってネット上の仮想空間に商業圈として構築する、――というSF的な背景がまずあり、開発途上にある仮想世界「ヴァーチャストリート」で、とあるテスト要員が不可解な死を遂げたことから、警察は前代未聞の「仮想空間」上の殺人として捜査を進めるのだが、……という話。
作中にも言及されている通り、仮想空間での殺人ということで、一般的な科学知識が通用しないところが多々あり、それがまだこうした知識を持たない警察の捜査を翻弄することになるのですが、物語じたいは、この仮想世界を開発している会社「ミラージュシス」の社員であるヒロインの視点を中心に描かれていきます。
現代本格的な仕掛けという点から本作を見ると、まず舞台を近未来に設定し、仮想世界に二〇〇八年の、実際に存在「していた」西門町を再現する、――としてあるところが秀逸で、これによって、物語の外にいる読者にとっては、作中の時間軸における「過去」が「現在」となり、それが本作の二重仕掛けに大きく絡んでくるという結構がいい。
さらにこれだけにとどまらず、この仕掛けの根底を支えるある種の偶然が、真相が明らかにされた暁には、演じられるべき登場人物の役どころの入れ替えへと転じ、それによって本作の主題を際だたせることで、ある登場人物の悲哀を鮮烈に描き出すための技巧へと昇華されるという狙いも見事です。
また本格ミステリとしての事件の構図のみならず、「人間ドラマを描き出す」という小説としても、様々なモチーフがエピソードのかたちで作中に鏤められ、それが登場人物たちの宿業や主題へと最後には連関されるという、細やかな技巧も印象に残ります。
たとえば、冒頭に、ある大きな仕掛けの伏線としても提示されている「インプリンティング」と、「漂流」に描かれる西門町の刺青のエピソードや、あるいは、後半部に「ヒロイン」とブティック店員との会話のかたちで描かれている「愛」と「習慣」の「メビウスの輪」という裏表のない「輪」の構造が、エピローグに現れる強烈な「泣き」のシーンへと繋がり、作中人物の役割の入れ替えの伏線となっているところなど、作中に挿入されている插話とモチーフのひとつひとつとその伏線について、詳細な「謎解き」をしてみたくなるほどの細やかな気配りは、再読に耐えうる本作の大きな魅力のひとつといえるでしょう。
もっとも、このあたりは、本格ミステリとしての「伏線」というよりは、小説としての「伏線」といったほうがふさわしく、こうした趣向を本格ミステリ的な技巧と交配させて非常に美しい構図を描き出した深水氏の傑作「花窗玻璃 シャガールの黙示」が評論家筋も含めたプロの方々にはマッタク評価されなかったという、昨今の日本の本格ミステリの風潮を見るにつけ、本作のこうした魅力が日本で受け入れられるかどうか、甚だ心許ないものの、それでも本作の「泣き」の要素は非常に強烈で、何度読んでもエピローグで泣けるという本作は、正直、上に述べたようなマニア的な視点などは捨て置いても、上質なエンタメ小説として十二分に愉しめるのもまた事実。
もっとも、上に述べたようなモチーフとエピソード、そして主題の共鳴と、伏線、構図といったあたりは、今年の春にでも日本語版がリリースされた時にでも、ささやかながらそのあたりの読み方の技法を本ブログで提示できればとも思っています。
御大も選評で述べている通り、本作では、現代本格においてやや手垢のついたもののようにも感じられる「仮想世界」を物語世界に取り込みながらも、――「現実」と「仮想」の境界線が曖昧になり、お互いがお互いを侵食していく、……というような、幻想ミステリ的なものの真逆を行くアプローチが試みられているところも秀逸です。
また「仮想」と「現実」の境界が堅固に構築されているからこそ、事件の構図が美しき悲哀へと転化されるわけで、そうした意味でも本作は、「仕掛けによって人間を描く」という現代本格の典型ともいえる一作にして、バーチャルリアリティやAI、自然言語処理といったテクノロジーを仕掛けの作用に組み込んでいるところなど、御大の提唱する二十一世紀本格の風格を持たせた逸品と見ることもできるでしょう。
台湾ではかなりの人気作となり、御大の名前を冠した、榮えある第一回島田荘司推理小説賞受賞作というブランドだけではなく、この物語が内包する「強さ」や、現代本格ならではの仕掛け、さらには「泣き」の要素をふんだんに盛り込んだエンタメ小説としてなど、様々な読みを許容した結果として、広範な読者層から支持を得ることができたものと推察されます。
台湾ミステリの最先端を行く傑作として、日本の本格ファンにも読んでいただきたい一冊といえるのではないでしょうか。オススメ、でしょう。