前回の続き。まだテープ起こしの途中なんですけど、通訳を介しているとはいえ、一時間半以上の長い内容なので、とりあえず出來たものからあげていくことにします。昨年、台湾で聴いた内容とは違っています。台湾ではアジア本格の黎明が中心テーマになっていましたが、今回はポーから黄金期本格、そして日本、中国、アジアという視点から御大の本格観と今後の展望が語られています。
会場は北京大学の大講堂で、キャパは確か二百人くらい。満席で立ち見もありました。この日は、ちょうど大学はテストの真っ最中で、企画をした北京大学ミステリ研の会長曰く、「テスト期間だから人が来てくれるか心配」だったとのことでしたが、杞憂だったようです。
講演後には恒例の質問コーナーなどもあったのですが、このあたりについては最後の方で取り上げてみようかと。ではさっそくいきます。
大好きな中国、そして大好きな北京にまた戻ってくることができました。北京大学は私の憧れでした。北京大学で講演できることを大変光栄に思います。ここにいらっしゃるみなさんは北京大学の学生でいらっしゃる方が大半でしょうが、大変なエリートな方たちと思います。二十年後にはこの国を背負って立つ優秀な人材であると思います。本格ミステリーもまた書き手としてそういう人材を求めております。と申しますのも、エドガー・アラン・ポーというアメリカ人によって1841年に始まった本格ミステリーですけれども、ヨーロッパ、アメリカでは姿をほとんど消してしまいました。この本格ミステリーを引き継いだのは日本でしたが、その日本の書き手たちも今、やや失速しているというところです。
今後このミステリーを引き継いで盛り上げていってくださるのは、あなたたち中国人以外にはありません。昨年、中国の自動車産業は世界一になりました。こんなに早く世界一になるとは誰も思っていませんでした。本格ミステリーの書き手がこの国から現れれば、五年以内に中国は世界のミステリー大国になるでしょう。十三億四千万人といわれます中国の巨大な人口の中には、必ず本格ミステリーの天才が潜んでいると信じています。今日はその人たちに呼びかけるために私はやってまいりました。どうぞ私と一緒にアジアの本格ミステリーを世界一にしていきましょう。
今日の講演では本格ミステリーではどのようなものなのかという説明を行いたいと思います。また一般的な文芸小説とはどう違うかについても説明しなければならないと思います。この文芸ジャンルは様々な呼び名を持っています。探偵小説、推理小説、また本格ミステリーという具合にですね。探偵小説と本格ミステリー、ほかにもただミステリーという言葉も存在していますが、探偵小説とミステリー、また本格のミステリーとはどのように違うのか、その説明をまずしなくてはならないでしょう。
これらの言葉のうち、推理小説という言葉と本格という言葉は日本人の発明になるもので、英語にはないものです。ほかは英語からの翻訳です。推理小説という言葉はこの文学発展の過程で日本の事情からつくられたものですけども、本格という言葉は構造説明であって、極めて重要です。そして本格ミステリーというジャンル名がもっとも重要であり、私が中国の才能にもっとも期待するのがこの種類の小説です。
そうなら本格ミステリーとはどういう小説のことか、創作の際にはどういう条件を持たせれば本格ミステリーという小説になるかについても説明の要があります。本格という言葉は台湾では最近割合よく受け入れられ、正確な理解もされるようになってきていますが、多くの天才が潜んでいると確信し、もっとも期待している中国においては、この本格のジャンルについてまた正確な理解がなされている段階にはないでしょう。
今回私がこの国にやってきた最大の使命というものは、この新文学の概念をこの国に伝えて、多くの才能たちに創作を呼びかけることなので、今からこれをやってみたいと思います。今後このジャンルがさらに優性を増して、アジアを中心に世界中に伝播し、歴史的な実りを達成するかどうかはここ中国の才能、すなわち華文の才能たちにかかっているといえるので、今後も機会がある限り、この場所を訪れてこの仕事を続けていきたいと考えています。
1809年にマサチューセッツ州ボストンで俳優夫婦の子として生まれたエドガー・アラン・ポーという不幸なスコットランド系アイルランド人がいました。彼は三歳で両親に死なれて、孤児になります。ヴァージニア州リッチモンドの裕福な商人、ジョン・アランに引き取られて、エドガー・アラン・ポーを名乗ることになります。ヴァージニア大学を一年で放校になって、陸軍士官学校を放校になるなどしながら成長して、1838年、27歳のときに十三歳のヴァージニアという少女と結婚します。フィラデルフィアの新興雑誌「バートンズ・ジェントルマンズ・マガジン」に月給五十ドルで編集と執筆に参加し、1841年に「モルグ街の殺人」という小説を発表します。
ところがこの直後に最大の妻が肺結核で吐血し、1847年に死亡します。以来、ポーは酒に溺れるようになって、阿片チンキによって自殺をしようとしますが果たせず、1849年、10月にヴォルチモアの路上に倒れているところを通行人に発見され、病院に担ぎ込まれますが、まもなく死亡します。
しかし彼の死後、「モルグ街の殺人」は次第に大きな意味を持つ作品になっていき、探偵小説という新ジャンルを世界に船出させることになります。また科学的な事実を小説に取り入られる彼の作風は、フランスのジュール・ヴェルヌに着目されて、SF小説の誕生の引き金にもなります。モルグ街によってポーが創案した新文学は、最新科学の情報や真相探求の手法をストーリーに取り入れることで、殺人事件の追及を論理思索にまで高めるものでした。これは当時発生した科学という新しい学問の圧倒的な魅力に影響されたもで、この学問は幽霊をはじめとする神秘的、霊的なものを認めない態度を持っていました。
この精神が犯罪捜査をも捜査官の勘や被疑者の自白に頼るそれまでの職人芸から合理的論理的なものに変えたわけです。こうした科学者の方法を最初に取り入れたのが、イギリスのスコットランドヤードという警察になります。ポーの「モルグ街の殺人」の持つストーリーというものは、この近代警察の精神を説明するものにもなっていたわけです。またこうしてなされた警察の仕事を国民が監視する陪審員制度が安定期を迎えていまして、「モルグ街の殺人」はこの裁判に陪審員として参加する国民のあるべき態度をも期せずして解説するものにもなっていました。すなわちポーが英語圏に産み落とした探偵小説は、科学の発生、科学警察の誕生、陪審員制度の成熟の、これらの極めて重要な人類史の進化の一局面と密着してスタートした唯一の文学ということができます。
それまで盛んであった幽霊描写をポーは科学発想で解体し、リアルに説明する小説創作のスタイルを提案したわけですが、この精神は海を渡ってコナン・ドイルという英国人に引き継がれて、彼がシャーロック・ホームズという科学者の活躍譚というものを聖書以上のベストセラーにすることで、遊戯を文学の一角とすることに成功させます。続いて英国人であるアガサ・クリスティはこの文学を女性たちの間にも広め、再び海を渡って、アメリカのヴァン・ダインがこの小説群の魅力を質的に解析、傑作出現の確立を高める提案を行い、これを受け入れたエラリー・クイーンが名作を連発して、ジャンルを黄金時代に押し上げた――二十世紀前半の探偵小説の歩みはこのように把握することができます。
すなわち、この文芸新ジャンルは英米二国が才能を競い合うことで成長させてきたジャンルだといえます。ヴァン・ダインは高名な二十則というものを提案するんですが、二十の諫めの精神を一言でいうなら、ひたすら論理的であれ、という要求に尽きます。この実現のために、彼は恋愛や東洋の魔術趣味、超自然的なファンタジー要素は論理思考の材料たりえないので排除すべきであると主張しました。そうした上で彼は、これを徹底するための提案をさらに行います。
作品の舞台装置には雰囲気のある独立家屋を用意するのが良い、登場人物たちはこの舞台周辺を限定的にうごめく怪しげな住人たちに限るのが良く、物理的にも動機的にも理解が難しい不可解な事件が発生し、この事件では一人ないし複数の人間が死亡すべきで、これを外来した名探偵が読者も心得ている情報のみから推論し、犯人を指摘するのが良い。すなわち推理の材料は前段階で読者にフェアに提供されるべきであり、その上で犯人はできる限り意外な人物であることが好ましい。
こうしたゲーム性を現に踏まえることが傑作を産む――、つまりこういう探偵小説が一番面白い、という提案を彼は行って、自身の創作を通して、証明してみせるわけです。エドガー・アラン・ポーが創案した探偵小説とは簡単にいえば、「謎―解決」という背骨を必ず物語の中心軸に持った人工的な小説のことです。短編であれ、長編であれ、また物語をどのような方向で盛り上がりを見せようとも、全体の中心には必ずこうした背骨の貫きが存在していると、そういう小説のことです。
なぜこのような奇怪な事件や不思議な現象が発生したのか、理解が難しい不可解事が物語の早い段階で起こり、現象の細部が読み手に説明され、続く中段区で中心人物によって発生の理由や実行される過程が物語の肉となる。結末にいたってこの謎がついに、そしてすっかり解かれて、その構造が読者の想像を超えていたために読み手が驚き、納得する。そういう段取りを持つ小説のことで、この謎の現象を起こした犯人や現象が起こった理由を読者が作中人物とともに探偵するので、探偵小説とも呼ばれました。
一方、こういう小説群のほかに、単にミステリー呼ばれる一群の小説があって、これは神秘的な現象が描かれた小説全般のことをそのように呼びます。すなわち、超常現象、怪奇現象、また幽霊物語もそうであるし、幻想的な出来事を描いた小説、或いはハリウッド映画が得意とする冒険小説のストーリーなどもすべてこのミステリーという分野に入ります。そしてこのミステリー現象には科学的合理的な理由説明はなくても良いんです。読み手はその神秘性に強く、または緩やかに翻弄される体験それ自体を愉しみます。ポーの「モルグ街の殺人」もまたドアがしめられ、窓が釘付けされた石造りの建物の中の部屋、つまり人間であれば進入が不可能な密室に幽霊的な存在が進入して、なかにいた女性を惨殺して、暖炉上の煙突内部に押し込めるという怪奇な事件なので、これは明らかに幽霊現象の範疇にあって、ミステリー小説の条件を満たしますから、「モルグ街の殺人」はミステリー小説でもあったわけです(続く)。