傑作。「神田紅梅亭寄席物帳」シリーズ第三弾で、今回は怪談だというから、きっと福の助と亮子のまわりで「幽霊が出たあ」なんてかんじでちょっとした騒動が起こって、その幽霊の正体が枯れ尾花か人間だったかでチャンチャン、という、ここ最近大流行の「日常の謎」フウのお話かとの不安もあったのですが、想像の遙か斜め上を行くトンデモない構図を開陳するお話で個人的には大満足。
収録作は、ネクラ野郎の奸計にねずみネタの謎を重ねて策謀の裏の裏をゆく構図が高座で現出する「ねずみととらねこ」、ナイフの消失や洗濯機の買い換えなど「日常の謎」未満のささやかな気付きの背後に隠されていた構図が段重ねの推理で鮮やかに繙かれる「うまや怪談」、ムクれた師匠への詫び入れが転じてこれまた裏の裏を見抜いた「探偵」の見事な逆転劇へと昇華される「宮戸川四丁目」の全三編。
正直、コロシはおろか事件らしい事件もマッタク起こらないし、謎というよりは不思議にもなっていない日常の「謎」ならぬ様々な「出来事」の背後に隠されていた構図を、師匠の一言推理をヒントに福の助が高座の演目に重ねて披露し、それを亮子が解読推理してみせるという三段重ねの謎解きの見せ方はますます堂に入っており、いずれも溜息が出てしまうほどに素敵な作品が目白押し。
「ねずみととらねこ」は、まずねずみと他の演目とを対置させ、そこに怪異のスタンスの相違を指摘してみせるという軸があり、高座対決という現実の出来事を重ねて、読者のみならず登場人物たちもマッタク気がついていない奸計をまず師匠がホームズ的洞察力で見抜くや、今度はその師匠が提示したヒントをもとに、演目とリアルの出来事が見事に重ねられて読者の前に提示される、――というのは前二作でもお馴染みとなったこのシリーズの結構ながら、本編では高座対決というネタに絡めて、演目のお披露目当日まで水面下で進められていた隠微な奸計をその直前まで隠し通し、操りの「ノイズ」ともいえるある一撃をフックに、奸計の真相を演目に絡めてイッキに明らかにしていく推理の見せ方が秀逸です。
一見、ハプニングかと思っていたものが、その裏の裏をかくように師匠の気付きによって隠された策謀を見抜いた探偵が返り討ちにするという流れも痛快なら、自分のように落語はサッパリ、というド素人にも判りやすいようにキチンと三段目の「推理」を見せてくれる亮子の活躍も素晴らしい。
この「ねずみととらねこ」などは、謎らしい謎も、また事件らしい事件も演目が披露される直前までナッシングといってもいいくらいの展開でありまして、登場人物たちの織りなすいかにもホームドラマ的な生活描写に隠れて、背後の策謀をまったく気取らせないという風格もステキなら、演目が始まるや「事件」が発生して、その収拾が物語のポイントかと思っていると、実はそうした「事件」もまた奸計を見抜いていた「探偵」の「推理」の一幕であったことが明らかにされるという驚きの結構はまた見事。
表題作の「うまや怪談」は、怪談というからには、またまた昨今日常の謎もので大流行の幽霊が福の助や亮子の日常に現れて、その正体が結局人間であったことが明らかにされ、その幽霊の曰くから人間ドラマを描いていく、――という定番のお話かと思っていたら、こちらの想像の遥か斜め上を行く展開と結構で吃驚仰天してしまいました。
こちらも「ねずみととらねこ」同様、正直本格ミステリ的な事件どころか「日常の謎」のなかの「謎」といえるようなものさえ読者の前にハッキリと提示されることはありません。まあ、カッターがなくなったとか、洗濯機を買い換えたとか、娘っ子がダメ男を養ってやると言い出したり、……というような「事件」というよりはホームドラマ的な「騒動」こそ起きるものの、いったい学校と家庭での騒動が高座の演目にどう繋がっていくのかと思って讀み進めていくと、それらのささやかな「騒動」をすべて繋げて一枚の構図に仕上げたものが、これまた演目の改変に絡めてトンデモないかたちで演じられていきます。
シリーズ第一作目では、まだ落語の演目の中から「不思議」や「謎」を引き出して、それをいわば「謎解き」の物語の推進力とする作風でありましたが、本作ではこうした力を借りずとも、高座での推理という「見せ方」をベースに、その前提となる「謎」は何でもアリ、――さらにいってしまえば謎のかわりにホームドラマ的な生活描写をさらりと描いて、その中にちょっとした出来事を鏤めておくだけも没問題という潔さが素晴らしい。
コロシがなくても本格ミステリたりえるし、その証左が日常の謎系のお話でないノ、――というような考えはかなりのミステリ読みの方も持っているような気がするのですが、本作がそうした日常の謎ものと大きく異なるところは、まず上に述べたように、意図的にあからさまなかたちでの謎の提示を退けながらも、周到な三段重ねの推理によって日常の出来事の背後に隠されていた構図を解き明かしてみせるという見せ方にあるとともに、そうした推理の前提とする「謎」の様態に対しても独自性をシッリカと保持しているところでしょう。
「宮戸川四丁目」では、「うまや怪談」で師匠のお株を奪って名探偵ぶりを発揮してしまった福の助が詫びを入れにいく、という、これまたホームドラマ的な展開に、教授が示した演目の内容に師匠の恥ずかしい過去を絡めて、とある奸計、――というほど大袈裟なものではないのですが、ある隠されたものを推理していくという趣向です。
本作の場合、師匠への詫び入れが転じて、演目で見せた真相からその立場が華麗に逆転するという展開がまずステキで、そこへ最後の最後に「あの人」を引っ張り出す、という、――早く続きが読みたいッ、と読者に期待させるシーンで幕としているところがもう最高。ここでも福の助と亮子の段重ねの推理という見せ方が非常にうまいかたちで作用しています。
というわけで、前二作を愉しめた方であれば、本作も文句なしに傑作認定してしまうであろうという逸品です。「野ざらし」をリアルの高座で演じてCDプレゼントという企画も素晴らしいんですけど、今回は登場人物を取り巻く「日常」が前作以上に生き生きと描かれており、これ、ラジオドラマとかでやったらゼッテー面白いんじゃないノ、という気がしました、というか是非ともラジオで聴いてみたいものです。オススメ、でしょう。