サイコものをちらつかせたミッシング・リンクに、ネットの掲示板でミステリマニアが喧々囂々といった作風が、「あの時代」の新本格を強く感じさせる物語で、こうした懐かし風味をどう受け止めるかで評価が分かれるのではないか、という一冊です。
物語は、とある娘っ子のドッペルゲンガーの謎を冒頭に軽く添えて、ミステリ・マニアが匿名で集まるネットの掲示板に猟奇殺人めいたネタが投稿されたところ、その通りのコロシが發生して、――という話。
キャットを名乗るシリアルキラーが件の連続殺人の真犯人なのか、というところからメンバーそれぞれの非日常的な日常とネットに挙げられた殺人ネタを投じながら、複数の語りで物語が展開されていくという結構で、コロシには猟奇ネタが大きくフィーチャーされていながらも、しっかりと雪密室などの不可能犯罪を添えてあるところなど、現代本格というよりは新本格黎明期の作風を強く感じさせる物語です。
どこか淡々した語りと、輪郭をぼかした登場人物たちの造詣などがそうした雰囲気をより強く感じさせる要因かと推察されるのですが、この登場人物たちの描き方には賛否両論あるような気もします。またぞろ「キャラがハッキリしねえじゃん」とかいった新本格黎明期の批判覚悟で、敢えてこうした描き方にまとめたところの企図をどう受け止めるかが、本作の仕掛けにもさりげなく絡んでいるところが個人的には面白いと感じました。
ミッシング・リンクの流れをくみながらも、連続殺人の様態がそれとは真逆の構図を描いていたという中盤の謎解きが、後半にはあからさまなかたちで反転して、ややありきたりなサイコものへと着地したところで唖然としていると、またまた最後の最後で意外な犯人が明かにされてサイコものの深奥に隠されていた眞相が明かされるという、明快などんでん返しで構築された後半の謎解きに、洗練されていないぎこちなさを感じるか、それとも新本格の「あの時代」の懐かしい空気を感じるかで、上にも述べた通り、評価が分かれるのではないでしょうか。
――といいながらも、個人的には、こうしたサイコとミッシングリンクものという、今となっては馴染み過ぎているネタを新本格の手法によって調理した骨格よりも、事件の端緒となるドッペルゲンガーの謎に込められた伏線を隠蔽するために凝らされた仕掛けが秀逸と感じた次第で、……ってここからはちょっとネタバレしそうなので、文字反転して続けます。
冒頭のドッペルゲンガーネタを見たときに、読者の殆どは解離や多重人格、ジキルとハイドといったキーワードを思いうかべたのではないでしょうか。実際、自分もそうで、この冒頭の謎を「ドッペルゲンガー」という、サイコものというよりは、怪異に近い「幻想」に擬態して見せているところには何か仕掛けがあるのでは、と感じたのですけども、冒頭に提示される怪異は、それを告げた人物の突然の死によって早々に放擲され、物語は「ネットの掲示板」や「サイコスリラー」「ミッシングリンク」といった言葉で表されるやや定番に近い展開へと流れていきます。
なので、この「怪異」こそが真犯人を暗示する大胆な伏線であることは、サイコスラリーやミッシングリンクを前面に押し出した結構へと姿を変えたことによって、読者の意識からは忘れられてしまいます。かなり荒削りな技巧ではありますが、個人的にはこういうのもアリかな、と思いました。
やや呆気ないかたちで幕引きとなるストイックさだけはやや意外で、サイコものであり、かつネットの掲示板という匿名性を事件の構図に大きく絡めた作風であるため、猟奇殺人のシーンまでもが淡々と語られるという不思議な空気感を持った文体で構築された物語ながら、「癒やし」「泣き」の要素がなければ面白くないッ、という昨今の風潮を鑑みれば、最後のシーンはもう少し「泣き」で盛り上げても良かったんじゃないかナ、という気もするものの、逆にこのストイックさが「あの時代」の新本格のような雰囲気を濃厚に感じさせるといえばその通りで、このあたりは案外、好みなのカモしれません。
二十年前にタイムスリップしてしまったような「あの時代」の空気を感じさせる物語ゆえ、好みは大きく分かれるかもしれませんが、自分のような新本格を同時代で愉しんできたロートルであれば、なかなか愉しめる一作といえるのではないでしょうか。