第十九回鮎川賞受賞作。巷では、作品の内容そのものや受賞パーティ席上で鮮やかなマジックを披露してみせた作者の人柄より何より、その激し過ぎる選評の内容が大評判という一冊です。まあ、「我々はァ、このような作品を本格ミステリであるとみなす体制派に対してはァ、断固とした態度をもって挑むとともにィ、二十一世紀のリアルを感じられない「日常の謎」ばかりを礼贊する旧態依然とした評論家勢力にィ……」というかんじで反対したい気持ちも、昨今の「日常の謎」ミステリにおいては「そもそもそれって謎にもなってないよね?」というような作品が散見される現状を見るにつけ、頷けるところも多いとはいえ、この選評は明らかにやりすぎ(爆)。
まあ、そのあたりのことはとりあえずおいとくとして、内容はというと、「日常の謎」未滿の軽いネタにマジックを加えて、胸キュンラブ・ストーリーをミステリ仕立てにしたという風格、でしょうか。
マジックネタの連作短編というあたりから、大多数のロートルマニアは泡坂ミステリの大傑作「11枚のとらんぷ」や「奇術探偵曾我佳城全集」などを期待してしまうであろうものの、ああした作風とは大きく異なります。じゃあ、ダメかというとそんなことは全然なくて、時折背中がムズかゆくなるシーンも交えて落ち着いた筆致で描き出した物語はそれぞれに魅力的で、登場人物たちも瑞々しく、青春胸キュンラブストーリーのミステリ仕立てとして読むとすれば、非常に愉しめる作品だと思います。
収録作は、……っていうか、本作のような連作短編の場合、こうした表現をすることに戸惑ってしまうのですが、とりあえずそのあたりは無視して述べるとすると、本棚の本が奇妙な置かれ方をしていた、という謎未満のささやかな不思議を提示して、ささやかな推理によってささやかな真相を解き明かしてみせる「空回りトライアンフ」、スリーエフの文字を残していった怪盜の正体をささやかな推理も添えて繙いてみせる「胸中カード・スタッフ」、未来を予言した不思議手帳に学校に伝わる幽霊話も交えて手品娘のささやかな推理が披露される「あてにならないプレディクタ」、件の幽霊の正体解明が、手品娘の自分探しを胸キュンのセラピーへと変幻させる「あなたのためのワイルド・カード」の全四編。
選評でも「トリックがしょぼい」みたいなことが書かれているのですが、本作の場合、トリックと呼べるような行爲者の深い奸計が謎未満の不思議に添えられているような風格ではなく、寧ろささやかな不思議への「気付き」を起点に、語り手や探偵となる手品娘たちのささやかや活躍が「ミステリ・タッチ」で描かれるという物語ゆえ、そもそもトリック云々でこの作品を批判するのはお門違い、という気がするようなしないような、……まあ、勿論、そうした作品が受賞作となるのはケシカランという主張に対しては頷けるところはあるものの、一読者としてはそうしたところにこだわる必要はマッタクない譯で、むしろ本作のような風格の作品を必要としている読者にこの物語を届けるにはどうすればいいのか、というあたりを考える必要があるのではないでしょうか。
少なくとも、本作は鮎川賞という本格ミステリの賞に期待している多くの「マニア」よりは、寧ろスイーツ系の「女子」に求められている物語であると見えるところからも、尚更そんなことを感じてしまいます。
昨今の「日常の謎」がかつての日常の謎と異なるところはというと、「これってそもそも謎だ謎だと大騒ぎするほどのモンなの?」と首をかしげてしまうようなものが、登場人物の頭ン中では「事件」と認知されるような「謎」として描かれているところでありまして、こうした「謎の矮小化」が結果として、「推理」や「真相」の矮小化までを引き起こしているところに、個人的には大変な危機感を抱いているのですが、どうやら世間ではこんなボンクラの危惧はよそに、スイーツに阿った「癒し」小説ばかりが礼贊されているというのが現状ゆえ、爽やかな青春小説にミステリの風味と青春小説のほの酸っぱさを加えて「女子」マーケットの対象に狙いを定めた本作の「戦略」は大いにアリ。
これは前に「初恋ソムリエ」を取り上げた時にも少しばかり書いたかと思うのですが、本格ミステリの重要な構成要素である「謎」の定型化が本作にも見られ、その典型がいうなれば学校の怪談フウに表現された娘っ子の幽霊な譯ですが、現代本格で幽霊が出てくれば、それはもう、枯れ尾花か人間のいずれに落ち着くことがもう読者には判っているわけで、その意味では、原理主義的作品の中でボンクラワトソンが密室の死体を目の當たりにして雷に打たれたような衝撃を受けようとも、「所詮は密室、どうせ何かのトリックが使ってあるんだろ」というふうに思われてしまうのと同様の、定型化の問題を孕んでいるような気がします。
こうした本格ミステリにおいては重要な構成要素のひとつである「謎」の新しい造詣に注力せず、定型によりかかってそれでよし、とするような惡癖が原理主義が礼贊するコード型本格のみならず、日常の謎をも侵食しつつあるという現実の方が、選考委員いうところの「「苦さ」のようなものが欠けている」ことよりも遥かに危機的状況だと個人的には思っているのですが、……どうもプロの評論家も含めてアンマリこのあたりを考えている人はおらず、「とにかく本格はロジック、ロジック、ロジック」というかんじで「謎」が小さくなろうが定型によりかかろうとも関係ナシ、というふうに考えられているところは残念至極。
「胸中カード・スタッフ」では、件の暗合めいた文字のハウダニットがある気付きによっホワイダニットに転換するところなど、ささやかな推理の流れの中にも現代本格的な小技が効いているところが好印象で、実際のところ、上にも述べたような「日常の謎」ものにブーブー不満はありつつも、本作では不思議と怒りも嘲笑も湧いてこないのは、そもそも本格ミステリに対する立ち位置においては作者ならではの、良い意味での軽さが感じられ、本格に命を賭けてやるッ、みたいな暑苦しさがマッタク見られないゆえかもしれません。
「あなたのためのワイルド・カード」において、探偵である娘っ子の、心のなかに秘めていたささやかな苦しみが明らかにされ、自分探しや夢を失うことの怖さなど、青春物語特有の主題を浮上させ、真相開示がセラピーへと變じる結構は素晴らしい。
しかし選考委員のひとりは曰く、
……この時代を生きることへの作者の態度に疑問がある。米澤穂信の「古典部」や「小市民」シリーズに含まれる「苦さ」のようなものが、この作品には欠けている。
とダメ出しをしているのですが、「スイーツ」の「女子」を擁護する者であれば、こうした批判に対しては、「まったくこれだからマニアってキモいんだよね。「苦さ」がなくても「癒し」があるジャン(笑)」と言われるのが關の山。
そうした批判を展開するのであれば、個人的には本作、「古典部」や「小市民」シリーズよりも、初野晴氏の「退出ゲーム」や「初恋ソムリエ」と比較しながら、「本格ミステリの真相開示がもたらすセラピー」的側面から考察をくわえていった方が新たな創作を喚起するためのヒントを提示できるような気がするのですが、いかがでしょう。
たとえば、「初恋ソムリエ」に収録されている「アスモデウスの視線」の、推理の過程で「フーダニットの転倒」という技法を驅使してセラピーを行ってみせたあの作品の要所と、本作の「空回りトライアンフ」においてのホワイダニットの開示の方法を比較してみるというのも一興でしょう。
「「苦さ」がない」という批判は、結局「本格ミステリには苦さなどなくてもいい」という返し言葉によって平行線を辿ることになってしまう可能性が大で、寧ろ似通った風格の作品を比較しながら、作中の本格ミステリ的な技法を分析してみせたほうが実りが多いのではないでしょうか。
というわけで、おそらく鮎川賞を受賞していなければ自分のような偏屈な本格読みは手に取ることはなかったであろうという意味では昨年の受賞作と同様の一冊ながら、ミステリの味付けを施した胸キュンの青春物語としてはなかなかに堪能しました。
まあ、本来であれば、こうした趣向の作品は選評のようなアジテートや、自分のような偏屈なロートルが上にダラダラと書いたような技法技巧云々などというところは一切無視して愉しむべき物語なのだと思います。