何だか前編からかなり間が空いてしまったんですけど、冬陽氏の寵物先生へのインタビューの後編を、メリケン風のフランクな口調の日本語でお送りしたいと思います。前編は寵物先生のミステリ初体験みたいな内容でしたが、この後編では受賞作「虚擬街頭漂流記」の内容についてと、御大のミステリからの影響や共通点などが語られています。
冬陽:
主題もかなり変わっているし、物語の背景にもなかなか興味深いものがあるわけだけど、舞台は西門町だよね。どうしてここを選んだんだろう。何か特別な思い入れみたいなものがあるとか?寵物先生:
西門町に関して一番古い思い出というと、やはり中華商場かな。当時、祖母があのあたりに住んでいて、しょっちゅう母に連れられて買い物に行ったりしていたんだ。その後、中華商場はなくなってしまったけどね。西門町は物騒なところだから、なんて大人たちから言われても時々遊びに行っててさ。萬年ビルなんか、まだ子供だったからスケートはできなかったけど、あそこは模型がいっぱい置いてあって、コンピューター・ゲームもあったりと、あそこにいるともう、時の経つのも忘れるほどだったね。大人になってからまた遊びに行くようになったというのは、もっぱら映画を観るのが目的だったんだ。あのあたり、歩行者天国の向こうはずっと映画館が並んでいたからね。もうひとつはいうと、自分にとって西門町は変化の著しい場所という印象があったんだ。
中華商場から歩行者天国の周辺の変わりようといったら、それはもう凄いものでさ、西門町は流行の移り変わりが激しいんだ。そこで「大地震によって廃れた町を仮想空間として再興させる」のにはふさわしい舞台と考えた。
小説に書かれているのは二○○八年の、皆も見慣れた西門町だけど、西門町の路地には様々な逸話をもったものがたくさんある。このあたりは今回の物語には書けなかったんだけど、いずれはこうした部分も小説にできればと思ってる。
冬陽:
『虚擬街頭漂流記』のキャラクターが次の小説で再登場、なんてことは考えているのかな?寵物先生:
それはもちろん。この小説を書き終えてからそうしたことはもう考え始めてて、結局ものの五分もしないうちに決めてたよ(笑)。今回の小説はその内容からいっても「シリーズ・キャラのお披露目」にふさわしいものだと思うし、まずは今回の作品をきっかけに、――この作品をいってみれば登場人物たちが集まる場所に見立てて、今後は色々なところからこの地に流れてきた登場人物を作品ごとに取り上げて、彼らがここに「やってくる前」やここを「立ち去った後」の物語を書いてみたいと考えてる。例えばこの「虚擬街頭漂流記」でヒロインをつとめた露華がかかわることになったこの事件の後日談みたいなものを、別の登場人物も交えて描き出してみるのもいいだろうね。これはSFミステリになるんじゃないかな。あるいは男性の主人公である大山の大学時代のエビソードや、刑事の相棒になった後の物語とか。このあたりは科学の趣向を添えた日常の謎みたいな作風になるかと思う。それに「母親」である范未央が探偵事務所にいたころの話もあるね。こちらはおそらくハードボイルドふうの物語になるんじゃないかな。こんなふうにして登場人物を描き出してみると、彼らのことを頭の中から振り払うことができなくなってしまって、彼らのまだ知らない部分を色々と補ってみようと、そんなことを考えてしまうんだ。今のところは扱うことのできるテーマも限られてはいるけれど、また機会があったら、きっと彼らの活躍を描くことができるだろうね。
冬陽:
ちょっと話題を変えようか。島田荘司先生の話。
今回の「島田荘司推理小説賞」に応募する前、君は島田作品をどのくらい読んでいたのかってことなんだけど。だって君が尊敬する作家なんだから、そのあたりははっきりいってどうだったのかな。しっかり説明してもらわないとね(笑う)。寵物先生:
台湾で翻訳された島田先生の本は私はすべて読んでいるし、それで「とても」といってもいいかはあれだけど、尊敬する作家だよ。作品では特に『透明人間の納屋』と『奇想、天を動かす』を挙げたいね。この二つは自分がもっとも感動した作品なんだ。
それと先生の考え、姿勢に共感しているんだよ。創作理念をしっかり持っていて、それを実作に反映させている。それによって読者の支持も得ている。読者の「お気に召すまま」の作品を書いてたってそれで彼らが満足するわけじゃない。しかしこうしたときの失敗の原因っていうのは、理念そのものにあるわけじゃなくて、結局はバランスの問題だと思うんだ。そのあたりをうまくすれば傑作になるといったって、多くの人にしてみればその作品の意義なんてものを云々することもないわけでね。読者が求めているのは、「面白い作品」ってことだけだろう。「素晴らしい理念を持った作品」じゃない。
僕は先生の『摩天楼の怪人』文庫版の解説を書くときに考えたことがあってね――例の「地底王国」のエピソードについてなんだけど、いったいまた何だって事件ともたいして繋がりがあるとも思えないあの逸話があるのか。それに対する僕なりの答えはこうだ。彼は氷のように冷たい摩天楼の都市に自らの詩情を添えてみせたのだと。僕にとって「都市の詩情」というのは大変に魅力的な概念なんだ。この作品にはその表現方法が際立って感じられ、学ぶべきところはたくさんある。『虚擬街頭漂流記』でも、僕はこうした試みを行ってみたわけだけど。
冬陽:
そうなると、『虚擬街頭漂流記』は島田先生の作品とかなり似ているっってことになるのかな?寵物先生:
さっき話した「都市の詩情」のほかにも、もうひとつ重要なことがある。それは──人間性だね。島田先生は死刑廃止にも尽力されていて、そうした冤罪をはじめとする社会問題へのアプローチが作品の中に人間性を色濃く描き出すことにも繋がっている。今回の作品「虚擬街頭漂流記」の構想を練っていたときに、ひとつの試みとしてやってみたいと考えていたのは「テクノロジーが人間性にもたらす影響」について取り上げてみようというものだった。この物語の中でもたびたび言及した親の子に対する愛情といったものは、テクノロジーが高度に発達していけばいつかはきっと現実のものになっていくと思うんだ。もちろんここで選択を迫ろうというんじゃなくて、読者にはこうしたものについても考えてほしいということであってね、島田先生のアプローチとはかなり違うけれども、「人間性」というテーマはこの作品でも取り上げている。
それともうひとつは作中に出てくる「娘」、――この人物の一人称による記述の方法だね。これは先生の作品の中でもたびたび出てくる「サイドストーリー」に相当するものだけど、もちろんこの逸話にさいた頁数とその意図には大きな違いがあるわけで(笑)。
「二十一世紀本格」? それについては本当、まったく意識はしていなかった。
原稿募集があったときには「二十一世紀本格」という言葉を耳にしたことはあったけれど、詳しいことはまったく判っていなかったんだ。それで作品を仕上げてから『ネジ式ザゼツキー』と『リベルタスの寓話』を読んで、ようやくどんなものか判りかけてきたくらいで、自分の書いたものが二十一世紀本格の創作理念と一致しているという指摘には、正直かなり驚かされた。冬陽:
……なるほどね。ここでちょっと時間を遡って、「島田荘司推理小説賞」の募集が始まったときのことを訊いてみようか。君はどんな心持ちでこの賞に挑もうとしたのかな?寵物先生:
バーチャルリアリティーというテーマはずっと前から構想していたことでもあったんだけど、募集要項が発表されたときにはまだまだ色々と準備が足りなかったんだ。
そのときに考えていたのは、脳の中と仮想現実における事件をどうやって結びつけようかということでね、その他の部分は後から少しずつ付け加えていった。でも、そのときは「これでいくぞ!」っていう考えはまだなくて、もしストーリーがうまくまとまらなかったら、別のものにしようかとも思ってた。
一言で言うと、「やる気はあるんだけど、自分には扱いきれない」っていうかんじかな。
今考えてみると、その時は本当に楽だったな。それでもだんだんと話がまとまってくるにしたがって判ってきたんだ。それで何ヶ月も経ったときにはもう、頭の中では「とにかくこれを書かなくちゃ!」とそんなふうに決めていたよ。冬陽:
島田先生はちょっと褒めすぎじゃないの、と思ったりはしなかったかな? 授賞式当日の君ときたら、体がこう……ガチガチに緊張していたみたいだけど(笑)。寵物先生:
もしそういうふうに見えたとしたら、それはあのピラミッドのトロフィーがあまりに重すぎからだよ。あと目がちょっとウルウルしていたっていうのも、あの日は新しいコンタクトにしていてさ、レンズが合わなかったのが原因だな(笑)。何というか、すでに友達からは色々と励まされたり、あの作品についての評価をもらったりして、責任の重さをこう、ひしひしと感じてね。それで少しばかりドキドキしてしまって、っていうのもあるだろうな。
でも島田先生からあのピラミッドを受け取ったとき、まず頭の中でふと考えたのは意外にも、「あれれ、受賞者はあの斜め屋敷の模型をもらえるんじゃなかったのか」ってことでさ、これが大受けだったから、思わず自分でもおかしくなってしまってさ、ずっと深呼吸をしていたんだ。
というのはみんな冗談で、ピラミッドを受け取ったときの感覚は存外に重かったということで──それはもの自体の重さっていうのもあるけど、心理的な意味でね。
冬陽:
受賞の喜びもいまはもう新作執筆への意欲になっているかと思うんだけど、そういえば、今の仕事をやめて執筆に専念するんだよね。一年かけて作品を書いていくつもりなの?寵物先生:
うん。しかし「よい子は決して真似しないでください」といいたいけど(笑)。確かにこれはあまりに無鉄砲に過ぎるんじゃないかと思われるだろう。だって台湾の読書人口はそれほど多くないし、そんな中で専業作家となるともう、ね。ましてや新人となれば尚更だ。しかし実をいうと、入選する前から仕事を辞めようとは思っていたんだ。台湾、大陸、日本、タイと四カ国の印税とか色々と考えるとまあ、一年はとりあえず生活できるだろうと。五年間働いて貯金もまだ余裕があるし。
さらに重要なのは、国外――特に大陸と日本だね――での今後を考えると、新人にとってはこれはもう、またとないチャンスだろう。そこで仕事にかまけてこのチャンスを無駄にするようなことはしたくなかったんだ。一、二ヶ月考えてみて、決めた。よし、一年は専業作家で頑張ってみよう、って。もしそれで駄目そうだったら、長く務めてきた業界に戻ってもまだ間に合うだろうし。
決断するのはそれほど難しくはないんだよ。根気よく続けていくことの方が遙かに大変なものであってね。その後の長い道のりを思うと、僕だって何処まで行けるかは判らない。しかし成功を信じて、華文ミステリの創作環境を少しでも良くしていければと思っているんだ。
冬陽:
それじゃあ、新作がさらなる傑作であることを期待しつつ、最後の質問。「未来の展望」について。島田先生は『虚擬街頭漂流記』の選評の中で、ミステリーの父であるアラン・ポーを名前を挙げて君の作品を高く評価しているよね。そこで、君は今後、こうした先生の期待にどうやって応えていくんだろう? 作品もそうだけど、まあ、このあたりはそれにこだわらなくてもいいよ。
寵物先生:
台湾のアラン・ポーという言葉は、本当に重く受け止めているよ。これはもう、水晶のピラミッドよりさらに重い。それでも僕は先生の考えていることはこうだと思うんだ、「革新」の理念をもって創作を続けていくことを期待されているんだとね。斬新なミステリを書き続けていくこと。日本のミステリの影響が強いといっても、類型にとらわれないような作品を書いていくということだね。
こういう話をしていると、人狼城推理小説賞に入選した時、哲儀君からインタビューを受けたときのことを思い出すな。あのときは「人と同じものじゃないミステリを書きたい」と答えたんだけど、この志は今も変わっていない。
自分の全ての作品を読んだ時に、見たこともないような新しさを感じることができるようにしたいと思ってる。もちろん、毎回まったく新しいものを考えなければならないっていうのはとても大変なことだけど、ものにした作品が人を惹きつけることができればそれでいい。寡作になるかって? それは僕にもよく判らない。でも努力した結果、すっかり落ちぶれたアラン・ポー、なんて言わせないように頑張らないといけないね(笑)。