博客来のサイトに掲載されている「專訪第一屆島田莊司推理小説獎得主」をざっと日本語にしてみました。内容は「台灣推理作家協會執祕,城邦文化臉譜出版主編」である冬陽が、第一回島田荘司推理小説賞受賞者であるミスター・ペッツこと寵物先生にインタビューをしたもので、やや長いので、前編後編と二回に分けて、お送りしたいと思います。今回は寵物先生の奇妙なペンネームの由来や影響を受けた作家などについて語った前編を。
この中で個人的に興味を惹かれたのは、彼のミステリの原体験が、南洋一郎が翻訳したポプラ版にあったことでしょうか。何で台湾で南洋一郎? と思われた方は以下を読んでいただければと思います。
個人的にはこれで、陳嘉振の「布袋戲殺人事件」を読んだ時に感じた二十面相の幻影の謎の一端が解けたような気がしているのですけど、二階堂氏の「カーの復讐」が台湾で出版された時には、このあたりのエピソードを是非とも寵物先生に語ってもらいたいところです。
なお、最初は寵物先生、冬陽ともに人称を「私」にして日本語にしていたのですが、「二人とも僕でいいんじゃないノ」という指摘を受けたので、かなりくだけた文章になっています、――というか、何か読み返したらメリケンの会話みたいでちょっとアレなんですが、不評だったらまた「私」にして書き直すかもしれません。
冬陽: 寵物先生、まずは「虚擬街頭漂流」の第一回島田荘司推理小説賞受賞、おめでとう。
僕たちはもう長い付き合いになるんだけど、まずは読者のみんなに自己紹介をしてくれるかな。それと「寵物先生(ペットさん)」というペンネームの由来についてもね。
寵物先生: 読者の皆さんこんにちは。ミスター・ペッツです(手を振ってみせる)。ペンネームの由来といっても、別にこれといったことはなくてね……それでも答えなくちゃ駄目かな? えっと、大学時代に掲示板で使っていたハンドルネームが「ペッツ」でね、じゃあ、何で「ペッツ」だったのかっていうと、それはもう昔の話でアレなんで、このあたりは秘密ということで。
で、それから小説を投稿するんでペンネームを考えなくちゃ、ということになって、何ならペットをそのまま中国語にして「寵物」にしたらどうかと。昔に読んだことのある漫画のことがふと頭に思い浮かんでさ――浅美裕子の『WILDHALF』ってやつなんだけど。
この漫画、ペットの描き方がすごく良くてさ、だったら自分のペンネームも「ペット」にすれば、読者にも自分の作品を愉しんでもらえるんじゃないかと、そう考えたんだ。
しかし「寵物」だけじゃあ、何かこう物足りないから、そこで中国語では「さん」を意味する「先生」の二文字をつけてみたってわけで。もっとも友人はみんな最後の二文字は省略して「寵物」とか呼んでいたんだけどね(汗)。
それと最近、日本でも文章を書いたりしているんだけど、その時のペンネームはMr.Petsをカタカナで「ミスター・ペッツ」としてるんだ。こうすれば、例えば「ミスター・チルドレン」とか長嶋茂雄の「ミスター・ジャイアンツ」とか、みんなにはそういうイメージを持ってもらえるんじゃないかと。
いま挙げたような「ミスター」何々の特徴はというと、その後に続く単語は必ず複数形だってことで、……ペンネーの由来はそんなところかな。自分ではこれ、結構悪くないと思ってるんだけどね。
冬陽:推理小説賞の受賞者には色々と訊いてみたいところなんですが、まず君がはじめて読んだミステリ作品とか、一番影響を受けた作品を挙げてもらえるかな。
寵物先生: それだと小学校三年の時に読んだルパン・シリーズの『怪盗ルパン 八つの犯罪』かな。勿論これは東方版の黄色い表紙のやつで、初めて読んだ本があれだったから、今みたいに本格ミステリが好きになったのかもしれない。『怪盗ルパン 八つの犯罪』は自分が読んだルパンものの中でも、もっとも謎解きに重きを置いた二冊のうちの一冊だったから。あ、もう一冊っていうのは『ルパンの名探偵』だね。
大人になってから知ったんだけど、もともと東方版のルパンものっていうのはルブランの原版を直接翻訳したものじゃないんだ。日本人の南洋一郎が翻訳してリライトしたものを東方出版が中国語にしたものでさ、つまりまず日本語にして、それをリライトする。で、そこからさらに中国語に翻訳したものだったというわけ。だから僕たちが子供のころに慣れ親んだルパンっていうのは、実は日本人がつくりあげたイメージだったんだね。
「もっとも影響を受けた作品」を一冊挙げろ、といわれても難しいな。今まで読んできた作家の作品や作風をすべてを吸収して、それで今の自分があるわけだから。例えば折原一の叙述トリックの技法、北村薫の日常の謎による巧みな人間描写。そのほかにも山口雅也や西澤保彦の幻想と推理を融合させたテーマ――そうしたものが今の自分の創作の方向を形作ったといえるかな。
いま挙げた作家の作品はすべて自分に大きな影響を与えたものといえるんだけど、そのなかでも「最も」ということになると、やはり綾辻行人の『十角館の殺人』と西村京太郎の『殺人双曲線』になるかな。実際、この二つの作品がなかったら「自分でミステリを書いてみよう」なんてことは考えもしなかったろうし。
冬陽: じゃあ最も影響を受けた人、となると誰かな? ミステリ作家か、あるいは家族や友人でもいいけど。
寵物先生: これも先っきと同じで、誰から「最も」影響を受けたかなると難しいな。僕にとって、外国の作家というのはあくまで翻訳された作品を通して知ることになったわけで、そこから影響を受けたものとは何かというと、やはり文章だよね。
友達たちと小説の内容について色々と討論したり、あるいは僕の作品に対しても色々と意見を言ってくれたりね、こういうことも自分の作品に影響を与えているだろうから、その中でも誰がとなると正直よく判らないな。それでもやっぱり創作については「作家」からもっとも影響を受けたといえるだろうね。
というのも、僕自身は話下手でさ、他人と討論するよりは、自分一人で作品をじっくりと味わった方が、かえって色々と考えることができるんだ。例えば登場人物や、文体、あるいは物語の構造などについてもね。やはりその中から一人だけ、といわれるとちょっと難しいな。
冬陽: 受賞作となる『虚擬街頭漂流記』だけど、この作品で扱われているテーマは一風変わってるよね。これは君が学んだこととか仕事と何か関係があったりするのかな。それと読者にこの物語の背景について簡単に説明してくれると嬉しいね。
寵物先生: 了解。『虚擬街頭漂流記』の物語の背景は、二〇二〇年の西門町だ。数年前の大地震によって西門町はすっかり寂れてしまっている。一方、政府はビジネスチャンスを開拓するため、ある会社にかつての西門町を模倣した仮想商店街をつくるように依頼する。その仮想商店街の名前がバーチャルストリートっていうんだけど、――で、それが完成して、システムテストを行っている最中に、開発に携わっているエンジニアの二人がシステムの異常を発見する。そこでバーチャルストリートに入ると、そこで「死体」を発見する――と、こんな話なんだ。
大学時代にバーチャルリアリティの講義を受講したんだけど、これが素晴らしい体験でさ――教授がファントム・システムに案内してくれたんだ。フィードバック装置を装着すると、スクリーンには仮想世界の画面が映し出されて、こう、手を動かすだけで、スクリーンの中の光点が移動する。それで光点が画面の中の壁に接触すると、手にはその壁に触れているような感覚が瞬時にフィードバックされる――もちろんそこには実際にはものなどないんだけどね。
今でもあの時の奇妙な感覚ははっきりと憶えていて、あれがバーチャルリアリティの技術に興味を持ったきっかけだね。『虚擬街頭漂流記』の中で、「見たものは現実のよう、触れたもの、聞こえるものすべてが現実のよう」という言い回しがあるんだけど、これはその授業の中で教授が口にした言葉なんだ。
現実を模倣するバーチャルリアリティのテクノロジーが行き着く先、果たして「仮想現実」は「真実」の世界となりえるのか――もしそうだとしたら、現実における殺人事件はそうした仮想世界の中でも発生しえるのか。こうした考えがこの物語を考えていく上での雛形になっている。物語の舞台をコンピューター会社に設定したのは、自分がこの業界に長くいたからで、この手のものに色々と詳しいのも勿論それが理由だよ(笑)。
処女短編となる「名為殺意的觀察報告」でも同じような舞台を扱っているんだけど、自分ではこうしたものに何というか、非人間的なものを感じていて、『虚擬街頭漂流記』で表現したい主題として、それと対比させるかたちで――人間性というものをはっきり描いてみようと考えたんだ。
(続く)