傑作怪談短編集「るんびにの子供」の一冊に完全ノックアウトされて以來、新作を心待ちにしていた宇佐美まこと氏の最新作。あれだけの技巧を凝らした怪談の名手とあれば、二冊目も短編集かと思っていたら長編だったのはやや意外、それでもやはり宇佐美氏の怪奇と生理的な恐怖を喚起する筆致は素晴らしく、個人的には本作、大いに堪能しました。
物語はあらすじにもある通り、とあるマンションを舞台にそこの住人たちが邪眼君によって奈落の底へと堕とされていく、――という話。と簡単に纏めることは出來るものの、やはりそこは考え抜かれた構成と、怪談の技法に巧みな宇佐美氏のことでありますから、ありきたりのモダンホラーに終わる筈がありません。
冒頭、この物語の主人公かとおぼしき、人の良さそうな民生委員のオバさんの視點から、このマンションの概要がさらりと語られ、同時に本作の邪惡を象徴するボーイが御登場、しかしここではまだどのような展開が見られるのか予想は出來ません。
やがて住人のそれぞれが抱えている心の闇がネットリとした文体も交えて讀者の前に明らかにされていくにつれ、舞台となるマンションには不穏な空気が立ちこめてきます。DV旦那とか、言うことを聞かない不良娘とか、ネタとしてはいかにも現代風ながら、物語全体にどうにも昭和テイストを感じてしまうところも個人的には素晴らしく、何となく戸川センセの「大いなる幻影」とか竹本健治氏の「狂い壁」あたりをイメージしながら讀み進めていくと、いよいよ件の邪眼君が活動を開始、住人がことごとく奈落へと堕ちていくという展開です。
やはりここでもうまいな、と思うのがこの邪眼君の描写でありまして、引き算の技法によって限りなく抽象的に描かれながらもその邪悪さ、不穏な空気を周囲に振りまく存在感は圧倒的で、「るんびにの子供」でも描いてみせた怪異と同等のアプローチを見せながらも、本作では「るんびに」と異なり、主人公となるオバはんの主観に託した描写ではなく、マンションの住人全員の視點から描き出す必要があるゆえ、DV旦那から暴力を受けまくっている女の部屋の三和土にこの邪眼君が佇んでいる描写など、そのさりげなさに不気味さを交えてより怖さを引き立てるシーンの見せ方などにはホラー・ジャパネスクの風格を濃厚に感じさせます。
このあたりから邪眼君とコンボで物語の邪悪さを引き立てるアイテムとして「グリム童話」に焦点が当てられていくのですけど、子供に童話とくればやはりここで曾野綾子のかちかち山を思いうかべてしまうのは必然で、こうしたくすぐりがまた住人たちの暗い狂氣と相まって讀者に薄気味悪さをもって迫ってくるという趣向も素晴らしい。
住人たちが邪眼君の暗躍によってことごとく奈落へと堕ちていくという展開は、モダンホラーっぽくもあり、言うなれば定番ともいえるものながら、これが邪眼君と善なるものの対決、みたいな分かりやすいところへ流れないのが宇佐美氏の素晴らしさでありまして、「グリム童話」と邪悪な事件とが連關を見せていくにつれ、寧ろ物語は怪奇ミステリ的な雰囲気をも漂わせつつ、最後の最後に「るんびにの子供」を彷彿とさせる、ぞっとする恐ろしさを引き立てた「眞相」が明らかにされます。
善なるものもまた内なる邪惡を抱えていたという、定番のモダンホラー的展開を完全に拒絶した結構が明らかにされた刹那、「グリム童話」の見立てが今までこの事件を眺める側にいた人物をこの怪異の中心に収斂させてしまうという怖さ、さらには前半からマンションの周囲をウロウロしていたアレが、「グリム童話」の見立てとともにこの人物の主観を通過することで怪異の存在として立ち現れる最後の趣向など、「るんびにの子供」が持っていた怖さを長編の構成によって達成してみせたという點では非常に印象深い作品といえるのではないでしょうか。
DV旦那や反抗期の娘を持った継母など、住人たちの心の闇を開陳した最後、この善なるものの抱えていたものの闇が言うなれば真打ちのようなかたちで明らかにされていくあたりの描き方がやや性急に感じられるものの、ここまでをジックリ、ネットリと描き出していたからこそ、この急轉とモダンホラー的展開を拒絶して「るんびに」的な邪惡さと怪異を交えた幕引きへとなだれ込んでいく趣向が生きてくるともいえる譯で、このあたりの感じ方は人それぞれ、といえるかもしれません。
あとひとつ、物語の全体とはあまり關係ないのですけど、「グリム童話」と邪惡君のコンボに曾野綾子のかちかち山を、はたまたルポライターが狂人女の部屋を訪れた時のとあるブツのアレに「宇佐美まことって、もしかして楳図センセのファンかもッ!」なんて綾辻氏と一緒にウンウンと頷きたくなってしまうネタが投入されていたりと、何だか恐怖小説ファンのツボを突きまくるくすぐりにニヤニヤ笑いが止まりません。
本作を讀んで分かったのは、短編のみならず、宇佐美氏は長編もシッカリと描ける潜在能力の持ち主であるということでありまして、その技法と巧みな結構によって人間の暗黒面と怪異を描き出す風格から、個人的にはミステリも書いてほしいなア、なんて感じてしまうのですけど、どこかの編集者にそのあたりを提案してもらえないものかと、期待してしまうのでありました。オススメ、でしょう。