あのイヤ感溢れまくる「セリヌンティウスの舟」を遙かに凌ぐ超問題作。「セリヌンティウス」がイヤっぽい人間関係を美しく偽装して、スイーツ系のノータリン女や「水は答えを知っているの」なんてトンデモな分かりやすさに涙するトンマな乙女を誑かしていたのに比較すると、本作はイヤ感溢れるという點では同じとはいえ、暗黒系へと大きく梶を切った風格はかなり讀者を選ぶのではないでしょうか。
讀了してから分かったのですけど、これから讀み始めようという方は、まずジャケ帯の裏に引用されている著者インタビューの言葉に目を通しておいた方がいいと思います。
……大部分が殺人犯の視点から書かれているんですが、読まれた方は彼の視野の狭さと身勝手さに気付くと思うんですね。途中でいくつかの仮説が出てくるけれど、これも彼の勝手な思い込みに過ぎない。殺人者というのは本来、卑怯で惨めで汚くて弱くて最終的には負けるものなので、著者としては意図的にそんなふうに書いてみたわけです。
本作の主人公は完全に頭のイカれたボーイで、ノッケから何やら美女たちが「覚醒」しそうでヤバい、早く殺さないと間に合わないよッ、なんていうふうに自分勝手な思い込みでその妄想の背景を完全にスッ飛ばしたまま独走を始めるものですから、讀者は完全に置いてきぼり。
しかしこうした主人公の独善、独走には石持氏なりのキチンとした理由があるゆえ、「物語の主人公に感情移入出來ない」なんてかんじで途中で投げ出してしまっては意味がなく、……というか、こうしたイヤ感を讀者に抱かせるのが作者の意図するところでもある譯です。
「覚醒」というネタにしろ、中盤あたりで明らかにされていくこの「覚醒」の理由やそれを背後で操る人物など、近未来を舞台にしたSFあたりでやればしっくりくるところを、現代を舞台に大展開させてしまうという無理矢理感が石持ミステリの真骨頂、……なのカモしれません。
「水の迷宮」とか「月の扉」とか、どちらかというと「泣ける」「癒し」系の作風で一般の倫理からは微妙に外れた登場人物たちのアレっぷりを美しい人間關係に偽装してみせた作風に比較すると、人間のイヤっぽいディテールを意外と素直に描いているのが本作の個性でもありまして、そのあたりのキーワードになりそうなのがずばり「セックス」。
本作ではとにかく登場人物の皆が皆、サカリのついた犬のごとくにエッチをしまくっているのですけど、普通であればそうしたセックス・シーンも連城氏や泡坂氏のように幻想叙情の方向に振るか、あるいは島田御大の「ハリウッド」や「涙流れるまま」のごとく劣情を催す直情的な路線を狙っていくのが普通ながら、ここでも「どこか普通の人とはズレまくった価値観、倫理観」という石持氏の作風はレブリミットで、セックスの描写も即物的、さらにはイヤ感溢れるディテールにゲンナリしてしまうこと間違いなし。
そうした風格と相まって、いつになく直截的な言葉が文章に盛り込まれているところも壯絶で、ところどころに「陰茎」「勃起」がリフレインされているのには超吃驚、電車の中で讀むにはやや注意が必要、というあたりはフランス書院のようなコンパクトな文庫サイズでないだけに太刀が悪い。
ジャージのズボンは生地が柔らかいから、硬くなった陰茎は簡単に前に立つ。
仁美を殺したときを思い出す。あのときも強烈な勃起を経験した。
またか。麻里江を殺したという自覚が、陰茎を勃起させる。
この主人公は人を殺しては「勃起」して「陰茎」を硬くさせ、また殺そうとしては「陰茎」を「勃起」させて女から興奮を気取られてしまったりと、とにかくストレートに過ぎる男の生理現象を繰り返し繰り返し執拗に描いてみせるシーンの連續には口アングリ。
さらに即物的なセックス描写は主人公だけではなく、例えば中盤に描かれるシーンでは、セックスを終えた男が、
ラグマットの上に座り込んで、ティッシュペーパーで股間を拭いている。使い終わったティッシュペーパーをコンビニエンスストアの買い物袋に入れて、匂いが漏れないように口を縛る。それからトランクスをはいた。
なんて場面がさらりと描かれたかと思うと、この「買い物袋」が思わぬ伏線になっていたりと、キワモノめいた即物的なセックス描写もシッカリとミステリの技巧に絡めてしまうところは秀逸です。しかし流石の自分も、岸田るり子女史の「潤いジェル」にはグフグフと忍び笑いを洩らして愉しめるものの、ザーメン臭いコンビニ袋というディテールにはついていくことが出來ませんよ(爆)。
冒頭に引用した石持氏の発言では主人公の「視野の狭さと身勝手さ」をアピールしているものの、實をいえば、一般人と比較しての「視野の狭さと身勝手さ」といった性格のアレっぷりは、主人公も他の登場人物も五十歩百歩でありまして、「覚醒」の鍵を握っている人物にしても、また殺されていく連中にしても、一般人から見たらやはりヘン、というのが本作を讀み進めていくうちに感じられるところながら、当の石持氏はそもそもこの物語世界全体が歪んでいることに気がついていないと感じられる上の発言にニヤニヤしてしまいます。
本作の登場人物たちはしきりに「あちら側」と「こちら側」ということを意識しているのですけど、本格ミステリとキワモノミステリに線引きをして本格を「あちら側」とすれば、本作は確実に「こちら側」の逸品で、主人公のキ印野郎が殺人の課程で色々と思いを巡らすシーンに、「扉は閉ざされたまま」から始まる倒叙型ミステリで鍛えた技法が導入されているところは石持ミステリらしい冴えを見せる一方、その作風はやはり完全にキワモノ。さらには「扉は……」シリーズで培われた邪惡さを極めた風格もまた、本格として讀むよりも、キワモノ的な視點で見た方が愉しめるような気がするのですが如何でしょう。
個人的には「セリヌンティウス」に「美しい叙情ミステリー」なんて感想を持ってしまう乙女チックなスイーツ娘とかが、本作にどのような感想を持たれるのか興味のあるところです。問題作ゆえに、すべての石持ミステリのファンに推薦することは出來ないものの、石持ワールドの「毒」がタマらないという奇特なキワモノマニアであれば最高に愉しめるのではないでしょうか。