傑作。イヤ感溢れるオンナの情念、という、岸田女史の最大の持ち味を大きく後退させベタな本格ミステリの結構に密室トリックをオマケにつけた「ランボー・クラブ」や、青春物語としての風格を際だたせた「過去からの手紙」に比較すると、やはり岸田ミステリといえばこちらの方が本流で、ある意味「天使の眠り」を超えたのではないか、――と思わせるほどの仕上がりでありました。
よくよく見ると今回のリリースは徳間からで、そうなると恐らくは傑作「天使の眠り」と同じ編集者の手になるものかと推察されるものの、岸田女史といえばコレ、とキワモノマニア的視點からはその魅力を大いにアピールしたくなってしまうオンナ、女、おんなの暗い情念とダメ男のアレっぷりの盛り込みは「出口のない部屋」以上、そして後半の謎解きで明らかにされる情感の奔流は「天使」以上、――と、あらゆる意味で岸田女史の潜在能力を最大限に引き出してみせた素晴らしい逸品です。
そもそもがジャケ裏にあるあらすじがなかなかのもので、輕く引用すると、
自分に自信がなく、家柄だけが取り柄だった華美は、見合いでひとまわり年上の医師と結婚したが、夫には長年の愛人がいて、鬱々とする毎日だった。
ある日、ふとしたことから手に入った他人のデジカメの画像を見るうちに、華美はその中の見知らぬ美少年に惹かれていく。熱い感情を抑えきれず、画像から少年の家をつきとめた彼女は、そこで彼の恐ろしい犯罪を見つけ出してしまうが……!?
愛されず、自立もできない無力な女が、「運命の出会い」をきっかけに変貌していく姿と、その驚くべき結末を描いた、奇跡のラブ・サスペンス!
最初に書いておかなければいけないのは、ジャケ帶の表にもある「ノンストップ・ラブ・サスペンス」という言葉でありまして、本作の展開は確かに中盤から、このあらすじにもあるような犯罪が絡んでくるものの、この犯罪とそれに絡めた暗號解読などはいうなれば添え物に過ぎず、その扱いに關しては「鎭魂歌」や「ランボー・クラブ」の密室以上に控えめです。原理主義的視點から見ればマッタクお話にならない、と、もうそれだけでダメ出しされてしまうような輕過ぎるものながら、岸田ミステリの本領はそこにはあらず、というのは、處女作より彼女の作品を追いかけているキワモノマニアであればほぼ常識。
サスペンスというより、その展開は恋愛小説を基にした一般小説に限りなく近く、鷹揚でありながら、語り手の内面をその出自と生活感も交えてじっくりと描き出し、そこへ岸田ミステリでは定番ともいえるアレ系の仕掛けによって最後には意想外な眞相を明らかにしてみせるという結構です。
なので、サスペンス的な盛り上がりを全編に期待すると些か肩すかしを喰らってしまうのでは、と自分などは危惧してしまうのですけども、恋愛小説、あるいは登場人物の心理をフックにした極上のミステリを所望の方には將に逸品ともいえる風格でありまして、ここに岸田女史お得意の女、オンナ、おんなの暗い情念とダメ男のアレっぷりを登場人物のほぼ全員に盛り込んでみせたというゴージャスぶり。
あらすじを讀むと、何だか鬱のオバはんが自分の子供くらいは年下の美少年に恋をして、――なんて際どい物語を想像してグフグフと忍び笑いを洩らしてしまうのですけども、ここでは「見合いでひとわり年上の医師と結婚し」ているというのがミソ。実際は三十にもならないフツーの若い女性で、彼女が十歳ほどは離れているとおぼしき年下の美少年に惚れてしまう、というお話です。
この劇的な出会いの眞相と、その背後にあったある人間関係が明らかにされる後半の結構が特に素晴らしく、原理主義的視點で見ると本格としては薄味、なんて上には書いたものの、個人的には、本作でもやはり現代ミステリらしく、「謎」の呈示と、「事件」にまつわる定番的な謎(ここでは放火事件と暗號との連關)を表面に押し出した誤導の技法に大注目、でしょう。
放火事件という、本格ミステリ的な謎としては前面に押し出された放火事件の眞相が明らかにされた後半も後半、それ以上に大きな本丸の「謎」がさながら幻想小説かSFか、ともいえるような樣態で讀者の前に立ち現れるところは相當にスリリングで、岸田ミステリではもう定番ともいえるアレ系の、時間軸をフックにした違和感が、これによって明確な謎へと昇華されて讀者の前へ立ち現れるという仕掛けも鮮やかです。
そしてもっとも大きな謎が、ミステリ的な「事件」の解明を引き金にして明らかにされるという、謎―解明を主軸にしたミステリの構造としては顛倒ともいえる異樣なかたち、――しかし實をいえばこの顛倒こそが、アレ系の仕掛けと、「めぐり会い」というタイトルにも象徴される、描かれた物語の隱された部分で進行していたある劇的な展開とを見事に融合させ、眞相の開示によって明らかにされる叙情の極みをつくりだしているという、考え拔かれた構成の見事さには完全にノックアウト。
あらすじにもあるヒロインだけではなく、この物語のもう一つの軸を擔うある人物の視點の描寫もまた見事で、キワモノマニア的な視點から讀むと、こちらの方がツッコミどころは満載、といえるカモしれません。特にこの人物を刺殺しようとした女の電波ぶりは相當に強烈で、「あなたに取り憑いているものを除去しないと」とか悪魔に憑かれているからあなたの歌はダメになった、という、その兇惡に過ぎる毒電波ぶりに、そういうおまえはスピッツ・ア・ロコの「愛論人」でも聽いてろ、と思わず苦笑してしまったのは自分だけではないでしょう。
それと「天使の眠り」でも大盤振る舞いを效かせていた女のエロスでありますけど、こちらは「天使」に比較するとやや控えめとはいえ、その妙にリアルなディテールは健在で、ノッヶから浮氣旦那とのセックスについては、
結婚して半年ほど、義務のようなセックスがあった。
華美には初体驗だったが、それでも、愛撫もキスも何もない、ただ挿入して射精するだけのセックスというのは気持ちの盛り上がりがいっさいなく、痛いだけだった。
……
華美が体を硬直させていると、挿入しにくいことに夫は苛立ちを露わにした。
華美はネットの通販で、潤いジェルというのを密かに購入した。夫が寝室に侵入してくるたびに、あわてて、ジェルを陰部に塗るようにした。スムーズに事は運ぶようになったものの、それでも、セックスするたびに愛されていないことに、心の痛みが増していった。
さらにこの醫者野郎がトンデモないゲス男であることが中盤に明らかにされたりと、男のアレ、女のダークネスといった岸田ミステリにキワモノマニアのこちらが求めてやまない魅力についてもテンコモリ、というゴージャスさです。
とはいえ、物語としては、フツーの本格ミステリの結構ではないこと、さらにはジャケ帶の惹句とはやや異なり、サスペンスというよりは普通小説、恋愛小説的な敍情をも含ませた展開で魅せてくれるところなど、どちらかというとミステリマニアよりは、普通小説を讀んでいるフツーの讀者にもっとモット讀まれてほしいなア、と感じた次第です。
実際、村上氏が言われているように「新たな勇気を与えてくれる」結末は、小説にある種の癒しを求める一般読者にも大いにアピール出來ることと思うし、千街氏や福井氏とかが新聞や雜誌の書評で取り上げてくれたり、或いは有隣堂とかの大手書店で「あまりの切なさに発狂しそうなほど、むせび泣きました」とか「この小説から勇気をもらいました。今ならマンションの屋上から飛び降りるのも怖くありません」みたいな刺激的なキャッチコピーも添えたPOPをたてて、平積みにして賣り出せば、或いはベストセラーを狙えるカモ、――なんて思うのですが如何でしょう。次作もまた是非とも徳間で、同じ編集者にお願いしたいと思います。オススメ、でしょう。