まずもってジャケからして自分のような輩は相當に尻込みしてしまう一冊で、漫畫チックといえどもごくごくフツーの可愛い畫だった前作に比較すると、何だか異様に陰影を際立たせた暗めの少女畫で、さらによく見ると少女たちの乳首がシッカリと強調されていたりするところから、自分のような世代は一昔前のエロ劇画、――例えばダーティー松本とか、あのあたりを微妙に思いうかべてしまうところがアレながら(爆)、内容の方は前作以上にロボットネタを強調した作品に仕上がっています。
ただ、ロボットという存在に纏わる思弁的な主題を大きく事件に据えた結構から、本格ミステリ的な風格は一見するとやや後退しているように感じられるところが、このあたりの主題にあまり意識的な讀みを行わない方には、どうにもミステリとしては薄味、という印象を持たれてしまうような気がするところがチと心配、だったりします。
また竹本氏独特の本格ミステリにおける「謎」というものに對するアプローチについて、あまり意識的でない古典原理主義者も、これまた「ミステリとしてはちょっとねエ」、なんて感想になってしまうやもしれず、今回はこのあたりについて述べてみたいと思います。
収録作は、愉しい筈の夏合宿がドタバタ劇へと轉じるという一昔前の漫畫的な結構に竹本ミステリ的な「謎」の提示方法を効かせて、本シリーズの主題と本格ミステリの強度な融合を試みた「キララ、失踪す」、怪しげなアジトで起こった殺人事件を巡ってロボットと人間の境界線の揺らぎを描いた「光留、探偵す」、ベタベタなエロシーンに文春の編集者の戸惑いを思い浮かべながらも(苦笑)、前作からの續きという構成に極上の仕掛けを凝らしてみせた「キララ、赤面す」、そしてメイドロボットと一人物との劇的な出逢いを詩情溢れる物語に仕上げた逸品「雨の公園で出会った少女」の全四編。
三原則や、前作でもウヒハ博士によって提示されたルールなどについて、本作の中でもたびたび言及されるとともに、事件の中でもこれらの趣向が大いに活かされいるゆえ、可能であれば前作を讀了しておいた方が愉しめると思います、――という前置きをしておいて、さっそく「キララ、失踪す」なのですけども、キララと語り手のスケベ君が仲間と一緒に合宿、という何だかこれまた一昔前のラブコメ漫畫的な展開で始まる本作、主人公の語り手にさっそくハプニングが発生して、たびたびメイドロボットと行き違いになるということが繰り返されるうちに、何やらキナ臭い事件に巻き込まれて、――という話。
何しろ語り手はエロいことで頭がイッパイ、ワトソン役としても頼りないようなボンクラでありますから、自分が巻き込まれている状況さえも理解出來ない有様ながら、實はこのボンクラ的な役柄ゆえに、本作では本作の「謎」に對する趣向が存分に活かされているところに着目、でしょう。
物語が進むにつれてメイドロボットの妙な立ち居振る舞いが明らかにされていくのですけど、語り手の中でそれらは「違和」として残されたまま、謎解きの直前まで明快なかたちの謎として讀者に提示されることはありません。本作におけるこのあたりの本格ミステリにおける「謎」というものの扱い方について、フと思い出したのが、以前「本格ミステリー・ワールド」に竹本氏が述べていた内容でありまして、そこのところを引用すると、
……本格ミステリとは何かという定義を僕なりに試みると、<謎>から<真相>への変容を主要なテーマとした作品、とでもなるだろうか。その場合、取りあげられた<謎>と真相>の関係性が一対一に近ければ近いほど本格らしさが濃くなるのだが、ちなみに言えば、近づけるための具体的な手段が、物理的補強としては<手がかり>であり、心理的補強としては<伏線> となるわけだ。
また、<謎>は必ずしも謎として明示されていない場合もあり、そこではいきなり<真相>が立ち上がることになる。
物語の前段にド派手な謎を提示して、それを推理によってある真相へと解体していく、という、ごくごくフツーに受け止められている本格ミステリの構造とは、「謎」に對する扱い方が異なっているということも竹本ミステリにおいてはありえる譯で、本作においては正にとある「謎」はあからさまな形で讀者の前には提示されてはいません。
語り手の目を通して奇妙な「違和」としてのみ掲げられているこの「あるもの」が最終段階において事件の構図に組み上げられていくというのが本作の見所でありまして、このあたり趣向をうまくすくい取れないと、大きな事件も起こらずにただマヌケな主人公がドタバタを演じているだけ、という物語に映ってしまうやもしれません。
これが黄金期の古典ミステリを礼賛する古典原理主義者であれば、ボンクラワトソンが鍵のかかった部屋の前で右往左往して「密室だ密室だ!」とわめき立てたり、事件らしきものが起こるたびに毎度毎度、さながら雷にでも打たれたような衝撃を受けたとか何とか、みたいな大袈裟な台詞とともに、物語の外にいる讀者に對して「これこれ!ここがポイントですよッ! この密室がこの後のキモで、最後には我らがヒーローの名探偵がこの「謎」を推理して見事、この驚天動地、空前絶後の大事件を解決してみせますので乞うご期待ッ!」なんてかんじで事件のたびにその「謎」の有様をご親切にも大宣言して教えてくれる譯ですけども、現代本格においては、そうした結構をときには大胆に崩して、物語の主題をより明確にさせるという技法もアリな譯で、本作はそうした現代本格の典型として讀むことによって、より竹本氏のこのシリーズにおけるこころみを愉しむことが出來ると思うのですが如何でしょう。
上にも述べた通り、そうした本格ミステリの典型的結構のくずしには、それなりの企圖が求められるのも必然で、「キララ、失踪す」では、本作の主題であるロボットのとある事柄がこの構図に大きく絡んでいたことが最後に明らかにされます。さらにいうと、この主題が事件の構図に大きく絡んでいるゆえに、これは推理の段階まで隠蔽しておく必要がある譯で、そのためにボンクラな語り手の意識を通してこれらをあからさまな「謎」としてではなく、「違和」としてのみ見せるという戦略、さらには一見するとどうにもバラバラに見えてしまう事柄を一昔前のドタバタ漫畫的な展開の中に拡散させてしまうところなど、一見薄味の物語に見えながら、この主題と竹本氏の「謎」に對するアプローチを考えると、本作の深みがより見えてくるような気がします。
……って、ダラダラと書いていたら随分と長くなってしまいました。残りの二作もまたこうしたロボットのアレや人間との関係性を主題に据えて事件の構図を組み上げてある作品で、個人的には「光留、探偵す」の真相の後に、「キララ、赤面す」でああいう展開を見せておきながら真相がアレ、というところにはスッカリ騙されてしまいましたよ。
竹本風の美しい叙情が際立つ「雨の公園で出会った少女」も素晴らしい仕上がりで、本作のしめくくりに相応しい逸品です。個人的には竹本ミステリの深奥を知るという意味で、前作と同様、非常に愉しめたのですけど、上にも述べたように、ロボットを主題をいかにして事件の構図へと組み入れるか、という、本シリーズにおける竹本氏のこころみを無視して、ただただ古典から續くフツーのミステリとして讀まれる方には、全然面白くない作品、と感じてしまうカモしれません。あくまで取り扱い注意、ということで。竹本氏の作品の風格を熟知している方であれば没問題、でしょう。