「あとがき――あるいは好事家のためのノート」に曰く、「裁判員制度をとりあげた、おそらく本邦初の小説集」ということもあって、裁判員を視点にした二人稱という構成を配して、制度の全容をわかりやすく繙いていくとともに、その結構の中へこれまた芦辺ミステリらしい大胆な仕掛けを凝らした一册に仕上がっています。
本作は三編を収録した連作短編集で、いずれも弁護士には超地味探偵森江春策を据えて、リアルに軸足を置いた事件の真相を解き明かしているというもの。無罪を主張しつつも不利な証言をバンバン引き出していく弁護士森江の奇策が最後には鮮やかな反転を見せる「審理」、證人の不在に森江が真相の開示を託した裁判員たちの緻密なやりとりから真相が見えてくる展開が秀逸な「評議」、そして法廷ドラマ的な結構の中にイジワルな仕掛けが大開陳される傑作「自白」の全三編。
実を言うと、前二作は何しろリアルに過ぎる事件の内容と、證人の証言を綴った展開がどうにも平板に思えて、芦辺氏らしい細やかな事件の組み立て方などに感心はしつつも、それほどノれなかったというのが正直なところでありまして、やはりリアルな内容だとこんなものかなア、なんて油断していたら、最後の「自白」では壯絶な背負い投げを喰らわされてしまいました。という譯で、仕掛けと驚きを求めるマニアであれば、前二作の地味さにもメゲずに最後の「自白」まで讀み進めていってもらいたいと思う次第ですよ。
もっとも地味とはいえ、芦辺氏があとがきで述べられている通りに、裁判員制度の内實をシッカリと讀者に解き明かしていくとともに、事件そのものに謎を凝らして、最後には意想外な真相を開示してみせるという本格ミステリ的な愉しみどころを堅実に盛り込んであるところは流石で、「審理」では、特に弁護士森江が無罪を主張しつつも、検事の意見と照らし合わせればどう考えてたって不利になっていくような展開を見せつつ、それがいかにして無罪の主張へと結びついていくのかがキモ。
現場の状況の奇妙な点を「氣付き」としてそこから推理を説き起こしていくという本格ミステリでは定番の展開とともに、上に述べたような弁護士森江の奇妙な戰術が推理の過程で伏線へと轉じていく様が小氣味良い。
「評議」は、「審理」では法廷でのやりとりを中心に物語を進めていた展開とは別の趣向を凝らし、裁判員たちが証言を元に事件を推理していく課程を描き出していくというもので、この裁判員を中心に構成された結構が、最後の「自白」まで讀みすすめていくと、件の仕掛けに繋がっていたことが明らかにされるというイジワルぶり。この仕掛けのあまりの鮮やかさに自分はスッカリ騙されてしまいました。
「審理」は、これまた無罪を主張していくという定番ものながら、個人的には最後の最後に明かされるネタには苦笑至極。監視カメラの映像や、證人が耳にしたちょっとした言葉の言い違いなど、小ネタを配しつつ、最後に出てくるネタはアレというところがかなりアレで、玄人志向のグラサン男がニヤニヤしながら本作を讀んだあと、どんな感想を持たれたのか興味のあるところですよ(意味不明)。
やはり本作最大の驚きどころは最後の「自白」で、「裁判員法廷」という連作のタイトル、さらには「審理」で見せた裁判員たちのやりとりを中心に配した構成と、それまでの全てを最大投入して仕掛けのネタへと轉化させてしまう強引技には口アングリ。
言うなれば非常にシンプルな視点のずらしというものながら、この二人稱という特異な結構と、さらには裁判員たちを物語の中心に据えた構成から、この予想を完全に想像の外へと退けてしまうように仕組まれているところがまた見事。
ガイシャは文藝ブローカーなる、禿頭を隠したグラサン男で、「アイディアやネタに困ることはない」と豪語し、「ノンフィクションならネットの情報を切り貼りすればいい」なんてことを何の衒いもなく嘯いているようなゲス野郎でありますから、殺されてもまア、仕方がないかな、なんて気がするものの、今回は被告人が自らを有罪であると主張するというトンデモな展開に。被告人の思惑と弁護士森江の思惑が交錯し、最後にはこの結構ならではの意想外の「真相」が明かされるという趣向で、イジワルミステリとしての一級品の風格を持っています。
で、気になるのは今回の「あとがき――好事家のためのノート」に書かれている言葉でありまして、本作の執筆を引き受けた経緯について、
しかし、いつしか時代は移り、とりわけ本格ミステリと呼ばれる領域では、読み手も書き手も大人であること、大人であろうとすることを求められなくなったようです。そのことに一抹の寂しさと疑問を抱いていた折も折、まさにこちらのハートに命中する形で白羽の矢が立てられたのですから、これは引き受けないわけにはいきませんでした。
個人的には寧ろ、「大人と、大人になろうとする少年少女のための読物」としても素晴らしいものを書こうと意識し、また実際にそれを実践してきた芦辺氏が今、こんなことを口にしなければいけないという現状に自分などは「一抹の寂しさ」を感じてしまうのですけども、――まア、そういう諸々のことも「芦辺氏は斷じてボクら派にあらず」という一言でスッカリ忘れて、後は本作に描かれる芦辺氏らしい極上の風格に醉うのが吉、でしょう。