前回の続きです。さて、翌日五日は島田荘司賞の会場となっている皇冠のビルで御大の講演とサイン会が行われました。実は自分、この日は早朝から「鎧甲館事件」の舞台となった場所に観光に行ってたので講演の方は聞きそびれてしまいました。録音していた方がテープ起こししてくれることを期待しつつ話を続けますと、サイン会は四時頃からスタート。で、これがまた若い女性ファンのあまりの多さに吃驚してしまいました。
写真はたいして撮影できなかったのですが、一応、今回の島田荘司賞の受賞者である寵物先生が御大にサインをお願いしている写真だけは撮ることが出來たので掲載しておきます。なお、この写真、御大の胸元に注目で、件のバッチはこの少し前にサインをゲットした女性のファンからプレゼントされたもの。御大の通訳を務められた張女史のサイトにその写真が掲載されているようなのでリンクを張っておきます。バッチを渡していた女性は自分の記憶だと、バンダナを巻いてた美女だった筈。以上、終わり。
――とこれだけでは何だか素っ気ないので、ちょっと話を島田荘司推理小説賞に戻して、入賞作以外の話をしてみたいと思います。この賞では、「印加古墓之謎」の作者であるAzure嬢や、「獵頭矮靈」の作者である烏奴奴,夏佩爾をはじめとした一次選考通過作の作者にも賞状が授与されたことは前のエントリで述べた通り。
入賞作である三作以外にも御大が興味を示されていた作品がいくつかありまして、ここではそうした作品について少しだけ紹介しておこうと思います。二十一世紀本格的な作風が高く評価された「虚擬街頭漂流記」、新本格の館ものの趣向を極限化させた「冰鏡莊殺人事件」と並んで、御大が二次選考の段階から注目していたのが黃顯庭氏の「夢之沙漏」という作品でした。
この作品、何と語り手は御手洗潔で、もうこれだけでも十二分に奇天烈なのですけれど、あらすじを簡単にまとめてみますと以下の通り。
――新竹で開催されていたSFシンポジウムに出席していた御手洗潔は、日本への帰途、バスの中でうたた寝をしていた時に見た夢と同じ夢を見たという女性の存在を知る。彼女はラジオDJで、偶然タクシーの中で彼女の番組を聞いていたときにそのことを耳にした御手洗はラジオ局に押しかけ、彼女とこの不思議な夢の真相を確かめることに。果たして、夢の中に出てきた登場人物たちはすべてが実在していたことに愕然とする御手洗とDJ娘。二人はさらに調査を進めていくうち、夢の中に出てきたバスの運転手が何者かに殺害されていたことを知るに到る。乗客であった老夫婦の失踪に絡めて浮上する謎の男の存在と悪魔の暗号。果たして同じ夢を見るという怪異の真相は、そして連続殺人事件の犯人は何者なのか、――という話。
作者である黃顯庭氏は、ちょっと調べたところミステリというよりはSF畑の創作者らしく、検索すると演劇関連やSF関連の賞の記事にも彼の名前を見つけることができます。実際、作中で新竹のシンポジウムに出席した御手洗はSF作家の倪匡と面会し、「ああ、あなたが『魔神の遊戯』に出てきた御手洗さんですか」なんて会話が交わされたりするところも、パロディというか何というか、しかしこれがまたコトの真相の重要な伏線にもなっているところは確かに本格ミステリながら……何とも頭を抱えてしまいます。そんななか、本作の見所はというと、やはり「複数の人物が同じ夢を見ている」という怪異にどのような仕掛けがあるのか、というところでしょう。
しかしこの「謎」に本格ミステリ読みがフツーに納得できるような答えが用意されているかというと、そのあたりは甚だ怪しく、それゆえ御大も「この作品を本格ミステリとして再構築するにはかなりの大工事が必要」という感想を持たれたわけですが、では「本格ミステリ」というジャンルの縛りを離れてこの作品を見るとどうかというと、SF的な趣向を中核に据えた幻想ミステリとしては実はかなり評価できる「怪作」といえるかもしれません。
中盤の推理に見られる数字と暗号への偏執などアンチ・ミステリ的風格も感じられ、また夢にまつわる異様な真相は山田正紀の「サイコトパス」や「カオスコープ」を彷彿とさせます。しかし本格ミステリ的な枠組みを完全に突き抜けた奇天烈な真相とは対照的に、登場人物の心理を描き出す手つきはある意味非常にオーソドックス。
そして社会派的な主題を内包した「怪異」の真相も交えてヒロインの深層心理を解き明かす後半の推理の中には、非常に鮮烈な一言が添えられており、そこはまた御大が高く評価されていたところでもあります。探偵・御手洗が口にするたった一言によって、この物語世界にまつわるすべての謎が一瞬にして解き明かされるという外連は本作最大の魅力であり、またなぜこの物語の探偵が御手洗でなければならなかったのか、後の推理によってその理由が明らかにされる結構も秀逸です。
SF的な世界観やガジェットを本格ミステリの枠組みの中へ見事に封じ込め、悲哀の犯罪構図を描き出した「虚擬街頭漂流記」とは異なり、本作は本格ミステリとして物語を制御しきれなかった点が惜しい、というか。ただ、「虚擬街頭漂流記」と本作を通じて御大の評価のツボとでもいうべきものも見えてきます。
この二作は上にも述べた通り、本格ミステリのとしての結構は完全に対照的ともいえるものながら、いくつかの共通点もあります。ひとつは物語の世界観にSF的趣向が活かされていること。そしてもうひとつはそうした物語の世界観に裏付けられた「劇的なシーン」が用意されているということです。
たとえば本作の場合、それは御手洗が後半の推理の過程で口にする「ある一言」であり、「虚擬街頭漂流記」でいえば、――事件が収束したあと、ヒロインはある人物へ会うため再び仮想世界へと赴くのですが、そのときに、そのある人物が口にする台詞を思い出していただければと。こうした物語の主題と連關した「劇的なシーン」があることで物語が引き締まるともいえるわけで、……とはいえ、これを第二回島田荘司推理小説賞の「傾向と対策」と受け取られても困ってしまうわけですが……(爆)。
あとこれは余談ながら、この「夢之沙漏」のあらすじと結構について、二次選考委員の日本人が説明したときに、御大が「そういえば、そういう話が漫画であったなー。佐々木淳子の『ダークグリーン』だったか……」と話していた、というのを聞いた時にはビックラこいてしまいました。まさか御大の口から佐々木淳子の名前が出てくるとは、フツーだったら考えませんよ。
というわけで、また字数が余ったら他の作品について取り上げてみたいと思います。次のエントリは翌日、台湾大学で開催された講演と台湾大学ミステリ研との質疑応答などについて書いてみる予定です。というわけで以下次號。